episode.04 Roar of Miasma & Sister’s Light〜邪気の咆哮、妹の灯火〜

 身体中の神経を逆撫でするような咆哮が、闘技場全体へと響き渡る。同時に、全プレイヤー達の心臓をヒヤリと冷たい手がゆっくりと掴んだ。


 背後にいた咲の指先が、俺の服の裾をきゅっと強く握ってくる。


「兄貴っ……」


 か細くもかすれた声が、背中越しに聞こえた。指先はひどく震えている。


「心配するな。咲……」


 妹は絶対に守る。俺はその一点だけで頭の中を埋めようとした、その直後——


 胸の真ん中が急に固くなる。息を吸っても、上手く肺の奥まで届かない。


(なんだ、これは……)


 いや。俺はこの状態を、なんとなくではあるが知っている。


 前に、じいちゃんが、畳の上に広げた経絡図を指でなぞりながら何度も言っていた。


 ーーーーーーー


『和彦、人が集まる場所は、“気の器”になるんだ。そこに恐怖や怒りが溜まりすぎると、良い気まで一緒に腐ってしまい、ワシらを脅かす存在、“邪気”へと変わる……』


 ーーーーーーー


 一万五千人分の悲鳴と憎しみが、この一瞬で押し込められて、闘技場全体がまるで巨大な“邪気の塊”になったみたいだった。


「兄貴……息が……」


 背中越しに当たる咲の額が、やけに冷たい。


 振り返ると、咲の肩が浅く、早く上下に動いている。口元から漏れる息が、かすかに笛みたいな音を立てている。


 発作の前の呼吸だ。


 俺はすぐさま、妹の背中を優しくさする。


「咲、吸うな。吐くんだ——細く、長く。胸からじゃなくて、お腹から出すようにしてゆっくり吐くんだ」


 発作が出たら、なるべく早く患者を落ち着かせてあげないといけない。


 じいちゃんが近所の子供にやっていたのを、隣で見て覚えたやり方。


 ーーーーーーー


『苦しい時ほど、吸おうとしなさんな。ゆっくり吐き出しなさい。そうしたら、勝手に気が入ってくる』


 ーーーーーーー


 そんな声まで、鮮明に蘇ってくる——


「だ、大丈夫……。兄貴が一緒なら、咲は大丈夫だから」


 安心させようとしてくれているつもりなのだろう。確かに妹の表情は、ほんのり赤みを帯びてきて、先程よりも顔色は良くはなってきている。だが、それでもまだ安心は出来ない。


「ダメだ。まだ……っ」


 妹の肩を支えようと手を伸ばした——その瞬間。


 妹が、逆に俺の胸をぐいと押し返した。


「大丈夫、だって言ってるでしょ!……それより兄貴、ほら、ちゃんと周り見て。今は——みんなと一緒に助かることだけを考えようよ!」


 その顔が、妙に鮮やかに目に焼きついた、その直後——


 視界の端で、ひときわ大きな歓声が上がった。


「おい見ろよ! あれ、“アレス”じゃねぇか!?」


「うそっ! あのアレスさんっ!?」


「あのアバター、間違いない。世界大会四連覇の……本物のアレスさんだ!」


 人波の向こう、ひとりの男のアバターがゆっくりと前に歩み出ていた。


 銀色の短髪に、黒一色の軽装鎧。背中には、シンプルな大剣が一本だけ。


 派手なエフェクトも、無駄な装飾もない。ただそこに立っているだけなのに、周囲の空気がわずかに変わるのが分かった。


「……アレス・カグラ」


 誰かが、その名前を震える声で呟いた。


 彼は今、世間で最も騒がれている世界最強と名高いプロゲーマーだ。


 ゲームの画面の中だけにいると思っていた存在が、今、同じ闘技場の石畳を踏みしめていることに、多くのプレイヤーが黄色い声援を送っている。


「みんな——聞こえるか?」


 アレスが、ふっと息を吐いてから、静かに声を張り上げた。


 その声は、不思議と多くのプレイヤーの心を和ませてくれた。


「ログアウトできない。死亡時の説明が変わっている。それがどういう意味か、既にもう分かってる人達もいることだろう」


 ざわめきが、少しだけ収まる。


「だけど。ルールがある以上、これは“ゲーム”に過ぎない! ゲームには必ず“攻略法”がある。俺は、ずっとそうやって戦ってきた」


 アレスは、ふと神獣に目を向ける。それからゆっくりとこちらに振り返った。


「ビビって固まってるだけじゃ、どのみち死んでしまう。だったら——少しでも長く足掻いた方がいいんじゃないかな?」


 その言葉に、あちこちから小さな笑いと拍手が巻き起こった。


(……凄い)


