episode.03 Chains of Promise〜約束の鎖〜

 六月某日、十八時過ぎ、倉田家キッチン。


「もうっ! あれだけ遅くならないでよねって釘を刺したのに、まだ帰ってこないなんて!」


 エプロン姿の咲は、キッチンで鼻息を荒立たせながらボウルに入った生クリームを力任せに泡立てている。


 テーブルの上には、和彦が大好きなチョコレートケーキと咲特製のデミグラスハンバーグと、ポテトサラダが並んでいる。どれも凄く手が込んでいてとても美味しそうだ。


「兄貴のバカっ! 奮発して色々と用意したのに! なによっ!」


(私は——今日、兄貴に日頃の感謝の想いを伝えるつもりだった……)


 そう口では怒りながらも、咲は胸のあたりをそっと押さえた。


 最近はだいぶ落ち着いてきたとはいえ、夜ひとりでいる時にだけ、発作で胸の奥が急にきゅっと苦しくなることがある。


 彼女が手を止め、食器棚の中から和彦のお気に入りのマグカップを取り出そうと取っ手に触れた、その時——


「……あっ!」


 ……ガシャンッ!


 手元が狂ってしまい、誤ってマグカップを落下させてしまった。


 粉々に砕け散る青い破片を見て、彼女の顔から血の気がジワジワと引いていく。


「……ど、どうしよう」


 兄妹にとって、このマグカップは両親が使っていた大切な形見のようなものだった。


 咲がまだ小さい頃、発作で苦しんでいた夜に、兄はいつもそのマグカップで温かいミルクを作ってくれた。


「兄貴、怒るだろうな……」


 そう思いながらも、胸の奥がきゅっと縮むように苦しくなった彼女は、思わず浅く息を吸った。


(中学生にもなって、こんなことでビビってるなんて、ほんと情けない)


 そんな不安を拭うように、彼女が破片を一箇所に集めていた——その時だった。


「ただいま〜っ!」


 和彦が帰ってきた。


(うそっ! やばい……)


 咲は一瞬、「ごめん」と飛び出していく自分を想像する。だが、喉が固まって上手く声が出ない。


「……っ!」


 彼女は震える指で破片をビニール袋に押し込み、キッチンの隅へと隠した。


 ——そして。


「咲〜っ! 遅くなって、本当にっごめん……って……なにしてるんだ? 開けてくれないと入れないじゃないか」


 和彦が開けようとしたタイミングで、彼女は急いでリビングのドアの鍵をかける。


 ——そして


「だ、ダメ! ま、まだ入ってきちゃだめだかんねっ! 入ってきたら絶交だから!」


(見つかったら、マグカップのことも、発作のこともきっと怒られる……今日は、ちゃんと笑って祝うって決めてたのに——もぅ、私のバカっ!)


「ぜ、絶交っ!? ほ、本当に悪かった……だから許してください」


 すりガラス越しに憤りを募らせる彼女に対して、俺は全力で頭を下げた。


 俺はこの時、妹が本当に怒っていると思っていた。怒っている時は下手にしないほうが上手くなだめれることを俺は過去の経験から知っていたからだ。


 すると。俺の姿勢が伝わったのか、妹がすりガラス越しにポツリと呟いた。


「……いいよ。許してあげる。ただし、条件付きだけどね!」


「条件……?」


「先に、お風呂に入って来てちょうだい!」


「OK! それで許してもらえるんなら、朝飯前だっ!」


 そして。俺はそのまま。風呂へと向かった。


 ——この時の俺は、本気で“いつもの喧嘩”だと思い込んでいた。


 ♢


 風呂から上がると、リビングのドアの鍵は外れていた。


「咲〜っ! お風呂、上がったぞ………」


 俺が浮き足立たせて、リビングに入ると。


「……な、なんだよこれっ!?」


 テーブルの上には湯気の立つ、手の込んだ料理とチョコレートケーキが所狭しと置かれていた。どれも俺の大好物ばかりだ。


「なぁ、咲っ! これ全部お前が作ったのかっ!?」


 しかし、どういう訳か妹の姿が見当たらない。


 コンコン……。


「咲……入るぞ?」


 二階の部屋に行くも、部屋は真っ暗で妹がいたような痕跡はなかった。


 それから俺が再びリビングに戻った時、俺はあることに気がついた。


「……あれ、なんでここに?」


 リビング横の狭いスペースに、俺がさっき部屋に置いてきたはずのVRヘッドギアがあった。


 しかも、何故か緑色のインジケーターランプが静かに点きっぱなしになっているのだが、妹の姿は——どこにもない。


 そのすぐ横には、妙に浮いた説明書が置かれていた。


(咲が……ログイン、してる……?)


