第2話
(メリク……)
ラムセスは目を閉じた。
メリクは師から、何一つ言葉は与えられなかったのだ。
こうして自らの正しい学びになり、光になり、悪しき因縁に関わらないよう、
そっと手を引かれ安全なところに導かれるような、そんな言葉は何一つ。
『悪人は魂が死んでいる。だから不死者の方が生きている人間より彼らに近い』
メリクが呪いのように繰り返す【闇の術師】というあの言葉。
……自分も生者より、死んでいるものにずっと近いと、彼は考えているのだろうか?
「ラムセスさん?」
テーブルについた肘で、軽く額を押さえ目を閉じていたラムセスに声を掛ける。
「――メリクが北嶺に向かった理由だがな……」
「ラムセスさん、メリクがアフレイムに向かったこと誰から聞いたんですか?」
「本人だよ」
エドアルトは、はっきりと息を飲んだ。
「まぁあの時期北嶺に行ったなら、目的は【次元の狭間】を閉じることだと思う。
あいつ自身もそのようなことを言っていた。
だが俺はそれは建前だと思う。
何故なら、あいつには【次元の狭間】というものがどういうものか、
正しく理解し、判断出来ただろうからだ。
普通の人間にとってそれがどういうものか分からない得体のしれないものだとしても、メリクにとってはそうではなかった。
理屈では閉じ方も分かっていたはずだ。
自分には不可能だということも含めてな。
なのに何故、メリクはそこに行ったとお前は思う?」
「俺ですか? 俺は……。ラムセスさんが言った通り、メリクは何かは出来ると思ったんだと思います。それが閉じることか、閉じやすくすることか、俺には分からないけど」
彼らの共に過ごした時間はごくわずかなものだったはずだが、しっかりとメリクの魔術師としての感性がエドアルト・サンクロワには伝播している。
ラムセスは優しい表情で、真剣に、大切なことを話しているようなエドアルトの顔を見ていた。
弟子を見れば、師が見える。
……普通ならばそういうものなのだ。魔術の師弟というものは。
だがいくらメリクを見ても【魔眼の王子】の本質も意図も、何もラムセスには見えてこなかった。
なぜ、それほどメリクを憎み、忌み嫌ったかも。
「メリクは自分が力を持っていたから、それを知っていたから行ったんだと思います。
あの人の、優しい魂が、世界を見捨てられなかったんだと思う……」
ラムセスは立ち上がる。
窓辺に歩いて行く。
「ラムセスさん」
「なんだ?」
「……俺は、そう思うけど……。
実はメリク自身から、北嶺に行く理由は話してもらったんです。
旅立つ前にメリクは話してくれた。
それまで話さなかった、全部を。
多分、もう二度と話す機会がないと、彼は分かっていたからだと思う。
メリクはよく話してくれました。
自分は【闇の術師】なんだって。
魔術観では、俺は【光の術師】らしいです。
ラムセスさんなら知ってると思うけど、
闇の術師は自分の意志で何かを行うと、悪しき因果を呼ぶことが多いんだとか。
光の術師はその逆です。
だからメリクは自ら話すことも、少なかった。
話すことも彼の中では『何かを行うこと』に入るからです。
でもあの時は……話してくれました。
【闇の術師】が正しいことを自分の意志で出来ることは、驚くほど少ないみたいです。
多分メリクはあの時が数少ない、自分が自分の意志で動ける時だと思った。
メリクが北嶺を目指したのは――魔術の師のためです」
いつの間にか、空は黄昏れ始めていた。
「知ってますよね、サンゴール王国の第二王子です」
「ああ」
「あの人が、死んだんです。数日前のことでした。
それまでメリクは一度もその人のことを自分では話さなかった。
俺も何回か聞いたことはありますが、メリクは『師はすごい魔術師だったけど、自分は不肖の弟子だから、彼の許から逃げ出した』と言っていました。
負い目があると。
メリクが時々行う善行も【闇の術師】である彼が、そういう自分に誠実に魔術を教えてくれた師に対して、礼も言わずに逃げ出してしまったことが、気に病むと……自分が完全なる悪人になったわけではないと思い出したくてやってると言ってた。
メリクが旅立つ数日前、変なことがあったんです。
雪の中を歩いてる時に一瞬メリクが倒れて、痛みを感じたと胸の辺りを押さえた。
俺は全然分からなかったけど、
