わくでなし

脳幹 まこと

アイデンティティの中にひとり。


 昔から枠が欲しかった。

 他の誰かが「気が合うね、僕もだよ」と言ってくれるような、ちょうどいい枠。


 自分を納めるための枠。


 ずっと見つからなくて、僕は人一倍寒い空の下を歩いている。


 旅路を振り返ってみよう。


 昔から、塞ぎがちな男の子だった。どうにもまわりが速く感じられて、ついていくのが辛かった。というより、あたりが慌ただしく……実際はそれが普通のスピードだったんだろうけど……動くものだから、それで目がちらついて、まともに状況が分かっていなかった。

 分からないから教えて欲しいと言えればよかったのに、僕の口はついにそれを一言だって零さなかった。

 なぜだろう。「こんなことも分からないの?」って言われるのが嫌だったのかな。そんな風に言われたことなんて、大人になってからしかなかったのに。

 のろのろしていた。傷の治りもおそかった。うじうじしている間に就職活動が始まった。僕は面接でなんて答えたのだっけ。グループディスカッションで飛ばされたことしか覚えていない。


 社会人はそこに良くも悪くも、自分の拠り所の一つを仕事に見出すと思うのだが、僕の仕事は俗に「いてもいなくても変化がない」という類いのものだった。仕事をしているという実績を作る仕事だった。ひとりで誰とも会話せず、一時もサボらず、黙々と勤務実績だけを作るのだ。誰でも出来る。そういうわけで給料は最低限暮らせる程度のものだ。キツいというより、無限に退屈な仕事だ。


 当然、この状況で枠が出来るわけでもない。

 暮らしはこのままでいいにしても、何とか自分の枠は作っておきたい。


 最初、僕は本に没入しようとした。悪くはなかったんだけど、どうにも空しかった。読書そのものより、本を読む自分というものに酔っている気がしたのだ。

 読書家と呼べるほど本を読んだわけでもなく、またクラシックと呼ばれる重厚そうな本は手をつけなかったので、人におすすめできるほどでもない。いくら読んでも上達した気がしないのもあって、どこかの機会でやめた。本は縛って書籍の回収日にまとめて出した。

 

 次に日記を書いてみた。思いの丈を出すと、自分と向き合えるらしいのだ。

 意気揚々とかき出すが、この世への罵詈雑言をひとしきり吐くと何も浮かばなくなってしまう。一ページ目の半分も埋まらない。仕方がないので過去の寄せ合わせをする。

 友人のゲームボーイのソフトを持って帰ってしまい、後で先生を通じて酷く怒られたこと。

 コアラとウサギのギャグ漫画を描いていたが、親に見られたので筆を折ったこと。

 見栄のために二千円を赤い羽根の募金箱に入れ、猛烈に後悔して、恨めしい目を向けながら自宅へ帰ったこと。

 自分がダメになりそうになったので、そのページを破ってくずかごに入れた。新品同様の日記帳の行方を僕は知らない。


 続けてギャンブル、酒や煙草をやろうとするが、今さら感が出てきてしまって、一度も触っていない。

 確実にやりたい気持ちはあったはずなのに、どうにも幾つかの波が過ぎ去ってしまったらしく、全然興味がわかない。どこか遠くに旅行へ向かうためにそういう類いに手をつけるのだと、素人目線からそう思うのだが、別に遠くへ行きたいわけではなかった。僕は枠が欲しいだけなのだ。


 そうやって回避し続けること自体が、何らかの病なのではないかと思いはじめた。いくらなんでものみこみが悪すぎる。

 自費で脳MRIを受けた。ビビビーガッガッガという騒音がずっと耳に響いた。結果は異常なし。

 理由もないのにカウンセリングを二度受けた。一度目は何も言えず気まずい時間を過ごした。二度目は思いの丈をすべて吐いた。カウンセラーはずっと頷いていた。

 結果的には自閉症でも統合失調症でもなく……若干反応速度が遅く、無気力気味で、こだわりの強い傾向のある、健康な一般人だということが分かった。

 ただの、いまいちな、できの悪い、くだらない、一般人だった。

 そんなバカなと勇気を持って食い下がってみるも、最終的には「疲れ」だと診断された。僕の人生は疲れで誤魔化される程度のものだったのか。

 この疲れはいつ取れるというのだろう。

 俯いたまま、僕は次の患者さんと入れ替わった。僕よりも重要な、優先すべき人が他にごまんといる。そうやって社会は回っている。


 僕は外に出た。そのまま、電車で一時間ほどかけて小田原まで向かい、ふらふらと歩いて、やがて、名前も知らない海岸についた。

 特筆することは何もない、どこにでもある海岸だ。オフシーズンの曇り空というのもあって、そこには誰もいなかった。

 何をするにも中途半端な様子は、僕と似たようなものだろうか。


 そういえば、海で遊んだこともなかったな、と思った。

 町内会の祭りも、学校の文化祭も、そういった交流の機会を、僕はいつもフイにしていた。

 どうして誰も声をかけなかったのだろう。どうして誰にも声をかけなかったのだろう。


 何か叫ぼうとして、叫ぶ言葉がないことに気付いた。とてもしょうもなく感じた。

 何故だろう、全然こみ上げてこない。こういう時は、何かこみ上げてくるんじゃないのか。


 それがずっと見つからなくて、僕は人一倍寒い空の下を歩いている。

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