銀河中心部卵構造体仮説 ―Galactic Center Egg Structure Hypothesisー

涼風紫音

銀河中心部卵構造体仮説 ―Galactic Center Egg Structure Hypothesisー

■要旨

 従来、銀河中心にはブラックホールが想定されてきた。これは一定の理論の範囲においては正しく、またその理論における矛盾によって不十分である。問題の一つは事象の地平における完全遮断が存在しないことである。一般にブラックホール情報パラドックスと呼ばれるものである。いま一つは活動銀河核(Active Galactic Nuclei=AGN)の放射が初期銀河ほど強く、この宇宙の最初期にはより大きなブラックホールが急速に成長したことを説明する有意な説を持ち得ていないことである。その規模のブラックホールに吸着する、ガスなどの恒星間物質の吸着速度限界であるエディントン限界を超えることへの論理的説明は不十分である。

 これらの従来の仮説における限界に対し、銀河中心部にはブラックホールではない別の存在を仮定することにより、これらの問題の解消を試みるとともに、それが示唆する汎銀河文明論を立論することにある。

 本論文では、その仮説における銀河中心部に球状巨大構造体が存在するものと仮定し、その存在が従来のブラックホール仮説に対して如何に優位であるかを論じる。


■定義

 銀河中心部にあると想定される天体あるいは天体と呼ぶべき存在を「球状巨大構造体(以下「卵」)」とする。「卵」は当該銀河におけるエントロピーの勾配を調整する機能を有するものとする。

 従来の宇宙物理学において、ブラックホールはエントロピーが最大であり、それにも関わらず情報パラドクスが存在している。これに対し、「卵」がエントロピーの勾配を保つ機能を有すると仮定する場合、この矛盾は無視できる。

 加えて、初期銀河においてブラックホールではなく「卵」が存在していると仮定する場合、エディントン限界を顧慮する必要がない。なぜならば恒星間ガスの吸着限界とは無関係に、「卵」はその機能の結果としてただ規模が決まるのみだからである。


■宇宙観測的前提

 要旨で述べた通り、強重力場・高エネルギー放射などの観測についてはブラックホール仮説と整合するが、事象の地平に完全遮断が観測されていないため、「卵」の構造体としての規模と密度に応じて現在の観測結果をすべて満たす仮説の立論が可能であり、事象の地平に完全遮断が無い状態を理想的に想定可能である。つまりなんらかの構造体をブラックホールに代えて想定しても従来の観測結果との非整合は生じないのである。


■「卵」の定義

 本論における「卵」とは、その「銀河におけるエントロピー勾配を保つための非平衡状態を維持する巨大構造体」を指す。

「卵」が非平衡状態を維持する機能を有することで、ブラックホールのエントロピー最大状態と対抗し、銀河のみならず宇宙全体で見た場合のエントロピー問題を解決するものである。

 加えて、本論においてエントロピーとは熱力学・統計力学のみならず、情報学におけるそれをも包含するものである。初期銀河においては、当然その生成から日も浅く文明の発展なども未成熟であると想定可能であることから、「卵」は非平衡状態を保つ範囲をより広くあるいは深く取る必要から、必然にその構造を巨大化させる。この時「卵」が影響を及ぼし得る範囲は、構造体の密度・規模に応じて決定される。


■「卵」と「孵化」

 銀河中心部にある「卵」を推論するにあたり、生物学を宇宙物理学に応用する場合、この構造体の「殻」はその内部と外部との間の熱力学的境界面となる。「卵」がエントロピーの勾配を保つ機能を有している場合、銀河内における恒常的なエントロピー上昇を、文字通りの意味で抑え込む機能を持つと考えることができる。従って、調整可能な範囲において、「卵」は決して孵化しない。「孵化」とは「卵」の内部に保持されている調整用の膨大な低エントロピー状態の解放を意味し、銀河規模でこれが発生した場合、その影響は致命的である。

 すなわち、解放された低エントロピーはエントロピーを高めつつある文明を崩壊させることで、その均衡を保つことになる。実質的な銀河の死である。その結果、銀河は崩壊し、恒星生成や文明創造の基盤を軒並み失うこととなる。それゆえに「孵化」するとき、われわれの文明もまた死に至る。これは超巨大ブラックホールが宇宙の寿命よりもはるかに長大な熱的発散の期間を以て初めて消失するのに対して、場合によっては遥かに即時的に甚大な影響を想定せざるを得ない。


■文明論と「卵」

 本論において、文明とはエネルギー消費の程度や技術ではなく、もっぱら意味情報の生成レベルによって規定される。エネルギー利用はこの規定において、ただの副産物に過ぎず、本質ではない。したがって、熱力学的エントロピーは意味エントロピーを生成する過程で生まれる副産物である。あらゆる科学反応から生物活動までは、すべて意味情報を持つ。

