第3話:辺境の害獣駆除(クリーンアップ)

カスティール公爵家が面子をかけて送り込んだ「辺境鎮圧軍」。

その数、およそ三千。


白銀の鎧を纏った精鋭騎士団が、我がロウランド男爵領の境界線を埋め尽くしていた。


「はっはっは! 男爵家はついに頭がおかしくなったか! 農民を並べて、木の棒でこの公爵家騎士団に勝てると思っているのか!」

「逆賊アルス・ロウランド、我らがフェリクス様を襲撃した罪で討伐する!」


 馬上で高笑いするのは、騎士団長を任された公爵家の重鎮、ボルドー将軍だ。彼は王国でも勇名を馳せる武闘派だが、その瞳には辺境の弱小貴族に対する侮蔑しか宿っていない。


 対する俺たちの陣営は、俺を先頭に、後ろには鍬(くわ)や鋤(すき)、ただの木の棒を手にした領民たちが並んでいる。


(……やれやれ。元物理学者として言わせてもらえば、熱力学第二法則に抗ってまでこの平穏を維持するのは、想像以上にコストがかかるんだ。それを三千人分の軍靴で踏みにじるなんて、エントロピーの無駄遣いにも程がある)


 俺はリリが淹れてくれた温かいお茶が入った水筒を口にし、深く一息ついた。


「みんな、お待たせ。あそこにいるのは、僕たちの静かな暮らしを荒らしに来た『害獣』だ。……準備はいいかい?」


 さて、庭の掃除を始めよう。


 発動:『鉄の眠り(アイアン・レスト)』


「……お互い、時間を無駄にするのはやめよう。君たちの鎧に使われていた鉄原子の結合を、魔法で少しだけ『お休み』させた」


 俺が指をパチンと鳴らした瞬間、キィィィィンという耳を劈(つんざ)く高周波が戦場を支配した。  次の瞬間、ボルドー将軍が誇らしげに纏っていた白銀の鎧、精鋭たちの鋭い剣、さらには馬の蹄鉄までもが、音もなくサラサラと砂状に崩れ落ちた。


「な……っ!? 鎧が、砂に……!? 私の、私の伝説の銘剣がぁ!」


 数千人のエリート騎士たちが、一瞬にして下着同然の姿で、武器も持たずに荒野に放り出される。  鉄原子の共有結合エネルギーを外部から強制的に中和(デタッチ)したのだ。物理的に結合を「拒否」された物質に、もはや硬度なんて概念は存在しない。


「今の君たちは、赤ん坊の拳でも骨が折れるほど無防備だ。……さあ、やっていいよ」

「おうよ、坊っちゃん! 溜まりに溜まった肥溜めの恨み、晴らさせてもらうぜ!」

「よくも俺たちの畑を踏みにじってくれたな! 弁償しろこの野郎!」


 俺の合図とともに、領民たちが一斉に突撃を開始する。

鎧を失い、皮膚を剥き出しにした騎士たちは、ただの人間だ。領民たちが振るう鍬――リリが「良くなれ、強くなれ」と祈りながら水を撒いたおかげで、オリハルコン並の硬度と神秘的な後光を帯びた農具が、エリートたちの尻や脛を容赦なく叩き据える。



 その頃、男爵邸のキッチンでは。


「ふふっ、今日はリンゴがとっても綺麗。アルス様、お腹を空かせて帰ってくるかしら」


 鼻歌を歌いながら、リリがリンゴの皮を剥いていた。リリがリンゴに触れるたび、彼女の指先から溢れる純白の魔力が果実に浸透し、それは黄金色の輝きを増していく。


「皮を剥くのも、アルス様が作ってくれたこの魔導ナイフならとってもスムーズ……。あ、このリンゴ、なんだかすごく元気が出る匂いがします。きっと、ロウランドの土が素晴らしいのね」  


リリが微笑むだけで、キッチン全体の空気は浄化され、リンゴは「精神を安定させ、魔力を瞬時に回復させる極上の霊薬」へと変質していくのだが、彼女にその自覚は全くない。


「アルス様はとってもお優しいから。きっと領民の皆さんと仲良く運動会でもしているのかしら。私も、負けないくらい美味しいパイを焼かなくちゃ。心を込めて……えいっ!」

 リリが気合を入れた瞬間、背後のオーブンから神々しいまでの光が漏れ出した。



 一方、戦場では「運動会」とは程遠い惨状が広がっていた。


「ひ、ひぃぃ! 助けてくれ! 騎士としての誇りがぁ! 全部丸見えだああぁ!」


 全裸同然で逃げ惑うボルドー将軍の前に、影からシオンが音もなく現れた。  彼女の手には、俺が形状記憶素材と静電気操作で改造した『魔導猫じゃらし』が握られている。


「……主様の命。殺さず、尊厳を破壊する。あなたは笑いすぎて腹筋を崩壊させる刑に処す」

「ひ、ひぎぃぃ! 許し……ひゃははは! 助け……っ!! あはははは!!」


 超高速で動く猫じゃらしが、将軍の脇の下、足の裏、首筋を猛烈に襲う。物理法則を無視したその動きに、もはや回避は不可能だ。

 数分後、将軍は笑いすぎて呼吸困難に陥ったまま白目を剥いて気絶した。

 シオンはその首根っこを掴み、震えている副官の前に無造作に放り捨てた。


「……これを連れて、公爵家に帰れ。これより我ら領民による、領内の『害獣掃討作戦』を開始する」

「……次は、無い。次は猫じゃらしではなく、本物の掃除(スチーム)をする」

「ひっ……!」


 背後では、光り輝く鍬や木の棒を構えた領民たちが、ギラついた目で獲物(裸の騎士たち)を狙っている。副官は短い悲鳴を上げ、主君を担いで一目散に逃げ出した。


 この日、公爵家騎士団は「聖なる農具と、銀の猫じゃらしに敗北した」という、末代までの恥を歴史に刻むことになった。


「……シオン、あとは任せたよ。パイが焼ける前に帰らなきゃ。リリを待たせるのは、世界の終焉より重い罪だからね」

「……了解。お急ぎを、主様」


 戦場に漂い始めた、現実離れしたアップルパイの甘い香りに誘われるように、俺は一度も後ろを振り返らず、屋敷へと歩き出した。



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2025年12月24日 06:00

【だらだらしたい貴族の無自覚領地改革】 ~没落した許嫁を幸せにしたいだけなのに、いつのまにか王都を凌駕する最強の聖域を作っていた件~ こてつ @kurumi0123

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