こちら高円寺引越センター~訳アリ荷物、運びます。

夜野ミナト

第1話 カラスと籠の鳥

 店内にシティポップが流れる静かな店だった。麺の湯切りの音と元気な店主の声が響く。目の前に置かれた二つの丼は温かな湯気を放っていて、凍えた体を溶かしていくようだった。一つを隣へと静かに滑らせると、割り箸を割る音がした。

 男物のブカブカなパーカーを着て、フードを目深に被った華奢な人物が隣のカウンターに座っていた。フードの隙間からさらりと黒髪が流れる。彼女は後れ毛を耳にかけてから、恐る恐る脂の浮いたスープをレンゲですくった。


「これが、ラーメン」


「……お嬢、食べられそうですか」


 俺が問うと、彼女は小さな口で麺をすすった。


「うん……初めて食べた。温かくておいしいね。これあげる、クロガネ


 そう言って俺の丼にチャーシューを一枚移した。


「俺は十分です。それよりお嬢こそ、もっと食べて肉をつけないと」


「こんなにたくさん食べられない」


 フードの隙間から苦笑する顔が覗いた。俺は息を小さくついて、箸で崩れそうなほどに柔らかく煮込まれた肉を噛みちぎった。じわりと醤油の味が広がった。俺たちは黙ってラーメンを食べる。麺をすすり、店主の声とBGMだけが響く店。ごく普通の、ありふれた光景だ。隣に座る彼女はその光景を噛みしめるようにして、ささやかな晩餐を味わっていた。


 食べ終わった丼をカウンターの上に戻し、フードを落とした彼女——一条千影いちじょう ちかげはガラガラと引き戸を開けて身を縮めた。絹のように艶やかな髪がふわりと風に流れた。


「……うわ、寒いね。雪降りそう。鉄、早くエアコン入れて」


 2023年2月——東京・高円寺。俺たちは二トントラックに乗り込み、依頼人の元へと闇の中を走っていく。




 一条千影は京都に君臨する陰陽師一族・一条家の長女である。上に兄がいることから、当主の座を継がなくてもよいという立場でのらりくらり生きていたが、それが冷遇されているものだと気付いたのは中学生に入るころだった。兄の一条晴道いちじょう はるみちが厳しい修行に耐えているころ、彼女は漫画雑誌を読んでは暇だとぼやいていた。

 本来であればいずれ跡を継ぐ兄の補佐をするべく、自らも修行に励むべきなのだろう。

 だが、彼女には術を行使するための霊力が備わっていなかった。凡人も凡人である。だから直系の子につけられる『晴』の字が与えられなかったのだ。生まれてきたその日から『日陰で生きろ』とその名前に刻まれ、背負わされたのである。

 兄はそんな千影に対し憐れむこともなく、普通に兄として接していたのだが、修業が忙しくなってからは顔を合わせることもほとんどなくなっていた。

 一条家には一族の血筋ではないが、彼らを守護・補佐する影の部隊が存在する。諜報、暗殺、隠蔽、回収、物資運搬——汚れ仕事全般を請け負う部隊が『烏丸衆からすましゅう』である。烏丸衆の経歴は一切不明。烏丸衆同士であっても、同じ血を引いているとは限らない。

 その中のひとりが俺——烏丸鉄からすま くろがねである。日本の戸籍上では烏丸姓を名乗っているが、本当の名前は何だったのか今となってはわからない。だが年齢が近いこともあって、千影の付き人として過ごすことが多かった。


 それは千影が成人を迎える前日のことだった。


「明日、千影様は『朱雀院すざくいん』家へ嫁がれます」


 屋敷の端にある、い草と焚かれた沈香の香りがする静かな部屋。俺は月明かりを背負い、千影の前に跪いた。普段はスーツを着ているが、今日はつなぎの作業着を着ていた。


「……そうね。あの一条の血が欲しいだけの当主の妾ですって。私はただの『子を成すための道具』。信じられる?現代の日本で、こんな……時代錯誤もいいところよ」


 編み物をしながら、千影は小さな声で言った。俺は黙ってその言葉を聞いていた。大切に見守ってきた籠の中の鳥は自由に空を飛ぶことを許されず、ただその高貴な血筋のため道具のように扱われる。あの家に千影が嫁げば、二度と外の光を浴びることはない。座敷牢のような奥殿で、ただ『家』のために消費される。下卑た当主の口を歪めて笑う顔を思い出して、吐き気がした。冗談じゃない。あんな男に、お嬢を触れさせるなんて。ぐっと爪がくい込むほどに拳を握り締めた。


「……ねえ、鉄」


 編み物をする手が止まる。千影の瞳が揺れた。婀娜っぽい瞳はどこか幼さも残していて、どこか危険な色をしていた。


「『逃げたい』——そう言ったら、お前はついてきてくれるの」


 愚問だ。千影がその言葉を口にしなくても、今夜俺はあんたを攫うつもりだった。地獄へ落ちるのが、一人か、それとも二人か。ただそれだけの違いだ。


「ご命令とあらば」


 ただその下知だけを待っていた。千影を、あの男のものにはさせない。まっすぐに見つめると、彼女の瞳がすっと細まった。


「じゃあ、命令するね。逃げよう。ここから逃げて、どっか遠いところに行こう」


 それは明日公園にでも散歩に行こう、とでも言うような軽やかさだったが、静かな決意だった。


「御意」


 俺は立ち上がった。千影の肩に触れる。力を籠めたら壊れてしまいそうなほどに、細い。そのまま千影の体を、赤子を抱くように軽々と横抱きにした。驚いたように彼女が俺の首に腕を回す。その重みすら愛おしい。


「……く、鉄。そんな……できるの?」


「俺に運べないものはありません」


——あんたの運命ごと、俺が運んでやる。

 冷たい三日月の微かな明かりだけを頼りに、外へと飛び出す。

 その日、俺は反逆者として一条家に名を残すことになったのだ。

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