コタツが僕らをダメにする!【短編】

若菜未来

「全部コタツが悪いんです」

 冬のコタツには人をダメにする魔力が宿っていると思う。


 一度足を踏み入れれば最後、そこは温かな沼であり、絶対的な安寧の地帯だ。


 というのは定説として。


 しかし今の僕にとって、この空間は針のむしろに近かった。


 というのも――


「んー、今年のミカン、ちょっと甘すぎないですか? もうちょっと酸っぱくてもいいのに」


 対面に座る中学からの後輩であるさくらが、鮮やかな手つきでミカンの皮を剥きながら言った。


 家もさほど遠くない僕たち。服装こそ気取らないモコモコとしたフリースだが、その隙間から覗くうなじの白さや、ふわりと香る上品なフローラルの香りは、僕の記憶にある「後輩」のそれではない。


 さくらは、昔からモテた。


 高校時代はその最たる時期で、琥珀がかった色素の薄い瞳と透き通るような肌もあり「学年随一の清楚系美少女」として名を馳せていたものだ。


 そんな彼女もこの春から都会の大学へ進学し、今回冬休みを利用して半年ぶりに帰省してきた。


 ともかく、久しぶりに会ったさくらは――正直、直視できないほど綺麗になっていた。


 派手になったわけじゃない。むしろメイクはナチュラルなままだしトレードマークのサイドテールに結った髪も健在だ。

 けど、久しぶりに会ったせいか、髪のツヤに肌の質感、身のこなしまで……なんというか、すべてがワンランク、いやツーランクくらい「大人の女性」へと進化している気がして……。


 そんな磨かれた宝石のような輝きを前に、僕は自分がひどく取り残されたような錯覚を覚えていた。


 僕は手元のミカンを無意識に転がしながら、喉まで出かかった問いを飲み込む。


 両親は階下でテレビを見ている。二階の部屋には、僕たち二人だけ。

 シチュエーションとしては完璧。積もる話もある。


 ただ、僕の頭の中を占めているのはたった一つの懸念事項だけだった。


 ――さくらにあっちで彼氏ができていないか。


 これだけの容姿に性格だって抜群なのだ。まさか手の早い都会の人たちが放っておくはずがない(←偏見です)。

 SNSには相変わらず男性の影は見えないが、そんなのただ隠しているだけかもしれないわけで。


 聞きたい。でも、聞いて「いますよ」なんてさらりと言われたら立ち直れそうにない。


 そんな葛藤が冬の乾燥した空気の中、静電気のようにバチバチと緊張感が走る。


「……あのさ、さくら」


 沈黙に耐えかねて、僕は口を開いた。

 いきなり本題をぶつける勇気はない。だから少し遠回りに、外堀から埋めるような会話を振ってみることにする。


「さくらも、もう十八なんだよな」


「どうしたんです急に? 当たり前じゃないですか、今大学一年なんですから。あ、郁人いくと先輩はもうすぐ誕生日でしたよねっ♪」


 さくらはふふっと頬を緩める。その仕草一つで雑誌の表紙を飾りそうな破壊力だ。


「いや、そうじゃなくて。十八って言ったらさ、法律上はもう成人扱いだろ?」


「そうですねぇ。選挙権もありますし」


「そうそう。だからさ、なんというか……もう子供じゃない……っていうか?」


「さっきからなんですか? あ、もしかして郁人先輩ってば、お酒飲みたいとか思ってるでしょう。ダメですよ? お酒はハタチになってからなんですから」


 くすくすと笑うさくら。その余裕たっぷりの微笑みが、僕をさらに焦らせる。


 一つ歳上なのに子供扱いされているのも悔しくて。


 直後、僕がうっかり口を滑らせたのは、そんな自虐と隠しようのない焦り、それとコタツで頭がちょっとぼーっとしてたからっていうのもきっとあったんだと思う。


 そう、全部コタツが悪いのだ。


「そうじゃなくてさ。さくらは、もう『大人』になったのかなっ……て」


「えっ?」


「つまり……その。さくらってをしたこととか……あるの?」


 ……言ってしまった。


 半ば直球すぎる問いかけに、自分の心臓が早鐘を打つ。

 セクハラだと怒られるか、呆れられるか、はたまた――。


 さくらの手が、ぴたりと止まった。


 剥きかけたミカンを持ったまま、彼女はパチパチと数回瞬きをし、長い睫毛を揺らす。

 そして、みるみるうちに耳の先が赤く染まっていくのが分かった。


「……え、なんですか。いきなり」


「いや、えっとその。……なんとなく?」


 なんとなく聞くような質問じゃないことは重々承知しております……はい……。

 視線を泳がせる僕。さくらはもじもじと身をよじるようにして、その後数泊の間を挟み、小さな声で答えた。


「……あ、あります、けど……」


 それは蚊の鳴くような肯定で。

 けど、その言葉は決定的な事実となり、僕の胸の深くに突き刺さった。


「え……?」


「えっ、て。だ、だって……もう十八ですし……べつに普通でしょ? 周りの子だってみんなしてますし……」


 さくらは言い訳するように付け加えると、恥ずかしそうにひょいと顔を伏せてミカンをひと粒、ポイと口に運んだ。


 ――十八だし、普通。


 その言葉が、僕の中でぐるぐると反響する。


 そうか。そうだよな。

 これだけ魅力的なさくらだ。誰かが放っておくはずがないし、それこそ都会にだってさくらが惚れるくらいいい男だっているだろう。


 僕が勝手に「変わらないでほしい」と願っていただけで、彼女はちゃんと自分の足で大人の階段を登っていたんだ。


「そ、そういう郁人先輩はどうなんですか? 人にばっかり聞いてズルいです」


 顔を伏せたまま、さくらが上目遣いで問い返してくる。

 その潤んだ瞳を見て、僕は自分の幼さを痛感した。


「僕は……」


 言葉が詰まる。


 僕は、ずっとさくらが好きだったから。

 大学に入ってからも、さくらのことばかり考えていたから。

 他の誰かと、なんて考えられなかった。


「ないよ……ない」


 絞り出した事実は、あまりにも情けなく響いた。

 それを聞いたさくらが、「えっ」とわずかに目を見開く。


 その反応を受けて「え?」と反射的に返す僕。

 するとさくらは苦笑いを浮かべ、頬をぽりぽりとかいた。


「え、えぇっと。ないん……ですね……」


 それは安堵したような、それでいて少し驚いたような響きだった。

 まだそんなことを言ってる段階なのかと呆れられたのかもしれない。


 悟られないように、僕は震える手でミカンをひと粒、ぽいと口に放り込んだ。

 甘酸っぱい果汁が広がるが、今の僕には苦い味がした。


 みじめだった。

 でも、それ以上に――悔しかった。


 こんなに近くにいたのに、思いも告げられぬままこうなってしまったことが、どうしようもなく悔しかった。


 それに、さくらだって僕のことを好きなのかもって実はちょっとどころじゃなく思ってたから。


 けれど、さくらが選んだ相手ならきっと素晴らしい相手なんだろう。

 僕なんかよりずっと大人で、優しくて、さくらを幸せにできる人なんだろう。


 だから先輩として、僕はそれを祝福してやるべきだ。

 「よかったね」と、笑ってやるのが正解なんだ。


 ……って、やっぱ無理だよ。

 無理に決まってる。

 少なくとも、今は……。


 心臓が雑巾のように絞り上げられて、うまく笑えそうにない。


 せめて、どんな相手なのか。それだけは知っておきたかった。

 さくらが、変なヤツに騙されてないのか。いま幸せなのかどうか。先輩として、いや一番の親友としてそれだけは確認しなきゃいけない。


 そんな思いだった。


「……どんな人なの?」


 絞り出すような声が出た。


「えっ、どんな人って。なにがですか?」


 さくらがきょとんとする。


「だから、相手だよ? したことがあるってことは誰か相手がいるんだろ?」


 表情が歪むのを必死に堪えて、僕は精一杯の強がりで聞いた。


 いい人なのか? 優しくしてくれてるのか?

 そんな思いが空回りして、言葉足らずになってしまう。


 さくらの表情が強張る。

 僕の必死な形相に気圧されたのか、それとも核心を突かれて動揺したのか。

 彼女は顔を真っ赤にして、非難するように僕を睨んだ。


「そ、それは……っ! というか、そういう直接的な聞き方って良くないと思いますけど……!」


「あ……ごめん……」


 さくらの剣幕に、僕は熱り立った頭が冷や水で濡らされたように引いていくのを感じた。


 それはそうだ。親しき仲にも礼儀あり。

 僕はあくまで友人。さくらの家族でもなければ、ましてや――恋人でもない。

 さすがに土足で踏み込んでいい領域じゃなかった。


 僕は視線を落とす。


 気持ちを切り替えろ。今までだってそうやって気持ちを押さえてきたんじゃないか。この関係が崩れるくらいなら僕の想いは、誰にも知られることなく墓場まで――。


 と、さくらがチラとこっちを見た。

 潤んだ瞳で、探るように僕を見つめている。


「……どうして、そんなこと聞きたいんですか」


「え」


「ですから……そういうことの相手がどんな人とか……どうして、そんなに必死になって聞くんですか」


 問い詰めるような声色に僕は言葉を詰まらせる。


「それは、だって――」


 ずっと一緒にいたから? 少し早く生まれて兄貴面したいから?

