第4話

「さて諸君。たいへんな暴風が欧州全土に吹き荒れ、先の大戦が引き起こされた。我らが良き隣人、ドイツ帝国は打倒され、その骸から赤いウジ虫ども、いや失礼、共産主義者たちがロシアの同志から支援を受け、のさばりだした。それに対抗する善なる人々と組織運動が多く生まれたが、大戦で怪我をしたチョビ髭の伍長が綺羅星のごとく現れ、すべてを変えた。ドイツ国民が持つあらゆる不満を外へ向け、かつてのドイツ帝国臣民としての矜持を持てと、国民を鼓舞した。我々はそのいくつかの鼻をつまむような行動を見なかったことにし、貿易の便宜や経済的な支援まで行った。その結果どうなったか」


 ユスティナの話を聞いて、姉がいらいらと口を開く。


「何が言いたいのだ、ユスティナ」

「共産主義者、裏切者、善なる反対者、社会的弱者、障碍者、同性愛者、ユダヤ人、チェコ、オーストリア、そして我々だ」

「だから、何が言いたいのだ」

「なるほど。真意が伝わらなかったようなので、はっきり申し上げよう。おまえたち腑抜けた軍どものおかげで、我々はナチスの豚どもに食われようとしている!」

「腑抜け……だと?」

「我らが国を守りし騎士達は、女神ユーラテではなくナチズムを信奉しているのだろう?」

「ユスティナ。そもそも我が国民のほとんどがドイツ系だ。軍とて、指導はドイツ陸軍から得ている。その事実を無視して何を言うか」

「何を言う? おまえこそは何を言う。おまえたちは戦わずして、あのちょび髭に股を広げるつもりなのか」

「口を慎め。その言葉遣いはなんだ。このイギリスかぶれが」

「何をっ!」


 バンと円卓を叩いたユスティナに、エリシュカは黒縁メガネに手を添えて口を開く。


「戦争は不経済です」

「ふん、優等生め。そんなことは言われなくてもわかっている。戦わなければならんのだ!」

「戦わないのではなく、戦えないのです。我が国は小国です。ドイツは6980万人、私たちは42万人。160倍近く差があります。国民総生産比で言えば、それをさらに上回ってしまいます」

「なら、口に指をくわえて見ていろと言うのか?」

「そうではありません。戦わない方法を考えたいのです。私たちは良き隣人たるポーランドを支える代表的な港として、ポーランドで作られた穀物やさまざまな什器を輸出しています。その手数料が私たちの大きな糧になっています。それを守らなければ私たちは飢えて死んでしまいます」

「おまえが得意な数字で言えば、ドイツ軍273万人、対するポーランド軍は120万人。ポーランド一国では勝ち目がない。ましてや隣にいる赤軍が仇敵であったナチスドイツと手を組んだ。このままではひとひねりだろうよ」

「あなたが得意としている外交で解決を探る方法では?」

「ポーランドの外相をしているベックと話したことはあるが、あの日和見主義者がドイツと渡り合えるわけがなかろう。あれには信念がない。あるとすれば勝ち馬に乗りたいという卑しい根性だけだ」

「なら、あなたは?」

「イギリスと同盟を組む。ナチスがもっとも忌み嫌うイギリス軍とともに打ち返す。我が国はその橋頭堡となる」

「ドイツの支援を受けている我が国の軍がそれを許すと?」


 ユスティナは不機嫌そうに腕を組んで目をつむる。


「なあ、エリシュカ。おまえにはユダヤ人の血が入っているのだろう? 忌々しいナチスの突撃隊どもが、水晶の夜で何をしたのか知っているはずだが」

「知っています。でも、私欲でこの椅子に座っているわけではありません」


 姉が静かに口を挟む。


「私欲か。ユスティナこそ私欲があるのではないのか? イギリスに助けてもらうということは、ドイツと敵対するということだ。それがどんな意味になるのか。イギリス育ちのユスティナには理解がむずかしいかもしれないが」