 正直、俺はその時、ほんの一瞬だけ胸騒ぎが和らいだ。


 この人がいるなら、もしかしたら——と。


 アレスが拳を高く掲げる。神獣の黄金色の瞳が、退屈そうに彼を見下ろした。


「まずはアイツの“パターン”をこれから探る。俺が前でヘイトを稼ぐから、遠距離職とヒーラーは無理に出てこないように。情報を集めながら——」


 彼がそこまで言いかけた、その瞬間だった。


 神獣の首が、ぬるりとアレスの方へと傾いた。


「……っ!?」


 ——次の瞬間、巨大な影がアレスの頭上を覆った。


 誰も動けなかった。そのアレスでさえ——ほんの一瞬、遅れた。本当に一瞬だけだった。


「上——」


 悲鳴にも似た誰かの悲痛な叫びと、爆撃音のような轟音が重なる。


 神獣の前脚が、まるで地面のホコリを払うような雑さで、彼の立っていた場所を叩き払った。


 石畳が大きく砕け、土煙が立ち上がる。


 ステータス画面を見る余裕なんてなかったのに、土煙の中、視界の端に見えたアレスのライフゲージだけが黄色から赤を飛び越え、そのまま一気にゼロに落ちるのが見えた。


 咆哮のエコーがまだ耳に残っているうちに、彼のアバターは細かなポリゴン状の粒となって、やがて跡形もなく爆散した。


 それは、一見すれば、ただのゲーム内の“消滅エフェクト”に過ぎない。


 ただ——誰も、その先を考えたくはなかった。


「……嘘、でしょ」


 誰かが、搾り出すように呟く。同時にあちこちで悲鳴が再び巻き起こる。


「嘘だろ……あのアレスが、たったの一撃……?」


「待てよ、今のガードも、回避も絶対間に合ってただろ……?」


 アレスを失った俺達は、再び絶望の淵へと叩き落とされてしまった。


「ふざけんなよ……」


「プロでも勝てねぇのかよ……」


「こんなの、勝てるわけ——」


 あちこちで多くのプレイヤーが膝から崩れ落ちる。


 アレスが立っていた場所には、もう何も残っていない。


 世界最強だの、四連覇だの、そんな肩書きは、この世界では何の役にも立たなかった。


「……っ!」


 じいちゃんの言葉が、嫌でも脳裏をよぎる。


 ーーーーーーー


『恐怖と怒りが溜まりすぎると、良い気まで腐って、全部“邪気”になる……』


 ーーーーーーー



 一度は、かき消えかけた悲鳴と憎しみが、アレスの死をきっかけに、今度は先程よりも早く闘技場に満ちていくのが分かった。


「……っぐ!」


 胸の真ん中の圧迫感が、さっきよりもさらに重くなる。


「兄貴……」


 背中越しに、咲の掠れた声。俺が振り返るより早く、神獣の黄金色の瞳が、今度はこのエリア全体を舐め回すようにゆっくりと見下ろした——。


『グォオオォオ〜〜ッ!』


 あまりに、一瞬の出来事だった。


 その一撃だけで、何百人ものプレイヤーが黄色から赤へと一気に減少する。同時に、光の欠片となって散っていく。


「兄貴っ!」


 咲が後ろから俺の腕にしがみついてくる。


 その手はひどく震えていて、まるで氷のように冷たかった。


「大丈夫だ。絶対に——」


 守る。


 そう言い切る前に、神獣の巨大な前脚がこちら側のエリアを豪快に薙ぎ払った。


 避けきれない、と直感した俺は咄嗟に妹を抱き抱えようとした——その時だった。


 妹が俺の身体を全力で突き飛ばした。


「咲っ——!」


 視界が横に流れ、俺はひどく床に肩を打ちつける。顔を上げたときには、妹の正面に、既に神獣が迫っていた。


「や、やめろ……」


 神獣がチラリと、俺に目を向ける。ご満悦な表情を浮かべていた。


 そして——


 鈍い衝撃音と共に、血のような赤いエフェクトが周囲に飛び散った。


 妹の身体がぐらりと揺れる。胸元のあたりから、光がじわじわとこぼれ落ちていく。


「……や、やめろぉおぉ〜〜っ!!」


 さっきまでしっかり握っていたはずの手から、力が抜けていくのが遠目にも分かった。


「に、兄貴……」


 血のような赤い光に包まれながら、妹は必死に微笑んだ。


 妹の頭上に浮かぶ小さなゲージが、残りわずかのところで点滅している。


「ねぇ、兄貴……」


「咲……っ!」


 喉が引っ付いているせいで、うまく声が出ない。


「……今日ね……実は兄貴の大切なマグカップ、割っちゃったんだよね……ごめんなさい」


「分かったから……もう、喋るな……」


 妹が俺の頬に手を伸ばす。冷たい掌が余計に悲しくなる。


「……兄貴……言うの、遅れちゃったけど、誕生日おめでとう……それから、いつも、本っ当〜に、ありがとう……咲は、ずっと……兄貴のことが……」


「……咲ぃっ!!」


 妹の微笑みと同時に、まばゆい光が視界に弾け飛んだ。


 妹のアバターは細かな光の粒となって、俺の目の前から、空へ、そして虚空へと跡形もなく散っていった。


 ——何も、掴めなかった。


「咲ぃいいぃっ!! うおおぉおぉあぁあぁ〜っ!!」


 喉が裂けるほど叫んでも、もうどこからも返事は返ってこない。


 その代わりに紫色の空の高みから、乾いた笑い声だけが降ってきた。


 ーーーーーーー


 いいですね、その顔。絶望。憎しみ。とても、とても——美味しい。


 さぁ。人類の皆さん、もっと遊戯を楽しんで下さい。あなた達が壊れていく様子ほど、神々を飽きさせない娯楽はありませんから。


 ーーーーーーー


 固く握りしめた手のひらに、爪が食い込み痛みが走る。が、今はそんなことすらどうでもいい。


(……殺す、ぶっ殺す……)


 叫びたいのに、声はもう出なかった。


 代わりに、胸の真ん中で、何かが音を立てて静かに割れるような音がした。


 その瞬間、俺の視界に、見覚えのある紫色の文字列が浮かび上がった。


 ※※※


【神狩り特殊訓練:第一段階クリア】


【感情値:憎悪 閾値を突破】


【あなたは“神狩り”としての適性を獲得しました】


 ※※※


 以前、じいちゃんは、“感情は五臓を壊す心の刃にもなる”と笑っていた。


 今、その刃を、俺は全部ひとまとめに握りしめている……。


 to be continued……。

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