ウイルスX

真白透夜@山羊座文学

屋根裏部屋にて

「男女がはっきりと分かれる生物は案外少なくて、集団のオスメス比の様子で自分の性別を決める生物とかいるし。それが自分の意思かはわからないけどさ」


 と、農学部の柳星りゅうせいくんが言って、へー、と返事したところまで覚えている。下宿の屋根裏部屋。学費の値上げ、物価高で仕送りはギリギリ。奨学金を背負い、出世払いをしなければと日夜勉強し、わずかに家庭教師のアルバイトはしているがほとんど誰とも何も話さず一日が終わっていく。


 柳星くんは一週間前に引っ越してきた。ルームシェアにすることで、家賃は三分の二になった。半分にならなくても文句が言える立場ではない。


「最近、彼女と別れたんだ。彼女、パパ活してて。まあ、俺みたいな貧乏学生じゃ奢ったりプレゼントしたりできないからさ、仕方ないかなとも思ったんだけど」


 どんな成り行きでそんな話になったのか。柳星くんがオープンな性格なのか、僕程度でもいいからと、話さずにはいられなかったのかはわからない。ただ、残念ながら僕には返す言葉がなかった。女の子に興味がないわけじゃないけれど、性欲というアンテナすら貧乏にへし折られたようだ。


「やっぱりショックで。潔癖すぎるかな。彼女だって裕福じゃないから、バイトみたいなものだったかもしれない」


「バイト感覚だったとしても、感情や性的な魅力を売りにするなら普通の労働とは違うし、柳星くんが嫌なら別れていいんじゃないかな。彼女のそういうところを自分だけに向けて欲しいのが彼氏彼女なんだろうから」


 と、いかにもといった風に答えた。


「いっそ職業なら別で考えられたかもしれないね」


 彼女でもなく職業でもなくパパ活というもの、について僕らはそんな風に考えていた。



 流行病。


 肺の機能が急激に弱まり、陸で溺れるように窒息死する。なぜか女性ばかりが重症化、死亡率が高かった。


 柳星くんは酷く青ざめていて、話を聞くと、例の彼女がこの流行病で亡くなったらしい。付き合ったのは三カ月と短いが、それでも悲しいに違いなかった。


「年齢も基礎疾患も関係ない。恐ろしいことだよ。どうなってしまうんだろうね……」


 柳星くんはそう言った。



――流行病が確認されて、半年後。


 あっという間に、女性の人口は三分の二になった。女性たちは家に引きこもり、仕事や勉強はオンラインに切り替わった。街は見渡す限り男ばかりだ。


「生身の女性に会えなくなるなんてね。このまま何年も流行病がおさまらなかったら、女性というものは写真や画像でしか見かけない架空の生物みたいになるかもしれない」


 柳星くんが笑って言った。



――流行病が始まって、一年後。


「……朋紀ときくん、ちょっと太った?」


 柳星くんに言われて、やっぱりそう見える? と聞いた。太ったというより、丸くなった。フェイスライン、二の腕、お腹。


 柳星くんがお腹を掴む。


「運動不足なせいかな」


「そうかもしれないけど……」


 柳星くんが胸に手を乗せた。


「まるで、女の子みたいじゃない?」


 他の丸みとは違う、極端な胸の膨らみ。たしかに肥満の結果には思えなかった。





 ワクチンの効果が社会的に見えてきた頃、女性の人口は半分になっていた。一方で、男性の百人に一人が女性化する現象が起こっていた。


「人類の危機に応じて、人間の神秘の力が現れたのかな」


 柳星は笑って言った。


 僕の体の変化はまさしくその現象の結果で、この時点ですでにほぼ完全な女性の姿になっていた。この現象には現状、治療法がなく、医学、生物学的に謎が解明されるのを待つしかなかった。


