交番に鳴り響く電話。
「事件ですか? 事故ですか?」
そんなありふれた問いかけから始まる本作は、読み手の予想を鮮やかに裏切り、静かな狂気へと誘う秀逸な短編ホラーミステリーです。
物語の入り口は、どこにでもある「親子の悩み」に見えます。部屋に引きこもる息子を案じる母親と、それを淡々と捌こうとする警察官。
しかし、会話の節々に忍び込む小さな「違和感」が、読者の足元を少しずつ、確実に狂わせていきます。
「部屋を開けなければ、可能性は無限大なんです」
劇中で語られる「シュレディンガーの猫」という比喩。それが単なる知的な装飾ではなく、物語の根幹を揺るがす恐ろしい仕掛けへと変貌した時、読者はこのタイトルの真意を悟ることになるでしょう。
本作の白眉は、「情報のパズル」が完成した瞬間に訪れる衝撃です。
提示される事実に、警察官の常識が、そして読者の予測が追いつかない。どちらが正気で、どちらが狂っているのか。
あるいは、私たちが「現実」だと思っているもの自体が、一つの仮定に過ぎないのではないか――。
視覚的な描写を排し、「会話」と「音」だけで構築された世界だからこそ、目に見えない恐怖が際立ちます。結末に待ち受けるのは、答えそのものではなく、「確定させてしまうこと」へのためらいです。
最後の一行を読み終えた時、あなたはきっと、
何かを確かめるという行為そのものに、一瞬、指を止めることになるのではないでしょうか……?
レビューを読まれたあなたに質問です。
受話器の向こうから聞こえるのは、愛する子を想う「祈り」でしょうか。それとも、平穏な日常をじわじわと侵食する「毒」でしょうか。
その答えは、あなたがこの物語を「観測」し、真実の扉を開けるまで、重なり合ったままです。
ぜひ小説を読んで、確定させてください。
よくよく考えてみれば、電話というのはなかなかに怖いものです。
電話の向こう側の風景はわからず、ただ音声情報だけが聞こえてくるわけですから。
人間は五感から情報をえて物事を認識し、判断します。
その内の聴覚以外の情報がないのです。
情報の5分の4が死んでるわけです。
未知の領域に消し飛んでしまっているわけです。
そう考えると、途端に電話の向こう側の光景が謎に満ちた不気味な空間に感じられます。
電話の主は、良くも悪くもポジティブ思考、エキセントリックな雰囲気のお母さん。
しかし、その後にかかってきたまた別の電話により、状況は一転。
良いですね、この信じていた前提が一気に崩れ去る瞬間、実にホラーめいてます。
緩んでいた神経がピシッと張り詰め、思わず真顔になって襟を正したくなりますね。
状況を一転させ、事態を量子猫化させてしまうその技量、実にお見事。
あなたもお巡りさんになった気分で現場に駆け付けたくなること間違いなしです。
「はい、こちら110番。事件ですか事故ですか」
110番に電話すると、こんな応答が返ってくる、らしい。電話したことがないのでよくは知らない。
その問いかけに女の声で、「わかりません」という返答が返って来た。
110番には、イタズラ電話や、とんでもない用件で掛かってくる事があるらしい。ゴキブリが出たので来て欲しい、家の鍵をかけたかどうかわからないから見に行って欲しいなどの不要不急の用件が多い。
女の用件は、未知人という人物が数日前から部屋から出てこないという相談だ。
この通報は果たして、出動用件なのか。やりとりは続く。
ラストは想像を超えたアッと驚く展開に!
おススメです!
今回のお題フェスは『未知』がお題なんですが、そのお題をシュレディンガーの猫と重ね合わせて、うまく作品として昇華しているように感じました。
シュレディンガーの猫をちゃんと説明しようとすると大変なのでよく知らない人は自分で調べてほしいのですが、めっちゃはしょって言うと、量子が波と粒子、どちらなのかは観測するまで確定しないということを、シュレディンガーという人が箱の中にいる猫で例えたものですね。まあミクロの世界の話をマクロの世界で考えるとわけがわからないことになるということです。
さて、本題のこの物語についてなんですが、ある交番に電話がかかってくるところから始まります。
ミチヒトという男が部屋から出てこないとその男の母親が電話で言ってくるのですが、電話の途中でそのミチヒトからも電話がかかってきます。しかしミチヒトから話を聞いていると、違和感を覚えるような話が出てくる。
いったい、真相はなんなのか。実際に見ないとそれは確かめられないのでしょう。しかし、知るのが怖い……。だが、わけがわからないこの状態も怖い。
わからない、ということへの人間の根源的な不安や恐怖が表現された、傑作でした。
ある交番でのことにございます。
「事件ですか? 事故ですか?」いつもの決まり文句を言います。
するとその日帰ってきた答えが……
「わかりません」
話を聞いてみると、息子が部屋から出てこないのだというのです。
それも何日も。
とりあえず出動して中を確認することを提案する警察しかし……
きてほしくないのだそうです。
シュレディンガーの猫。箱を開けるまで、猫は生きているか死んでいるか分からない。
その確認を、したくない。
もしくは、箱の中にいるのは、無限の可能性があり、
それを決定してしまうのはいささか早計ではないのか。
以上が母親の言い分でございます。
……なんで警察に電話したんですかね。
しかし問題はここからなんです。
「事件ですか? 事故ですか?」
同僚が電話を受け取ったのは、なんと同じ住所。
電話の主は、オヤ……?
海外のCMだったと思うのですが、
少年が寝る前に、「パパ、ベッドの下に悪魔がいるんだ」
というので、パパがベッドの下を覗き込むと、全く同じ少年がいて、
「パパ、ベッドで寝てるのが悪魔なんだ」
というのがあったと思うんですけど、それを思い出しました。(曖昧な情報ですいません!)
二千文字足らずの、不条理な思考の渦。
あなたも味わってみてください。
ご一読を。
不条理。まさにその言葉が似合う一作です。
本編の主人公は「通報」を受けた警察官。相手はどうやら母親らしいが、息子の「未知人」が「部屋の中で死んでいる可能性もある」と伝えてくる。
どういうことか、と詳しく話を聞いてみると、「シュレディンガーの猫」の理論について説明される。
箱の中の猫は死んでいる可能性と生きている可能性が半々。箱を開けて「観測」するまでは両方の可能性が同時に存在しているという。
だから部屋の扉を開けてしまえば、「可能性」が一つに収束してしまう。逆に言えば扉を開けさえしなければ、息子は生きているかもしれないし、もしかしたら社会的な大成功を収めている存在になっているかもしれない……という。
これを聞いて、あまり緊急性はなさそうだと判断する警官。そこで話はいったん終わるのだが、次にはまた「別の通報」が……。
「可能性」というものを考え出すと、どんどん世界にはカオスが拡散していく。「扉をはさんでの話」だけではなくなり、それはやがて電話を受ける警官のもとにまで波及することに。
「真実は一つ!」ではなくなること。それがいかに世の中を不安定にし、人の精神をぐらつかせるものか。
「可能性」という名の狂気に侵食された世界。まさに「不条理」に満ちたこのシチュエーション、是非ともご堪能ください!