第7話 月下の誓い
馬車が停止し、少し揺れる。
(大体七時間か……。今は深夜の一時くらいだろうか)
その揺れでヴァジュラは起きたようで、重そうな瞼を上げながら馬車の扉を開けた。
先に馬車に降りた彼はイレンへ手を差し伸べる。
「ありがとうございます」
「もう小鹿ではないんだな。特別に、また運んでやってもいいと思っていたんだが」
「そ、その件に関しては申し訳ありませんでした!」
咳ばらいをしながら、イレンは席から立ち上がり、ヴァジュラの手を取った。
自身の手より一回り大きなその手。がっしりとしていて、安定感があった。
そうしてイレンは地面に足をつく。馬車はそのまま屋敷にしまわれるようで、どこかへ走っていった。
空気が冷たい。息が白くなるほどではないが、着ているドレスが薄いために肌寒い。
「ここが、ヴァジュラ殿下の御屋敷ですか……」
イレンは感嘆の息を吐く。
王都から少し離れた北の大地に存在する第二王子の屋敷。領地としては彼の母方のディアマン辺境伯のものである。馬車でも通ったが下へ下ると大きな街がある。
屋敷は広大な土地を生かした、シャトーエスク様式の左右対称のもの。
石造りの豪華なもので、入り口までに広がる庭園は丁寧に整えられている。炎の魔石のライトにより何とかルドベキアやマーガレットが咲いているのが分かる。
屋敷に続く道の中央に置かれた、天高く水が流れる噴水も見事なものだ。
「壮大な屋敷ですね……」
「あぁ。そうだな。……俺にはもったいないくらいだ」
ヴァジュラは目を細めた。悲しそうな顔が気にかかる。
しかし今それを問いただしても答えてはくれないだろう。
イレンはヴァジュラと顔を合わせるのも、言葉を交わすのも今日が初めてだ。
その心に触れるにはまだ関係性がない。
ヴァジュラは屋敷へ歩き出し、背を向けた。
しかしイレンは頭を埋め尽くす疑問の解消のために口を開いた。
「……殿下、少々お時間をいただいてもよろしいでしょうか」
「構わん」
イレンは深く頭を下げた後に、彼を真っすぐと見つめた。
「まず、此度の件、御礼申し上げます。私の罪は貴方様の言葉あって無罪となりました。決して返せぬ恩と言えるでしょう」
「俺はただアイツが気に食わないからしただけだ」
「そのことについてお聞きしたいのです。【決闘】を行うという発言。殿下は何を考えているのでしょうか。【王の剣】でなくても、国を守る使命を持つ我が身としては決して無視できないものです」
王族に対して礼を欠いた発言なのは承知である。
しかし、それでもイレンは知りたかった。
目の前の男は悠然と立ち、月を見上げている。その光景はまさに絵画だ。
したり顔をする彼は少しの沈黙の後にイレンの瞳を見た。
「……アイツは俗世に染まりすぎて、欲を抑えめる鞘がない。それの延長に闇魔法があるのならば王族の者として止めるのが我が使命。そう思わないか?」
「知っていらしたのですか!?」
「俺の陰魔法と似ているかは知らんが、俺には闇魔法の粒子が目で見える」
自身の目を指さし、悠々と笑う。
「好機だと思った。あの完璧なお兄サマから闇魔法の証拠が見つかれば? 俺に王座は回ってくる。初めは闇魔法の証拠を着々と集める、そんな駒の進め方をしようとしたが、アッハハハ!」
噴き出すように笑っている。イレンはそれを怪訝な瞳で見やる。
「まさか、お前に闇魔法を使ってあの女を王太子妃に据えるとはな! いやはや、審美眼の欠如には同情しかないなァ。まぁ、そのおかげで俺はお前と手を組めるんだがな」
「第一王子派から抜けた私を使いたいと? ……なるほど、それで【決闘】を」
ある程度の筋書きが読めてきた。
「千年続くラズワルド一族の中でも飛びぬけて優秀と謳われるイレン・ラピス・ラズワルドがこちら側につくんだ。【決闘】をしないわけがない。【決闘】をすればアイツらを強制的に外に出せるし、話もできる。闇魔法のボロが出る可能性も高い。たとえ負けても闇魔法の証拠さえあれば即刻身分剥奪の末に牢獄行き。俺の勝率は高まる!」
生き生きと話す彼の頬は紅が指し、恍惚としている。口早に語るのは、それだけ今の状況が待望の盤面になっているからだろう。