 吐き気が酷い。その日は大学を休んだ。食あたりだろうか、お腹も下している。


 大学から帰ってきた柳星くんが、差し入れにゼリーを買ってきた。


「熱は?」


「熱っぽいけど、無い」


「夕食、食べれる?」


「……多分……」


 体中が痛い。インフルエンザ? 明日は病院に行こう。学費のことを考えたら講義は休みたくないが……。本当は寝ていたい。眠い。全部しんどい。


「夕食、取りに行ってくるよ」


 柳星くんがそう言ったので、さすがに起き上がった。


「……あれ……」


 シーツに血がついていた。拳大の染み。よく見ると、パジャマのズボンが汚れている。


「……朋紀……それ、生理なんじゃない……?」


 柳星くんにそう言われても、僕は事態が飲み込めなかった。自分の性別の変化が新しい臓器を生み出すまでに至っていると思わなかったのだ。


「……どうすれば……」


「生理は病気じゃないけど、朋紀は病気の影響で性別が変化してるから、病院には行った方がいいと思うんだ。あと、今どうしたらいいかはおばさんに相談しよう。俺、妹いるから、そういうのはなんとなくはわかる。大丈夫だよ」


 柳星くんの声は澄んでいた。





 おばさんに痛み止めとナプキンと下着をもらい、薬液でベッドと服の経血を落とす。柳星くんも手伝ってくれた。


 一仕事終えて、夕食を二人で食べた。


「……僕……どうなっちゃうんだろう……」


「そうだね……男なのか女なのか……。今は両性って感じだね。ゲームの世界みたいに、ウイルスでゾンビになるわけじゃなさそうだ」


 柳星くんは笑ったが、いっそ、皆ゾンビになればいいのにと思った。幸せそうな高級パンも、呑気な旅行広告も、本物を長く手入れして使いましょうと謳う家具も、煩わしかったから。





 部屋に戻り、まだ乾かないベッドに寝るわけにはいかず椅子に腰掛けた。腹部の鈍痛。硬い椅子が、敏感になった体に冷たく響く。


「俺のベッド使いなよ」


「……いい、汚すかもしれないし」


「大丈夫だよ。そしたらまた綺麗にすればいい」


 一度断ったものの、正直、ありがたかった。眠くてたまらない。


 お礼を言って柳星くんのベッドに横になり、壁際を向いて体を端に寄せた。コンクリートとベッドと壁の隙間の世界。自分にぴったりだと思った。


 ベッドが軋み、柳星くんが後ろにきたのがわかる。


「お腹、痛い?」


 うん、と答えた。腰骨に置かれた柳星くんの手は温かかった。





 翌日、総合病院に電話をすると、生理が終わったら来てくださいと言われた。一週間後に病院に向かうと、婦人科を案内される。そして、診察台にあがるように促された。


 ジェットコースターの座席のような椅子に、何もはかない状態で座る。カーテンの向こうに下半身だけが出るように椅子が動く。足が開き、男性医師の診察が始まった。超音波の器具が差し込まれ、横のモニターに自分の子宮の様子が映し出される。ピッピッとマーカーが出る。


「子宮の大きさはかなり小さいですが、卵巣まできちんとついた、本物の子宮ですね」


 こんな荒い白黒画像でわかるんだ。医者ってすごいな。そんなことをぼうっと考えていた。





「子宮に病気はなかったよ」


「そう……良かった……のかな。大変だったね」


 生理が終わると体調不良は無くなり、診察代の痛みの方がリアルになった。


「女体化については、後遺症ってことで国からお金が出るようになるらしいよ」


 柳星くんの情報に少しだけ安堵した。


「困ったことがあったら、相談してよ」


 と柳星くんは言ってくれたが、同じ苦学生の柳星くんに相談できることは少なかった。





 家庭教師のバイトは細々としたものだったが、評判が良かったことで、数人の子どもをまとめて教えてくれないかと頼まれた。派遣元の社員、千代せんだいが取りまとめをした。五人の子どもたちに一斉に教えることになり、これまでとは違った難しさはあったが、教えているときだけは日頃の鬱々とした気持ちが晴れた。