「ほう。おまえこそベルヒテスガーデンの山荘に招かれているのではないのか? おまえが生まれたカリディス家といえば海運と造船が家業だ。まともな戦艦がない脆弱なドイツ海軍としたら、喉から手が出るほど欲しいだろうよ」

「……私は養子とはいえ、ドイツ騎士団から血を受け継ぐ、栄誉あるカイザーリンク家の一員としてここにいる。その言葉は我が家すべてへの侮辱だ。聞き捨てならん!」


 ふたりが椅子を蹴って立ち上がる。円卓を挟んでにらみ合うふたりは、いまにも噛みつこうとする猛犬のように見えた。


 私は天井を見上げた。そこには女神ユーラテと五人の使徒が描かれていた。嘆く女神ユーラテに、やさしく寄り添う少女たち。フレスコ画だとは聞いている。古くからここにあるのに、その鮮やかな色はほとんど褪せていない。それが私にこれを描いた人々の祈りを感じる。


 でも、その絵の下にいる私たちは……。


 私はふたりへ何も言えずにいた。口にしたらきっと「また、おまえは」と姉に叱られる。もっとひどいことを言われるかもしれない。


 私は左腕の袖をぎゅっと握り締める。誰かの小言を聞いているときのように、ただ時間が過ぎればと願いだす。

 来年度に向けた予算、産業の成長課題の解決、食料の調達、高騰する物価への対応策……。

 この会議で決めなくてはいけないことは、私の頭の中だけに留まり、口にはできない。


 無理だよ、こんなの……。


 ヴァウェンサ議長の透き通った声が、私の顔を上げさせる。


「ふたりともやめなさい。〈聖使徒〉は、言葉で戦うはずですが?」


 姉はふんと鼻を鳴らして、どかりと椅子に座った。一方のユスティナは、めずらしいものを見つけたように、その顔を私へ向けた。


「そういえば、ここにもひとり、カリディス家の娘がいるではないか。ぜひともご高説を伺いたい」


 え、私?

 とまどう間もなく、ヴァウェンサ議長が同調する。


「そうですね。私も聞いてみたいところです。では、リリロアさん。あなたはどう思っていますか?」


 みんなが私を見ている。見つめられている。その視線は細い針になり、私の体に突き刺さる。それは皮膚の下でうごめき、私の心の深いところまで探られる。恐怖で身がすくむ。学校で浴びた悪意、家で感じた嘲笑、そのすべてよりも悪いものを、私に向けられた。


 困る。何を言っていいのかわからない。


 どうしたらいい?

 どうしたら怒られずに済む?

 どうしたら失望されないで済む?


 言葉が見つからないまま、椅子から立つ。みんなの顔色を伺う。みんなが求める言葉をそこから探す。そうして、ゆっくりと探りながら、私は言葉を口にする。


「私たちは苦境の中にいます。イギリスではチェンバレン首相とハリファックス外相を中心に、ナチスドイツとの融和政策を進めています。去年開かれたミュンヘン会談がその最たるものです。みんな戦争に巻き込まれたくないからです。フランスもオランダもベルギーも。そのため、私たちが戦うという選択をしても、必ずしも歓迎されることにはなりません」


 ユスティナが口を開こうとする。そう言いたかったはずなのに、否定しようとするのを私はその表情から感じる。だから、私はそのまま言葉を続ける。


「ナチスドイツの戦略意志は先の大戦で失った領土の獲得です。ヴェルサイユ条約で手放したポーランドの東半分と私たちに隣接した地域、その上にある飛び地となった東プロイセンまでの回廊。ここを得なければ、ドイツ国民が納得しない。大帝国の臣民だった優越感に再度浸り、そして血を流し、その恍惚とする万能感の前に、もう後戻りができない。我が国の8割はそんなドイツに由来を持つもの、もう1割がポーランド人、そしてもう1割がこの地域に太古から暮らすカシューブ人です。もしこの8割の人がナチスドイツと同じ心境になれば、我が国で水晶の夜事件が再来することは火を見るより明らかです」