(闇魔法に手を出したオハルス殿下は、もう王に相応しくはない。故に第二位のヴァジュラ殿下を王に据えようとするのが普通だろうが……。私は彼をよく知らない。それに、私に剣となる力がまだあるのだろうか)
ヴァジュラと相対的に俯くイレン。
彼女の胸の内はグルグルと渦が出来ていた。
なにせ、自分には力がない。
【王の剣】であったから彼女は庶子でも社交界に君臨していたのだ。
今の自分にには彼が期待するほどの力がない、目線を逸らしながらイレンは口を開く。
「……私は【王の剣】ではありません。神聖力が一つもない。魔力なしと同じです」
「分かっている。あの場で発動できない時点でな」
「それだと言うのに【決闘】を? あくまで予想ではありますが、私の能力はすべてフラウンに奪われています。あの子が、私を最秀と称えさせた能力を持っているのですよ」
言葉にすればするほど胸に棘が刺さる。
嫌というほどに現実を直視する。
するとヴァジュラは不思議そうにイレンを見つめる。首を傾げ、呆れた様子だ。
「お前は何を言っているんだ。あの気分屋に振り回される中、家令と共に王城を支えたのは誰だ? 今までのパーティ―や外交、内地の紛争に尽くしてきたのはお前だろうが。書類仕事に【王の剣】は関係ないだろ」
「……あ」
何かを見透かすようでも、飾るようでもない、ただ真っ直ぐな目をしていた。
胸の奥に、小さく音がした。誰にも見られないことに慣れていたはずの歩みが、ほんの少しだけ、報われたような気がして。
ラズワルド家の直系に生まれ、【王の剣】の能力を持った。
故に、イレンがすることは誰よりも上に立ち、誰よりも国に尽くすこと。
ラズワルド血族はすべてを国に捧げるのが宿命。
それを誰かに認めて欲しいと思ったことはない。
だが――。
「俺は、バカ真面目に国のために尽くしてきたお前が欲しいんだ。今時、そんな忠誠心を持って励める人間は少ないからな」
嘘偽りない銀の光が眩しくて、イレンは顔を片手で覆う。
一度だけ目を拭った後、彼女は頭を下げた。
「光栄極まります。御身の温情に感謝します」
「俺は思ったことを言っただけだ。感謝をする意味が分からないな」
呆れるようなため息をつくもヴァジュラの表情は穏やかで、懐古するような瞳をイレンに向けていた。
そして、ヴァジュラは少しの咳払いの後に口を開く。
「それで、闇魔法に手を出した王子と、忌み嫌われる陰魔法使いの王子。どちらの手を取るんだ? まぁ答えなど、分かり切っているがな」
「……疑っていないのですね」
イレンの言葉に、ヴァジュラはニヤリとした笑みで返す。
――「この俺を王にしてみせろ」
月光に照らされたヴァジュラのその瞳は自信に満ち溢れ、こちらを煽るようだった。状況を顧みればその発言がいかに無謀で横暴であることか、幼子でも分かるだろう。
呆れたものだ。
王家の血を引くものなんてまだ数名いる。オハルスの代わりがヴァジュラだけということはないのだ。
しかし不思議なことに己の心臓は心拍を早めつつある。
彼の言葉はイレンの心に波紋を作っていた。奥へ、奥へとその言葉が体に染みていく。
(呆れるのは、私か。彼の言葉で絆されたつもりはないんだが……)
後ろの庭園で咲き誇る花々が花弁を散らして、夜風に踊る。
イレンの体は自然と動いていた。令嬢らしく、ドレスの端を持つなんてことはしない。ただ己の体に流れる血に従い、彼の元に片膝をつき、頭を下げた。
「貴方を王にしてみせましょう」
その言葉を言い切ると、十七年の人生では感じたことのない幸福感、達成感があった。
今宵、すべてを失ったのはこの瞬間を得るためだったのかと思うほどだ。
――王国のために、ヴァジュラ殿下を王にする。
イレンの金の瞳はギラリと光った。その口元は強く結ばれている。
ヴァジュラはその決意に固まったイレンの表情にしたり顔をするのだった。
次の更新予定
貴方を王にしましょう~すべてを奪われた令嬢は嫌われ者の第二王子の手を取る~ 松竹赤留 @matutakeakaru
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