おにぎり、あたためますか?

蒼龍 葵

おにぎり、あたためますか?


 学校の学食は先輩達が席を陣取ってしまうので、いつも俺は行きつけのコンビニでおにぎりを買う。

 自動ドアのメロディの後、必ず聞こえてくる「いらっしゃいませ」の声。店員の美咲さんだ。 

 はにかんだような笑顔が可愛いショートボブの彼女は、俺の一日の始まりを照らす光のような存在だった。


 鮭とツナマヨのおにぎりを並べると、彼女の声が重なる。


「三百五十二円になります」


 その響きは、ただの値段の告知なのに、俺の胸を一気に高鳴らせる。


「おにぎり、あたためますか?」


 前に並ぶおじさんにはそう尋ねているのに、俺には聞かれないことが多かった。まさか、嫌われているのかと不安になった瞬間、ぱっちりした瞳と目が合う。


「あ、ごめんね。今日はおにぎりあたためますか?」


「い、いえ……学校の昼飯なんで、大丈夫です」


 俺の顔を覚えてくれていたんだ。毎日同じ時間に同じおにぎりを買う俺を。

 その事実だけで、胸の奥が温かくなる。


「いつもありがとう。行ってらっしゃい」


「は、はい! 行ってきます」


 ふわりと微笑む優しい言葉と笑顔。たったその一言が、俺の世界を変える。

 母子家庭で母は仕事に追われ、家では「行ってらっしゃい」と声をかけられることもない。だからこそ、美咲さんの言葉は俺にとって特別だった。


 昼休み。おにぎりを食べながら、彼女の笑顔を思い出す。

 ただの接客なのに、俺にとっては心を支える魔法。淡い恋心が、少しずつ形を持ちはじめていた。


 放課後。冷たい風に頬を刺されながら自転車をこぐ。おにぎりを買いに行くだけなのに、まるで大切な人に会いに行くような緊張感がある。

 自動ドアが開くと、「いらっしゃいませ」の声。美咲さんだ。声を聞いただけで心がじんわり温かくなる。


「おにぎり、あたためますか?」

「き、今日は……お願いします」

「寒いもんね。温かい方が美味しいよ」


 レンジの音が響く間、俺は彼女の横顔を見つめる。落ち着いた仕草、柔らかな頬、そして誰かを安心させるために自然と浮かぶ笑顔。

 俺はその笑顔に救われている。救われていることを、彼女はきっと知らない。


「熱いから気をつけてくださいね」


 受け取ったおにぎりの温もりは、手のひらから心臓へと伝わっていく。まるで彼女の優しさが宿っているようだった。

 おにぎりよりも、美咲さんの笑顔にドキドキする俺の心臓の方が熱い気がした。


 翌週。

 いつもの時間にコンビニに入ると、ツナマヨが棚に並んでいなかった。がっかりして鮭だけを手に取ると、美咲さんが声をかけてきた。


「ごめんね、今日はツナマヨ売り切れちゃって。でも、代わりにこれはどう?」


 差し出された昆布のおにぎり。わざわざ同じ値段のものを選んでくれている。俺の財布事情なんて知らないはずなのに、まるで全て理解しているかのように。

 その優しさに胸が詰まる。俺はただの客なのだ。俺のことを「覚えて」「気遣って」くれる人がいる。その事実が、孤独な心を静かに満たしていく。


「いつもありがとう。気をつけて行ってらっしゃい」


「は、はい……行ってきます」


 彼女の笑顔が、俺の心をさらに温める。おにぎりよりも、レンジの熱よりも、ずっと強く。


 お昼。美咲さんに勧めてもらった昆布のおにぎりを食べる。少し大人っぽい味が、彼女の落ち着いた雰囲気を思い出させる。


 俺にとってコンビニのおにぎりはただの昼飯じゃない。美咲さんの声と笑顔が詰まった、大切な証だ。

 明日も俺はあのコンビニへ行くだろう。

 「おにぎり、あたためますか?」その言葉を聞くために。そして、彼女の笑顔に救われるために。

 ──そしていつか、この胸の奥で芽生えた淡い恋心を、彼女に言葉にできる日が来ることを願いながら。

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おにぎり、あたためますか? 蒼龍 葵 @aoisoryu

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