第6話 待宵の月

 人がいない場所まで来るとヴァジュラは手を放した。


「悪かったな、急に腰を抱いて」


「い、いえ。大丈夫なんです、がッ!?」


 イレンはその瞬間、地面にパタリと座ってしまった。


 立ち上がれない。まさかこれは……。


「えっと、すみません。少しだけ時間を貰ってもよろしいでしょうか?」


 プルプルと肩を震わす。顔がとても赤くなっていく。

 ヴァジュラの顔など到底見れない。


「緊張の糸が切れたのか。フッ、あの最秀と言われるイレンが立てなくなるのは実にいい絵じゃないか。これを画家に描かせたいものだな」


「……申し訳ありません」


 どうにか顔を背ける。そして自身の足を軽く叩く。早くこの状況を打破したい。


「おい、足を叩くな。ったく、仕方ないな……」


 ヴァジュラは髪を掻き上げ、息を吐いた。

 そしてイレンをひょいっと持ち上げる。


「えっ!?」


 まさにそれはお姫様だっこ、という令嬢なら憧れるシチュエーションだった。

 イレンの顔は更に赤くなり、俊敏に両手で顔を隠した。


「ま、待ってください! 自分で、自分で歩けますから!」


「それだといつまでかかるか分かったものじゃない。俺はこんなとこに一秒でもいたくないんでね。さっさと屋敷に帰りたいんだよ」


 そう言って歩き出してしまう。安定感のある動きで、落ちるという不安はない。


 しかし落ちていてほしかったのがイレンの願望である。


「ん……? 屋敷ってヴァジュラ殿下の御屋敷ですか?」


「あぁ。お前には色々と協力してもらう。だから強制的に連れて帰る。それに、あんなことがあったんじゃお前の屋敷には帰れないだろ」


「……そうですね」


 混乱を極めたパーティ―のおかげか誰とも遭遇せずイレンたちは外へと向かっていた。


 エントランスの階段を下り、外に出る。すると目の前には馬車があった。

 馬が二頭ついており、御者が降りてきて、帽子をとり、敬意を見せて頭を下げた。馬車は飾り気のないもので、強いて言えば扉に王家の銀色の紋章があるくらいだ。


 御者が銀色の取っ手を掴み、馬車の扉を開ける。ヴァジュラはそこにイレンを優しく座らせた。


 椅子はかなり柔らかく、このまま眠れてしまうほどに楽だ。少し斜めになっている仕組みがそうさせるのだろうか。

 しかし目の前に座るヴァジュラにより眠気は吹っ飛ぶ。


「ありがとうございます、ヴァジュラ殿下。そして御身にこのようなことをさせてしまい申し訳ありません」


「俺がしたくてやったことだ。それに、色々と巻き込む予定もあるしな」


 ヴァジュラは窓際に体を預け、頬杖をついた。その横顔は絵画のように整っており、見るものを惑わすような色気すら感じられた。

 その視線の先には何があるのか、何を考えているのか。イレンはただ疑問に思う。


 その後イレンはあちこちに視線を向け、自身の手を意味もなく触る。

 少しの時間が経った後イレンは目を鋭くさせ、拳を作った。


「……あの、殿下! 先ほどの件なのですが――」


「……スー、スー」


 ヴァジュラの方へ顔を向けると、彼は目を瞑り、寝息を立てていた。その穏やかな寝顔に呆気にとられ、続けようとした言の葉が宙に散る。開いた口をゆっくりと閉じた。


(まだ馬車乗ってから数分も経っていないはずなんだけど……。色々と聞きたいことがあったが彼の屋敷についてから話してもらおう。できれば今日中には話したい。でないと眠ることなんてできやしない)


 眼前の第二王子を見やる。助けに入ったと思えば【決闘】に巻き込まれる始末。一体何を考えているのかは分からない。

 しかしあの時の腕は安心感があり、イレンにとっての一筋の光であったことは紛れもない真実であった。


 イレンは自身の手のひらに視線を移す。どれだけ力を込めても何も出てこない。


「……やはりもう【王の剣】ではなくなってしまったのか」


 昼間のアレが起因だろう。神聖力も感じないし、体も鉛のように重い。

 下を向き、腕を強く掴む。色々な出来事がイレンの頭を埋める。


(闇魔法だけはどうにかしなくては。オハルス殿下には王座を退いてもらい、この国を任せられる人物を探す――でもヴァジュラ殿下が【決闘】を宣言してしまったんだった)


「……はぁ」


 重い溜息が出る。


 生まれた時から決まっていた一本の道が急に崩れた。別の道を考えたことのなかったイレンにとってこの事態は簡単に受け入れられるものではない。

 迷子の子供になった気分だ。


 しかしその崩れた道に現れた新たな道。これが何を意味するのか、イレンは分からない。


 窓を見やると月が見えた。ダンスホールの時にも見えた月。

 満月ではない、少し欠けたもの。

 今夜は十四夜。待宵の月だ。

 流れゆく王都と月の風景をイレンは見つめ続けた。

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