 違う。そんな建前、今は何の役にも立たない。


 じゃあ、なんて答えれば。


(……もう、いいか)


 ふと、諦めにも似た感情が湧き上がった。


 さくらはもう経験済みだ。誰か好きな奴がいるのは間違いないわけで。

 別に知られたところでいつもみたいに笑い話で済ませればいい。


 だったら最後に言ったっていいだろ。言ってしまえよ、僕。


 覚悟を決めた僕は顔を上げ、さくらの目を真っ直ぐに見据えた。


「だからっ、好きだったんだよっ。さくらのことが、ずっと!」


「え」


 さくらの目が点になる。


 なにその反応? いや、想定外だったって意味では普通なのかも?


 直後、僕たちの間にあったのは、よく分かるようで分からないだ。


 さくらはポカンと口を開け、数秒間フリーズしていたが、やがてその白い肌が首筋から耳、そして顔全体へと、まるでトマトが熟すような速度で真っ赤に染まっていく。


「す、す……すすすすす、好き、って……」


「そ、そうだよ……さくらが好きだから、相手が誰なのか気になって……」


 あーもう最悪だっ。

 もういいだろ。堪忍してくれっ。


 僕は布団を跳ね除けて逃げ出そうと――


「……郁人先輩です」


 不意に、さくらがボソリと言った。


「おん?」


 逃げ腰の体勢のまま、僕は動きを止める。


 一方のさくらは俯いて、両手で顔を覆っていた。指の隙間から、蒸気が出そうなほど赤い顔が見える。

 次いで彼女は勇気を絞り出すように、震える声で告げた。


「郁人先輩です。……相手」


「…………えっ」


 時が止まった。


 郁人先輩。郁人。

 相手は、イクト。

 って、僕の……名前?


「えぇっっ……!?!!」


 声が裏返る。

 というか、思考回路がショート寸前だ。


 さくらが僕と? いつ? 記憶喪失?

 いや、まって。さっきさくらは「あからさまな聞き方は良くない」的なことを言っていた気がする。

 そして今、相手は僕だと言った。


 つまりそれって。

 もしかしてさくらの言ってるのはソロのことで、しかも相手(想像の)が、僕ってこと?


「あ……」


 気づいた瞬間、全身の血液が逆流した。


 そんな僕を見て、さくらもまた自分の発言の意味が完全に伝わってしまったことを悟ったらしい。

 限界突破した羞恥心で、彼女の琥珀色の瞳が涙で潤む。


「ち、ちが……っ! 今のなしです! 忘れてください!」


「わ、忘れてって言われても……え、僕で……?」


「うるさいうるさいうるさい! バカ! 郁人先輩のバカ!」


「ちょ、落ち着いてってば!」


「落ち着けるわけないじゃないですかっ! あーもう! 知らないっ!」


 パニックになったさくらが、コタツの中で勢いよく足を振り上げた、その時だった。


 ドゴッ!!


 重く、鈍い衝撃が、コタツの内部で炸裂した。

 というのも、さくらの放ったつま先が僕の男としての尊厳を正確無比に捉えたのだ。


「ぉぁぐぅ――――ッ!?!?!?」


 さっきとは一転、声にならない絶叫。

 世界が白く弾けた。

 せっかく通じ合った(かもしれない)愛の告白も、感動も、すべてが痛みの彼方へ吹き飛んでいく。


「はぐっ……ぅ……っ」


 僕はミカンの皮のようにへなへなと力なくコタツの上へ突っ伏し、苦悶の表情で痛みが通り過ぎるのを待つばかり。


「えっ……あ、あれ? せ、先輩!?」


 僕の様子を見て事態を察したのか、さくらが真っ青になって覗き込んでくる。


「うそ、ご、ごめんなさい! そんなつもりじゃ……! い、生きてますか!?」


「し……しぬ……。……でも、いき……たい」


 告白して、せっかく両思い(?)が判明したってのに、その直後にその相手から急所を蹴られて悶絶してる僕って……。


 そんな遠のく意識のなかで僕は思う。


 どうやらまだまだ僕たちの恋は一筋縄ではいかないらしい。



(つづく?)





―――――

メリークリスマス

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