 ごくり、と俺は生唾を飲んだ。


「いや、まさかな……」


 だが、ヘッドギアの横には、誰も横たわっていない空っぽのスペースがあるだけの奇妙な光景だった。


「咲……? 咲っ!! おい! いるんだろ! 悪かったって! ごめん、本当に反省してる……だから、もういい加減出てきてさ、そろそろ仲直りしようよ?」


 返事が一つもないまま数秒……やがて一分がたつ。リビングにはヘッドギアの静かな駆動音だけが、不気味に響き渡っているだけだ。


「……咲? なぁ。頼むから返事くらい、してくれよ」


 さっきまで、謝るために張り続けていた俺の声が、気がつけばいつの間にか情けないほど小さくなっていた。


「なぁ!……咲っ!」


 ——その時だった。


 俺の視界に、例のシステムウィンドウがじわりと滲み出る。


「な、なんなんだよっ!」


 ※※※


【命令 : 《Gods Hunt Online》にログインしなさい】


【対象 : 倉田和彦】


【備考 : の安否は、あなたの行動に依存します】


 ※※※


「……連結、対象……だと?」


 誰のことかなんて、考えるまでもなかった。


 考えるより先に、気がつけば俺は、予備のVRヘッドギアを掴んでいた。


 妹を追いかけるように——俺はもう一度、《Gods Hunt Online》にログインした。


 ♢


 《Gods Hunt Online》内にて。


 視界が暗転し、足元の感覚がふっと消えた。


 あの無重力感が、さっきよりもずっと重く、粘つくように全身に絡みついてくる。


(……咲っ!)


 胸の奥で強く名前を呼びながら、俺はゆっくりと瞼を開けた。


 そこは、さっき高橋達と来た時とは違い、見慣れた円形広場ではなかった。そこは、見慣れない高い石壁にぐるりと囲まれた、巨大な円形闘技場コロッセオのような所だった。


 観客席のような階段状の席には誰も座っておらず、その代わりに、コロッセオの中央部には見たこともないプレイヤーの数で埋め尽くされていた。


 すると。視界の端に、自動的にウィンドウが表示される。


 ※※※


【オンライン参加者:15,000人】


 ※※※


(15,000人……)


 周囲のプレイヤー達の、ざわざわとした喧騒が俺の耳に刺さる。


「……なんだここ? こんなイベントあったっけ?」


「多分、これさ。ほら、例の奴じゃない?」


「まぁ。なんにせよ。報酬次第ではアリだな」


「ねぇ、ちょっと待って……ログアウトボタンがどこにもないんだけど?」


「……おい、ステ画面の“死亡時”の説明、なんかさっきと違うぞ!」


 ——好き勝手な声が飛び交う中、視界のウィンドウの出現と共に、頭上から透明な声が降ってくる。


 ーーーーーーー


 ようこそ、皆様……“人類の遊戯”へ。


 私の名は、遊戯神≒シムニ……。


 私を含め、これまで多くの神々が人類の皆様には非常に残念がられていました。本来、人類の皆様が持てる素晴らしい力を誰も活用しようとはしない、むしろ、怠惰に自堕落に過ごされているからです。


 なので、そんな遊び好きの皆様に楽しんで頂けるように、“Judgment of GODS”〜神々の裁き〜をプレゼント致します。


 どうぞ、お手元のメインボックスからイベントの詳細を確認されて下さい。


 ーーーーーーー


 ※※※


【代表プレイヤー:15,000人】


【連結対象:15,000人】


【ルール:各ペアにつき、生存資格を得られるのは原則“どちらか一方のみ”】


【ただし、一部の例外的な条件下では、この限りではない】


 ※※※


「は……?」


 思わず、情けない声が漏れてしまった。


(ペア……連結対象……)


 胸の中で、さっき見たウィンドウの文言が蘇ってきた。


 ※※※


【連結対象の安否は、


 ※※※


 ——この家で、《Gods Hunt Online》にログインできる人間は、一人しかいない。


「咲……っ!!」


 俺は、喉が裂けそうになるほどの大声で妹の名を叫ぶと、勢いそのまま、人混みをかき分けてひたすらに走った。


「咲っ! 咲!! おい! どこだっ! 返事しろっ!」


 だが、返事はない。


 妹の名を呼ぶたびに、似ても似つかないアバターが何十人も振り向いて来る。


(頼むから無事でいてくれ。神様、一生のお願いだ……咲……)


 その時——


「……“兄貴”?」


 雑踏の隙間から、聞き慣れた声がした。


 俺は立ち止まり、そして振り向く——


 そこに立っていたのは、一人の少女のアバターだった。


 現実の咲より少し背が高く、髪も長い。服装も、見たことのない西洋風のワンピースだ。


 それでも——


 肩甲骨まで伸びた黒色の髪。大きな瞳。右手首に巻かれた、俺が今朝貰ったのと全く同じようなカラフルなリストバンド。


 そして、なにより——“兄貴”という特徴的な口調。間違いない。


 俺は声色を変えて、その少女に話しかけてみた。

 

