その名前で、光の下へ
あまいこしあん
その名前で、光の下へ
初めて、その名前で取材を受ける日だった。
事業所の小さな会議室。
録音機とカメラ。
記者の視線は、最初から好意的ではなかった。
「——過去に大きな事件を起こした人物が、
今は“支援者”を名乗っている」
記者は、ゆっくりと言葉を選ぶふりをして、
刃物のように切り込んできた。
彼女は、真正面から受け止めた。
「過去は消えません。
でも、それを理由に未来を奪われるべきではないと思っています」
横で、彼——パートナーが頷いた。
「ここは、やり直す場所です。
名前も、過去も、否定しません」
記者は、そこで話題を変えた。
「ところでお二人はご夫婦だそうですね。
かなり年の差がありますが……
依存関係では?」
空気が、凍った。
彼は言葉を探した。
だが、“年の差”という事実だけは、どうやっても消せない。
彼女が答えようとした、そのときだった。
ドアが、静かに開いた。
「……すみません」
立っていたのは、十代後半くらいの少女だった。
緊張した面持ちで、けれど目は真っ直ぐだった。
「ここ、相談できるって聞きました」
記者は、少し苛立った顔をした。
「今は取材中で——」
少女は、被せるように言った。
「でも、困ってる人が来たら、
話を聞く場所ですよね?」
一瞬の沈黙。
彼女は、立ち上がった。
「……はい。どうぞ」
少女は、簡単な相談をした。
居場所がないこと。
名前を名乗れないこと。
信じていい大人が、分からないこと。
彼女は、ゆっくりと答えた。
「大丈夫。
ここでは、急がなくていい」
そのやり取りを、記者は黙って見ていた。
“支援”が、言葉ではなく行動で示される瞬間だった。
少女は、立ち上がった。
「ありがとうございました」
彼女の目が、ほんの一瞬だけ、
彼女——“ミオ”の本当の名前を名乗った女性に向けられた。
何かを確かめるように。
でも、何も言わない。
そして、去り際。
少女は、彼の前で立ち止まった。
「……かっこいいじゃん」
彼が驚いて目を瞬かせると、
少女は肩をすくめた。
「惚れそう、って意味じゃなくて。
ちゃんと立ってる大人、って意味」
そう言って、ドアを閉めた。
取材は、その後、淡々と終わった。
嫌味は、続かなかった。
後日、掲載された記事は、
思ったよりも静かで、事業所を潰す力はなかった。
彼女は、夜、ふと呟いた。
「……あの子、誰だったんだろう」
彼は、少しだけ考えてから言った。
「助けが必要な人、かな」
それで、十分だった。
遠くで、少女は歩いていた。
母だと気づいた。
でも、名乗らなかった。
今はまだ、
名乗るための名前を探している途中だから。
彼女は、空を見上げて、心の中でだけ言った。
——大丈夫そうだね。
そして、歩き出した。
光の方へ。
その名前で、光の下へ あまいこしあん @amai_koshian
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