 それゆえ、「卵」を持つ銀河において、文明はその意味情報においてエントロピーを図ることとなる。初期文明においては非合理的信仰、習俗によって秩序が形成され始め、科学と論理によって情報は統合され始める。最終的には極端な普遍化・合理化によって意味情報は均質化し、衝突が減り、したがってエントロピーの生成は低減する。あらゆる情報をデジタル情報に置き換えたとき、それが完全に互換可能なバイナリ(2進法)に置換することが可能となり、そこにおける情報学における生命情報は完全に意味を失う。

 これは「卵」がエントロピーの勾配を維持するにあたり、その銀河において生じるエントロピーが生成されないことを意味し、その構造体の殻の中に取り込まれるエントロピーが減少することを意味する。


■高度文明分布予測

 「卵」を軸とした文明論から導かれる帰結は、高度文明ほどその意味エントロピー生成が減り、したがって短命となる(すなわち速やかに均衡する)。逆に低度文明は、意味エントロピーの生成が盛んとなり、それゆえに長命となる。均衡に至るまでの時間は意味エントロピーの生成と意味の均質化の程度によって規定される。

 銀河の腕の外縁に位置する我々の近傍に着目すべき文明が存在しないことは、まだ意味エントロピーの生成が盛んだからであり、高度文明ほどには意味の多様性が消えていないからでもある。意味多様性を失うほど、近傍星系に文明が生まれる可能性は増大すると予測される。これは単純に「卵」を通じたエントロピーの勾配をあるべき状態に維持するための自然分布であり、「卵」に近づけば近づくほど高度文明は増大し、また短命化すると想定可能である。


■文明勃興の意味エントロピーにおける作用

 文明の尺度を意味エントロピーとした場合、それを生み出し続ける限り、「卵」が持つエントロピーの勾配調整機能は保持される。しかしすべての文明が高度文明になり、意味情報が均質化し、普遍化し、したがって差異が失われ、衝突が消えるほど、「卵」の機能維持に必要な意味エントロピーの生成が失われることを意味する。

 この時、文明の存在とは、知性の発達による結果ではなく、「卵」を維持するために必要な活動としての必然である。そしてまた、一つの高度文明が失われる時、そこには低度文明が勃興する意味エントロピーの余地が生じる。あらゆる意味が均質化・普遍化し、それが銀河内のあらゆる文明で実現された場合、それは「卵」が調整すべきエントロピーの勾配は失われ、「孵化」へと向かうことになる。それは我々の文明とて同様である。


■「孵化」とは何か

「卵」が仮に「孵化」した場合、それはその銀河内で意味エントロピー的平衡をもたらし文明を死に至らしめるだけだろうか。エントロピーの均衡を保つために殻の内側へと取り込まれたそれは、文明の勃興・盛衰の頻度・規模を考慮すれば、蓄積する意味エントロピーがより多くなる可能性が存在する。すなわち意味エントロピーは、「孵化」で放出されるものだけでは説明できないということである。この点についてはブラックホール情報パラドクスの解決仮説の一つである、別宇宙へと意味情報を転換し放出することを想定可能である。「孵化」とはすなわち新たな宇宙の誕生を意味するのである。


■結論

 銀河中心部卵構造仮説は、文明の勃興・発展・衰退が「卵」の維持に寄与し、その結果、宇宙の熱的死を遅延させる機能を有する、銀河レベルでの意味エントロピーの調整装置とみなすことができる。我々の地球文明もまたその一つにすぎないのである。極度に高度化された文明は、いずれ「卵」を「孵化」へと至らしめるだろう。



■補論追記

 本論文発表後、多方面から大いなる批判が生じたことをここに記す。エントロピー概念の混同、流用、「卵」が質量・密度の両面でそれを構造体として維持不能ではないかといったものがその中心である。それらは現在の物理学、量子力学、熱力学、その他の地球上の存在する科学理論において、正しい指摘である。

 しかし本稿は、我々の文明の勃興という意義を検討する際、単に確率の問題に留めることなく存在論的証明として捉え直すことを要請している。つまり、我々自身のこの宇宙における存在を必然たらしめるためのそれである。

 その点においては他の論考が成し得ていない文明論として一石を投じたものであることを揺るがすものではないと確信している。




■参考文献

1.ベネディクト・アイスマン著、『エントロピー理論のコペルニクス的転回による意味情報の観測仮説』、雑誌『概念的宇宙論文集』第二巻、2032年

2.ジョージ・エッセルバッハ著、『ブラックホール代替理論の未来史』、ナショナル・ギャラクティカ、2035年

3.ベンジャミン・ロナルド・ギュント著、『宇宙理論の限界とその先』、国連宇宙開発機構US支部、2039年

4.シェコヴィッチ・グラーフ著、『多元宇宙論とその生成理論の始原』、近未来書庫、2036年

5.ハイドリッヒ・シェントン著、『文明と宇宙』、ヒルベルト大学図書刊行会、2034年

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