「……咲、なのか」


「う、うん……」


 少女——咲は、おそるおそる頷くと、ぎゅっと俺の服の裾を掴んだ。


「ごめんね。勝手に来ちゃって。兄貴の部屋の前、通ったときにね、その……ヘッドギア、カバンの横に置いてあるの見えちゃってさ……。どうかな、黒髪? イメチェンしてみたんだけど、似合う……」


「なんで一人でログインなんかっ——」


 怒鳴りかけた声を、俺は歯を食いしばって深く飲み込んだ。


 妹は一瞬、ビクリッと強く身体を震わせる。やがて、怯えた表情のままだった妹が、俺の様子を伺うようにしてゆっくりと口を開く。


「ごめんなさい。今日、本当は兄貴にちゃんと“ありがとう”って言おうと思ってたんだよ。ハンバーグとかケーキとか、頑張って作ってさ……でも、兄貴の顔見ると、なんか……恥ずかしくなっちゃって。上手く言えないなって思って……それで」


 俺の脳裏に、湯気の立つ美味しそうな料理とチョコレートケーキの光景がフラッシュバックした。


「だからせめて、兄貴の好きな世界をさ、咲も一回だけ見てみようかなって。そしたら、少しくらい勇気がもらえるかなって、そんなこと思っちゃってさ……本当にバカな妹だよね」


 胸の中で、何かが嫌な音を立ててひび割れていく。


 分かっている——


(全部——俺のせいだ)


 さっき心のどこかで、“一日くらい約束を破ってもいい”と考えてしまった自分に吐き気がする。


 俺がヘッドギアを家に持ち込んだから。俺が約束を軽く見て帰りを遅らせたから。俺が風呂場に逃げ込んでいる間に、咲はひとりでここに来てしまった。


 後悔しようにも、過ぎたことは、もうどうすることもできない。


「まぁ——なんだ。咲が……」


 俺がそこまで言いかけた時——


 頭上の空に浮かぶ巨大な太陽が、突如ぎらりと強く輝いたかと思うと、黒く点滅を始めた。


 俺は酷い胸騒ぎを、感じずにはいられなかった。


 それから直ぐに——再び、視界のウィンドウと共に透明な声が降ってきた。


 ーーーーーーー


 説明を続けます。


 ーーーーーーー


 ※※※


【代表プレイヤーと連結対象は、魂のリンクを共有します】


【仮にどちらか一方が先に死亡した場合、もう一方は“生存資格”を得ます】


【あなたが愛する者を守るのか、それとも——差し出すのか】


【全イベント終了時点で、生存資格を持つ者のみが現実世界への帰還という権利を得ます】


 ※※※


「ふざけるなよ……」


 思わず、拳をぎゅっと固く握りしめる。爪が掌に食い込んで、じんとした痛みが走った。


 周囲でも、同じような怒号やざわめきが上がっていた。


 そのざわめきを踏み潰すかのように、地面がいきなり大きく揺れ始める。同時に視界に表示されていたウィンドウの内容が更新されていく。


 ※※※


【神獣出現】


 ※※※


 闘技場の中央の床石が、蜘蛛の巣状にひび割れていく。同時にその裂け目から、黒い霧が噴き出す。霧の向こうから、何かがゆっくりと這い出してくる。


「……っ!?」


 俺を含める、そこにいた誰もがみんな言葉を失った。


 鉛色の鱗に覆われた巨大な四つ足。山のようにねじれた仙角。それから淡く輝く黄金色の瞳が、退屈そうに半眼で俺達を見下ろしていた。


 頭上にその化け物の名前が浮かぶ。


【神獣 : ヘスカ・コアトル】


(シムニ……)


 朝、部屋の中に浮かんだウィンドウに続いて、佐伯が言っていた内容が頭をよぎる。


 ※※※


【“神狩り特殊訓練:瞑想三十分”】


【“人類をひとつの世界で裁く。遊戯神≒シムニ”】


 ※※※


 ーーーーーーー


 さあ、始めましょう。


 誰が生き残り、誰が消えるのか——私は、とても、とても楽しみです。


 皆様には、どうか本気で足掻いていただきたい。どうか本気で遊んでいただきたい。


 ーーーーーーー


 次の瞬間、神獣の口が大きく開かれる。同時に、身体中の神経を逆撫でするような咆哮が、闘技場全体へと響き渡る——そして、全プレイヤー達の心臓をヒヤリと冷たい手がゆっくりと掴んで離さなかった。


 to be continued……。

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