第9話 灰の昼下がり
タクミ?ああ、そうだよ。俺があいつを迷宮で見つけて、ここに連れてきたんだ。
棍棒持って意味わからねえ言葉で話しかけてくるから、新手の魔物かと思ったよ。
ボスからは、「お前の一番の手柄はタクミを連れてきた事」なんてよくからかわれたけど、いまのアイツを見てると、自分を褒めてやりたね。
だってアイツのやってきた事に、みんな感謝してるだろ?
おかげさまで、いまこうして職員になれたのもアイツのおかげだしな。現役の俺がしったら驚くだろうな。
え?強さ?最近になって、みんな怪物って言うけど俺から言わせりゃ、ーー来た時から怪物だったよ。
――元冒険者・ギルド職員A(聞き取り記録より)
◆
昼下がりの教会、中庭のベンチで、タクミは棍棒を壁に立てかけ、パンを食べていた。
そこへ、修道服の影が近づく。
「お待たせしました、タクミ」
「セリエル。アリガトウ」
二人のやり取りは、いつもと変わらない。
けれど互いに知っていた――この街で顔を合わせられるのは、もうそう長くはないことを。
タクミは手にしていたパンを指先でちぎり、小鳥に投げた後、隣に置いてあったパンが多く入ったバスケットを向けた。
「……いらないって言ってるのに。毎回ありがとうございます」
「セリエル イソガシイ ゴメンネ」
青年は気を使わなくていいと伝えても、こうして会うたびに、律儀にお礼の品を持ってくる。
「いつもありがとう、みんなでいただきます。――それで今日は何を教えてほしいの?」
「ココ ヨメナイ ムズカシイ」
タクミは鞄から書物を取り出し、ページをめくり始めた。
◇
「――天使様はその身を犠牲にして、闇を打ち払った」
柔らかな声が風に溶けていく。
読み終えると、タクミは小さく首を頷いた。
「ワー テンシサマ スゴイ スゴイ」
言いながら、タクミはパンをちぎる手を、ほんの一瞬止めた。
「……不敬ですよ、タクミ。信じていませんね」
ベンチに横並びで座る二人。
セリエルは膝の上の書物を閉じ、タクミに返す。
「信仰とは……そう感じたとしても、信じることが大切なのです」
「……フーン」
短い相槌を残し、タクミはもう一度パンをちぎった。
鳥たちが集まり、光が揺れる。
その横顔を見ながら、セリエルはふと昔を思い出していた。
初めて出会ったのは、自分がこの街に来て間もない頃。
教会の廊下を、きょろきょろしながら歩く青年がいて、
声をかけたら、身振り手振りで“聖書を見たい”と伝えてきた。
言葉は通じないのに、瞳だけが真剣で、まるで何かを確かめようとしているようだった。
次に再会したときは、彼が冒険者として、巡礼の護衛でやってきた。
夜の野営でも、一切気を抜かず真剣に仕事をする人だった。
いつの間にか、言葉を教えるようになり、天使教の祈りも少しずつ覚えていった。
どうしてそんなことを始めたのか――理由はもう、思い出せない。
たぶん、彼がこの街に来た頃、ちょうど自分も赴任してきたからだろう。
互いに“異邦人”として、分からないことだらけだった。
だからこそ、どこか通じ合うものがあったのかもしれない。
粗野な職業についていながら、礼儀を忘れず、
誰よりも誠実で、言葉を慎重に選ぶ人。
どこか身分の高い出自かと思えば、言葉すら通じなかった。
けれど、頭は良く、理解が早い。
――不思議な人。
いまでは特級冒険者。
それでも、こうしてベンチでパンをちぎる姿は、あの日と少しも変わらない。
この街を離れることは、もう彼にも伝えてある。
互いに何も変えずに過ごしているけれど、
心のどこかで“終わりの時間”を数えている気がした。
風が吹き、鐘が鳴る。
セリエルが我に返ると、タクミがこちらを見ていた。
「セリエル?」
「え?」
少し間を置いて、彼女は微笑む。
「また、迷宮に戻るのですか?」
「イマ ハ ミマワリダケ。 スグ カエレル」
穏やかな声。
けれど、その奥にある疲れと覚悟を、セリエルは見逃さなかった。
「先日の迷宮でトラブルがあったと噂を聞いてます。大丈夫ですか?」
「……アア。 モウスグ、ライシュウ? イツモニ モドル」
「……そうですか」
セリエルは微笑んだが、その胸の奥が締め付けられるように痛んだ。
自分が聞いた情報が、どこかで彼の足を縛るかもしれない。
それを知りながら、何も言えなかった。
ソロソロ、イクネとタクミは立ち上がり、棍棒を肩にかけた。
昼下がりの光がその輪郭を金色に縁取る。
「マタ コンド。キョウ アリガトウ」
短い挨拶と軽く頭を下げ、背を向ける。
セリエルはその背を見送り、
小さく、祈るように唇を結んだ。
「――どうか、無事で」
鐘の音が街に広がる。
胸の痛みは、祈りとともに静かに広がっていった。
風が通り抜け、遠くの迷宮が低く唸る。
次の更新予定
2025年12月28日 19:00 毎日 19:00
棍棒ひとつで迷宮を往く @cla29
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