「朋紀先生、良かったら今からご飯行きませんか?」


 千代に誘われ、かなり久々の外食になった。千代が選んだ店はロシア料理の店。ピロシキ、ボルシチ。それほど変わった味付けではなく、素直に美味しいと思えた。


「女の体ってどうなの?」


「生理がしんどいです。結局、十日間はそればかり気になって」


「へぇ、長いね。インフルエンザだって薬を飲めば三日くらいで楽になるのに」


 まして毎月。本当に嫌になる。経血の臭いやグロテスクさ、おしめのようなナプキンにもなかなか慣れない。


「ピルもらえないの?」


「ピル?」


「生理を止める薬」


「そうなんですか。じゃあ、女性はみんな飲んでるんですか?」


「さあ」


 なぜ男の千代がピルを知っているかはよくわからなかったが、あんな辛い生理が無くなるなら全ての女性に配ったらいいのに、と思った。



 医師に相談すると、一番安い低量ピルを処方された。毎日、自分で決めた時間に服用しなくてはならない。


「毎日かぁ、それも大変だね」


「飲み忘れちゃダメみたい」


 時間になり、薬を取り出して飲む。飲んだかどうか忘れないように日付を記入した。


「避妊になるんでしょ?」


「そうなの?」


「そのために飲むことにしたんじゃないの?」


 医師からは、生理を止め、子宮の活動を抑えることで体調不良を無くすことになると説明を受けていた。柳星くんが言う通り、たしかに生理が止まれば妊娠はしないということになる。


「なるほどね。そもそもそういう薬なんだ。いかにも男目線で理解してたなぁ」


「女性は皆飲んだらいいのに」


「でも毎日薬を飲むのって、精神的に嫌じゃない? 年寄りならまだしも」


 そういうものか。あの吐き気と痛みに比べたら簡単だと思うけど。





 それから、何回か千代に誘われてご飯に行った。イタリアン、中華、フレンチ。外食の味の濃さに慣れた頃、ホテルに誘われた。


「女の体のうちに、試してみたいと思わない?」


 後遺症が治ったら、完全な男に戻れるのだろうか。そんなこと、まだ誰にもわからない。自分の体を試してみたい気持ちはなかったが、これまで千代にご馳走になった金額をチャラにしたかった。





 夜中に帰ると、柳星くんはまだ勉強をしていた。


「遅かったね」


「うん」


 椅子に腰掛けて、薬を取り出した。いつも夕食時の八時に飲むのだが、もう十二時を過ぎていた。


 千代とのセックスに問題はなかった。動画や本でみたような感じ。痛みはあったが、そんなものかと思った。彼は避妊具をつけないことを望んだが、これ以上病院の世話になりたくないからと断ると彼は渋々応じた。


「……家庭教師、辞めようと思うんだ」


「どうして? 楽しんでたじゃない」


 千代と次に顔を合わせるのが気まずかった。誘われて、断るのも面倒くさい。


「勉強に、集中しようと思って」


「そっか……。それもそうだね」


 困ったことがないから相談できない。体は様子を見るしかない。千代に応えたのは自分の意思。貧乏は時代のせい。


「……朋紀……」


「何?」


「朋紀は、他の人よりずっとずっと大変な状況だと思うんだよ。だから、無理しないでね」


 そうなのかな。大変なのは、ピルが飲めなくて毎月十日間も苦しんでいる女性たちなんじゃないかな。


 この頃、女性の数は三分の一に減っていた。ワクチンを打てない女性、家にいられない女性たちが死亡数を着々と稼いでいた。理由がはっきりしたところで、手立てはない。


「皆でゾンビになれるウイルスだったら良かったのに」


 男も女もなく、ゾンビ。


 柳星くんは僕の苦笑を眺めて言った。


「皆で苦しみを分かち合えたら、人類は新しい進化を遂げるかもしれないね」




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