第2話:リリへの溺愛と、価値観のバグった『箱庭』

公爵領への「物理的強制送還」という前代未聞の騒動から数時間後。


 我がロウランド男爵領へと到着したリリアーヌは、馬車を降りた瞬間から、その細い眉を不安げに寄せていた。


​「アルス様……本当に、私なんかがこちらに居てもよろしいのでしょうか? 公爵家をあんな風にしてしまって……いつか王軍が攻めてくるのでは……」


​ 没落した身の上で、さらに王国の重鎮である公爵家を(物理的に)敵に回したのだ。彼女が怯えるのも無理はない。だが、俺に言わせればそんなことは些事である。


「リリ。そんなことより、まずはここを見て。君のために用意した家庭菜園だよ」

「え……? さいえん……ですか?」


​ 俺が男爵邸に着いて最初に案内したのは、屋敷の裏に新設した小さな庭だった。


「わあ……! なんて青々とした野菜。それに、このお花……見たこともないくらい綺麗です!」

​ リリの瞳が、ぱあっと輝く。


 前世の知識を総動員した特製の液肥と、土壌の栄養バランスを完璧に整えた「現代農法」の結晶だ。


リリは「アルス様のお役に立てるなら!」と、一生懸命にジョウロで水を撒き始めた。彼女が花に触れた瞬間、微かに光が溢れた気がしたが……まあ、心地よい日差しのせいだろう。




​「次はこっちだよ。長旅の疲れを癒やしてほしいんだ」

​ 次に案内したのは、リリのために突貫工事で完成させた大浴場だった。


 この世界のお風呂といえば、使用人が付きっきりで薪を焚き、数時間かけてようやくお湯を沸かすという重労働の産物だ。だが、俺の家でそんな非効率なことはさせない。


​「リリ、ここが新しいお風呂だよ」

「お、お湯が……! 蛇口をひねるだけで、止まることなく溢れてきます! アルス様、これではお水がもったいないですっ!」

​ 慌てふためくリリを、俺は「大丈夫だよ」となだめる。


 前世の『熱交換器』の概念と、魔導的な『循環濾過』を組み合わせた二十四時間風呂だ。銀の魔力回路が大気中の魔素を吸収し、常に清潔で適温の湯を保ち続ける。


「魔力で浄化して循環させてるから、資源は無限だ。あ、そのスイッチを押すとバラの香りの入浴剤が出るから、ゆっくり浸かってね。王軍がどうとか考えるより、肌の保湿を考えるほうがよっぽど有意義だよ」


​ 風呂上がりのリリに、俺はキッチンでさらなる「もてなし」を披露した。


 前世の誘電加熱(IH)を魔法陣で再現した魔導コンロ。そして、世界初の『魔導冷凍冷蔵庫』。それらを使って焼き上げたのは、厚みのあるふわふわのパンケーキだ。


​「……っ! アルス様、この白い泡は何ですか? 雪のように冷たくて、雲のように甘いです……!」

「それは生クリームだよ。メレンゲの化学的安定を利用した、特製パンケーキだ」


​ 一口食べたリリの瞳が、大粒の涙で潤んだ。

「……おいしい。私、生きててよかったです。没落してからは、硬いパンしか食べられなかったので……」

「これからは毎日食べられるよ。リリが食べたいものは、全部俺が魔法(かがく)で作ってあげるから」

​ 幸せそうに頬を膨らませるリリを見届け、俺は満足感と共に隣の部屋へ移動した。耳元の『魔力通信機』に指を触れ、影に控える最強のメイドへ連絡を入れる。


​「シオン。リリの寝室の壁には『音響透過損失』を最大化した魔法防音材を編み込んでおいた。これで夜中に俺が隣の部屋で『独立のための超電磁兵器』を試作していても、彼女の安眠は妨げられない。完璧だ」

​『……了解。リリアーヌ様の睡眠は、私の命に代えても守ります。……ところで主様。庭の家庭菜園の件ですが』

 通信機の向こうで、シオンがどこか遠い目をしたような声を出す。

「ああ、現代農法のおかげでよく育ってるだろ?」

​『いえ……そんなレベルではありません。リリアーヌ様が水を撒いた場所から、最高級のハイポーションの原料になる稀少薬草が、まるで雑草のように猛烈な勢いで生い茂っています。……成長速度、計算の三倍を超えています。これはもはや、彼女自身の資質と……』

​「……え、そうなの? まあ、よく育つのはいいことだ。それよりシオン、リリの枕の反発係数をもう少し調整したいんだが。リリの頭の形にフィットする低反発素材を魔法で生成できないか――」

​『……主様。過保護が過ぎます。通信、切ります』

​ プツリ、と一方的に通信が切れる。

 やれやれ、これくらい当然の気遣いだろうに。


​ こうして、王都で第2王子や公爵家が復讐の炎を燃やし、世界が激動の兆しを見せる中。

 ロウランド男爵領だけは、アルスの暴走する愛によって、一人の少女を甘やかすためだけの「天国(オーバースペックな箱庭)」へと魔改造されていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る