 姉が手を上げるが、私は無視をする。手が震えだす。そうしてしまったことに体が先に反応している。


「ポーランドは95万人からなる軍備があります。しかしまだ動員令は敷かれておらず、全員はまだ戦えません。これでは長大なドイツとの国境を守り切ることはできないでしょう。一方で私たちはせいぜい2万人しか動員できません。ほとんどが民間人です。また、ポーランドが輸出しているほとんどが小麦といった穀物、その次に石炭です。その大半はドイツへと輸出されています。隣にいるソ連ではなくです。仮にこの人口や軍備の差を以って戦争を回避したとしても、ポーランドはドイツのために働かないといけません。そこから糧を得ている私たちも同じことです」


 エリシュカが事実を述べた私から目をそらす。エリシュカはわかっている。戦争を止める方法なんか私たちにはないことを。


 ユスティナが口を開く。


「だから、なんだ?」


 だから?

 だからって、それは……。


「戦争……反対、ということです」


 ユスティナは「はあああ」と、誰よりも大きなため息をついた。


「そんなことはわかっている。おまえの言葉は実に牛のクソだな。一見役に立ちそうだが、中身はクソだ。その言葉で何万人と死ぬんだぞ。一体誰に向けてその言葉を口にした? これから死ぬ国民か? それともおまえを可愛がっている姉にか?」


 みんなが私を見ている。あきれている。怒られている。それすらない顔を見せる。焦燥感と苛立ちが私の中で泡立つ。それはそのまま口から飛び出した。


「では、どうしたら戦争は止められるのですか?」


 みんなは私の問いに答えない。


「そもそも、どうして戦争は始まるのですか?」


 誰も問いに答えない。


 なら、なんて言って欲しかったの?

 みんなは戦争に反対しているって、言っているのに。

 だから、私もそう言っただけなのに。


 なのに……。


 うつむく私に、姉の声が届く。


「もういいだろう、リリロア」


 私は顔を上げる。姉は私を冷たく見つめ、それからあきらめたようにため息を漏らした。


「リリロア。言葉を選べ。おまえの人生、すべてを賭けて、言葉を選べ。それが出来なければここにはいるな」


 身がすくむ。姉が言うことはもっともだ。そう思えと私の心が訴える。でも、私はわからない。みんなが望む言葉なのに、その言葉を選んだのに、それを否定された。軽々しく言ったつもりはない。私だって戦争は嫌だ。だから……。


 悩みだした私を見て、姉は察する。


「議長閣下。リリロアはこの場に不適任だと思われます。リリロアはわかっていません。戦争反対と唱えるだけでは、戦争は止まらないことを。どうか、御裁可を」


 体が震えだした。私は力なく座り込む。


 きっと、ダメなんだ。もう……。

 それがわかってしまう。私にはわかってしまう。そう言われ続けた私だから。


 うつむく。そしてまた左腕の袖をぎゅっとつかむ。


「果たして、そうなの……でしょうか?」


 その声で顔を上げる。ヴァウェンサ議長がみんなへ挑むように微笑んでいた。私はとまどう。その表情は、エルヴィラが隠していた笑顔に似ていたから。


 そのとき、議場の扉が突然開いた。一斉に各家の執政官達が入ってくる。背広姿の男、スーツ姿の女が速足でそれぞれの使徒に近づき、耳打ちをする。最後にエルヴィラがやってきた。私に顔を近づけ、小声で話す。


「ナチスドイツからの特使が、〈聖使徒〉に会いたいと、こちらまで訪ねられてまいりました」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

次の更新予定

2025年12月26日 08:00
2025年12月27日 08:00
2025年12月28日 08:00

神託機関 ー円卓で斬り結ぶは言葉、少女は戦争へと抗うー 冬寂ましろ @toujakumasiro

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画