その数日後サンゴール王国から第二王子が戦場で死んだと報せが入って。
その報せを受けた時の……。
メリクのあんな顔見るの、初めてだった。
それまでどんなことがあっても、冷静で、穏やかで、驚くこともない人だったのに……。
数日後、目が覚めると宿の下にメリクがいた。
別人に見えました。
俺はそれがサンゴール時代の彼なんだと分かりました。
サンゴールにいた時の彼は、こういう人だったんだと。
メリクは一人で向かいたいと言った。
何度頼み込んでも、駄目でした。
あの人の師はサンゴール王国の王子として生きて、王子として死んだ。
だから自分もそれに殉じなければいけないと言っていました。
俺はその理屈全然分かんなかったです。
サンゴールの王子が国の為に不死者と戦ったなら、
俺とミルグレンを連れてメリクも不死者と戦えばいい。
三人で北嶺に行って【次元の狭間】に挑もうと言ったけど、頷いてくれなかった。
……長い間、彼は魔術ということを忘れていたらしいんです。
俺にはメリクは魔術師としか見えなかった。
それも、すごい魔術師に。
でも本来、魔術師とはそんなものじゃないそうです。
ただ知識を持っていて、自分の望む時に望むように使える……そういうのでは。
魔術師は常に学んで、魔術のことを一日中考えながら側で過ごさなきゃいけない。
気ままに旅して、気ままに魔術を使い、
楽しくて……そんなのは、本当の魔術師じゃない。
なくなって行くんだと。
メリクはだから、自分を魔術師じゃなくなったと長い間思いながら過ごしてたんです。
俺がメリクの魔術に何度も命も、心も救われていた間も、彼の中には罪悪感があった」
あの人が言ったんだと一瞬の激情で責めた、あの姿がラムセスの脳裏に浮かんだ。
自分という器に魔力を吹き込んだ。
この世界に、
魔術というこの素晴らしい世界があることを、彼は教えてくれた。
「メリクはずっと師を裏切ったと思い続けていたのかもしれません。
でもあの時、その人の死をメリクは感じ取れた。
自分は彼の弟子で、まだ魔術師であることを……。
それを実感出来たことを、メリクは『嬉しい』と言っていました。
俺は今でも、ついて行きたかったし、
……ついて行くべきだったんじゃないかと思ってます。
けど、その時そう出来なかったのは、自分に自信がなかったからじゃなかった。
メリクが会ってから初めて、
あんなに嬉しそうに『一人で向かいたい』と言ったからです。
だから止められなかった。
……どうしても」
エドアルトは顔を上げた。
「すみません。おれ……一人でずっと喋って……。
あの、ラムセスさんが聞きたかったことって」
「もう全部、答えてもらったよ」
ラムセスは背を向けたまま、そう言った。
「すいません、俺ちょっと……顔洗ってきます! すぐに本棚はやるんで……」
エドアルトは慌てて部屋を出て行こうとした。
なんだか、自分が泣きそうな気がしたからだ。
「エドアルト」
振り返ると魔術師ラムセスがこちらを向いて、軽く微笑んでいた。
「メリクにな。
【闇の術師】が悪しき因果ばかり招くなんて迷信だと、お前から言ってやれよ。
お前はメリクに会って、人の中にある光というものの本質に確かに触れたはずだからな。
それにどういう風に触れなければならないかも」
エドアルトは息を飲んでから「はい!」と明るく笑顔で答えて、元気よく駆け出して行った。まるでそれくらいなら自分にでも出来る、と思ったようだ。
「はは。元気な奴だ。
メリクの人生最後の旅の同行者が、あいつだったことだけは幸運だったか」
――不死者のような心で、
愛する者と完全に別離し、世界を彷徨っていた青年が、
あの光を思わせる魂に出会った。
メリクは彼を誠実に教えている。
少なくとも、最初はそれと向き合いたくないと逃げ回っても、
どこかで彼は向き合うことに決めた。
……自分に与えられた、最後の使命と思ったのだろうか?
『気ままで、自由で、楽しい。そんなのは本当の魔術師じゃない』
ゆっくりと黄昏れて行く世界を眺めながら、ラムセスは小さく笑んだ。
なんて悲しいことを言うんだよ。
【終】
その翡翠き彷徨い【第86話 白き記憶】 七海ポルカ @reeeeeen13
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