花と水ぶくれ
鋏池穏美
家の裏山でハナコドモを食べてしまった。「ハナコドモは美味しそうな匂いがするし、食べてしまいたくなるけれど、我慢しなければならないよ」と口を酸っぱくして言われていたのに、食べてしまった。食欲には勝てないし、酸っぱくなくて甘い匂いに負けたのだ。
二十歳。成人したのが嬉しくて、裏山でモリカッパを探していたのが仇となった。モリカッパ用の茄子を齧ると、夏の味がした。
わたしの体からはハナコドモの匂いが漂い、胃がムズムズしてしまう。このままではわたしも、お母さんのようにハナオトナになってしまう。ハナコドモと違って、噎せ返るような甘ったるい蜜をだらだら垂れ流すハナオトナに。
──ちょっと痒いの。左目の花、抜いてちょうだい。
お母さんに頼まれ、左目に咲く花を抜いたことがある。貴子と名前の書いてある、白くて美味しそうな匂いのする花。根が神経みたいに眼球に張り付いて、ずるりと目玉ごと引き抜いた。「痛くないの?」と問いかけると「気持ちいいわよ。またすぐ生えるし」と言って、その日の夕飯は引っこ抜いた貴子と名前の書いてある、白くて美味しそうな匂いのする花のおひたしが出た。甘くて、ほうれん草の胡麻和えみたいに美味しい。
──ちょっと痒いの、頭の花、抜いてちょうだい。
──ちょっと痒いの。右胸の花、抜いてちょうだい。
たくさん抜いた。お母さんは気持ちよさそうな顔で、なんだか別の生き物みたいで怖かった。色んな穴から蜜を垂れ流すし、掃除をする方の身にもなってほしい。
わたしはハナオトナになってしまう嫌悪感に怯えながら、近くの街に
仕方なく街行く男性に「汗の方の汗疱屋さんはどこですか」と尋ねると、「絞らせてくれたら教えてあげる」と言われてしまう。「絞る?」と応じると、「ほら、花が咲いてるよ」と男性が私の臍を指差した。見ればちょこんとお花が咲いている。花子と名前の書いてある、赤くて美味しそうな匂いのする花。こうなってはハナオトナになってしまうのも時間の問題だ。わたしは男性に「痛くしないでください」と伝えた。
ぎゅうぎゅう。ぎゅうぎゅう。
男性が花を絞ると、ぽたぽたと蜜が滴った。「美味しい、美味しい。ありがとう」と言って蜜を飲み干した男性は、「もったいない」と言って地面に零れた蜜を舐めた。「気持ち悪いです」と伝えると、「うん」と返事をする男性。「汗疱屋はどこですか?」と問うと、「ここだよ」と言って目の前のビルを指差した。
ビルには「ファッションヘルス漢方屋桃色カーテン」と書いてある。「最近、ファッションヘルスと漢方屋を始めたみたいだよ」と言うので、わたしは「汗の方と言いました」と言って、男性の頬を打った。一回。二回。もう一度「汗の方の汗疱屋はどこですか?」と問うと、「汗の方の汗疱屋も続けてるから大丈夫」と男性が言う。
ビルに入ると、噎せ返るような甘ったるい蜜の匂い。お母さんの匂いもした。あれ、もしかしてと鞄をごそごそ探すと、「ファッションヘルス漢方屋桃色カーテン」、「村山明日香」と書かれた名刺が出てきた。お母さんに渡され、いらないからと鞄の底にしまっていたものだ。そうか、ここがお母さんの職場なんだ。あぶあぶ、あぶあぶ。たくさんの部屋から、ハナオトナの声と蜜の匂い。
ひとまず奥の「汗疱屋入口」と書かれた暖簾をくぐると、熊みたいな男性がいた。「ハナコドモを食べてしまって、治してください」と告げると、男性は「分かった。でももう君は卵生になってしまうかもしれない」と言って、わたしのお母さんを呼んだ。二人とも裸になった。「少し時間がかかるから」と男性に言われ、丸椅子に座った。
あぶあぶ。あぶあぶ。
男性がお母さんに覆いかぶさり、お母さんの手足が男性の背中に絡みつく。腰掛けた丸椅子の目の前、床の上で二人が汗だくになる。濃密な蜜の匂いと、男性の蒸れたコタツの中のような匂い。「何をしているんですか?」と聞くと、「擦ると透明で小さな水ぶくれができるんだよ。汗疱だよ」と男性が言い、お母さんはわたしの臍のお花を見て、「花子はこの前産まれた私の子供よ。食べてしまったのね」と言った。あぶあぶ、あぶあぶ。
お母さんにできた汗疱を割ると、たらりと蜜が溢れた。少しぬるくて、覚えてはいないけど哺乳瓶のミルクを思い出した。飲むと、お母さんの匂いがした。
花子と名前の書いてある、赤くて美味しそうな匂いのする花はもうないけれど、しばらくしてわたしは、卵を産んだ。
花と水ぶくれ 鋏池穏美 @tukaike
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます