まずは、この物語が実体験であるとするならば、作家先生に尊敬の意を。
暗い過去を打ち明けて、大勢の前に公表するというのは勇気のいる行為だ。
誰にでもできるものではない。
その勇気に応えられるかはわからないけれど、
ある国で行われた実験の話をしたい。
申し訳ないけれど、いつ、どこで行われた実験だかは忘れた。
適当な男女三百名を、一つのホールに集めたのだ。
性別も年齢も、人種もバラバラだったとされる。
実験の内容はこうだ。
三百名全員に、一枚のメモ用紙と、ペンを渡す。
そしてこう、告げるのである。
「今からそこに、『二つのマル』を書いてください」
これが実験の全てであり、難しいものではない。
しかし結果は面白いものだった。
ただ二つのマルを描くだけ。それなのに、
ある人物は、大きい丸の隣に小さい丸
別の人物は、点ほどの小さい丸を二つ。
また別の人物は二重丸を書いたと思ったら、紙の両面を使って、一つずつ丸を書いた人物もいた。
さらには、『二つのマルをかく』というルールのはずなのに、丸を三つ以上書いた人間もいた。
そして丸を描き終わったら自由時間だが、なるべく他人と交流をすることを求められた。
それで分かったのは、
自分の書いた二つの丸と、造形が近いもの同士が、どうも人間的に相性がいいのではないかという実験の結果が出たのである。
では、間違えて丸を三つ以上書いてしまった人間は一生孤独なのか。
そうとも限るまい。
その空間には三百人しかいなかったが、世界には80億の人間がいるのだから。
おそらく限りなくエッセイに近いだろう小説。私小説に近いものを感じます。
小説として読むか、小説に模したエッセイと読むかは人それぞれでしょう。
それで良いと思います。
本作で描かれるエピソードのいくつかは、私自身近しいもの(ただし同一ではもちろんない)を経験したこともあるような話でもあります。
とてもありふれているようで、当事者にとっては他人事にはできない、そんな話です。
小説としての技巧の有無ではなく、エピソードの強度は、そこにあります。
どれ一つとして近しい経験がない人が恵まれているとか、逆にそういった経験があるから苦難や苦痛がわかるのだとか、そういった話ではありません。極端なまでの脚色の無さ、削り落とされた装飾語こそが、粗削りでもあり荒々しくもある。そんな作品です。
未来のあなたは、この話を数年後に読んだ時、いったいどのように思うのでしょうか。あるいは数年前を振り返ってどう考えるのでしょうか。
ある種の通底した、素朴でありのままの人間賛歌が、ここにあります。