企画  期間限定公開

アタオカしき(批評会開催中)

竹取の聞き取り:さしあたりの竹取

 わたしは巻子本まきものを手に、あぐらをかく藤原様の前に座した。


 物語を作れと、御拝命をいただいている。

 その成果を聞いていただくため、腹から声を出した。


『今は昔』


 緊張しているからか、小さい声しか出せなかった。咳払いをする。右耳に留めた、竹の花を指で摘む。そうすると、お腹の下のわさわさが落ち着いていく気がした。


 大きく息を吸う。


『今は昔、柴刈りの翁という者がいた。野や山に分け入って薪を刈っては、それを売り歩いていた。ある日山の中にて、光るものがひとつあった。近寄ってみると、土の中が光っている。それを鎌で掘り起こすと、鉄の玉があった。鎌で叩くと真っ二つに割れた。すると中には三寸ぐらいの人が居た。かわいらしい様子で座っている』


「最初から」


 声が小さかったのだろうか。


『今は昔、柴刈りの翁という者が』


「止まれ」


 巻物から目を離し、顔を上げる。


「柴刈り?」


 でっぷりとした唇がぐにゃぐにゃと動く。藤原様は退屈そうに、腫れぼったいまぶたの目を細めた。


 わたしは平気なふりをして、作った笑顔で頷く。


「名声を高める物語には、共感という要素があるようです。貧しき翁の、ふしぎで豪傑な物語でございます。後に、翁である藤原様は山の鬼を斬ることになっております」


 藤原様は獅子が唸るような声を出して、太い首を横に振る。


「ならん。そんなもの、普段と何ら変わりない。千年先でも残る物語を語り聞かせい」


 藤原様は、肘置きに深々と左腕を預ける。その姿勢と同じような、深いため息を吐いた。


 つい、耳にかけた竹の花を触ってしまう。


「柴刈りを変えろ。明日までに書き直せ。(我を)翁に見立てるのも止めろ。書けなければ斬る。心得よ」


 藤原様は壁際にいる。その背中近く、壁には、大太刀が立てかけられていた。刃は、灰のような深い色になっている。鬼の灰色の血を吸った模様だ。


「下がってよい」


 腫れぼったい目に睨まれる。その目の力強さは、あの大太刀を肩に当てられているような気分になるほど鋭い。


 下がってよいという言葉を賜ったので、額が付くほど頭を下げる。


 藤原様にふさわしい、千年先も残る立派なものを書かねば。


 面を上げた後、藤原様の付き人に誘導されて、この場を離れた。


「うーん……わかんねーなー」


 寺へ帰りながら、千年先も残る立派なものを考える。あちこちに転がっている犬の野糞を、あえて輪郭にそったぎりぎりのところを歩く。そうすると、自然と考えることだけに集中できる。


「おーい」


 立派とは、一体なんなのだろうか。


「おーい澄恵ちょうけい


 千年先でも残るものとは。


「聞こえてるかー澄恵」


 今でもよく聞く言い伝えに、どのような話があったか。


「おい!」


 肩を叩かれてびくりと首をすぼめる。


 顔を上げると、右手側に女の子がいた。同じ寺に住む、想静そうせいだ。


 自分はもうすでに、寺の入り口に着いていた。寺で一緒に住んでいる十数人がこちらを見ている。


 想静が顔を近づけてきた。


「どうだった」


「明日死ぬらしい」


「え!」


 想静はこちらから離れて、顎に手を当てる。


 わたしは、みんなに問いかけた。


「なぁー千年先でも残る立派な物語ってなんだと思う」


 代表となるように、想静が先に口を開く。細身の体にぴったりな声音が発される。


「なんだそりゃ。もしかして書けないと殺されるのか」


「うんそうなの。話が早いね」


 想静は、頭がいい。細かく説明しなくても伝わる。さっそく、これからしなければならないことを想静に伝えた。


「立派な物語って、出てくる人が立派ってことなんじゃね?ほら、鬼退治の話みたいな」


「そうなのか。そうかも。でもなんかが足りない気がする。鬼退治の話だと、オチっていうのかな、なんていうか、強い人の話なだけっていうか、鬼じゃないだけの強盗みたいな」


「んー最近そんなことあったもんな」


 鬼に襲われている村へ、ちょうど強い過客たびびとがやってきた。その過客は鬼を殺した後、鬼のように村人を強請った、という話を最近聞いた。


「じゃあ、あと、ほら、あれだ、お師匠様がいつも言ってるやつあるじゃん。それが立派なんじゃね」


「なるほど」


「じゃあ、そろそろ糞拾い行ってくる」


 想静は地面をつま先で叩く。すると細い竹が一本生えてきた。この不思議な力を、お師匠様は御力と呼んでいる。寺のみんなも持っているものらしい。けれど想静みたいにはっきりと分かっている人は少ない。


「あ、見て」


 想静が空を指す。


 青い空に浮かぶ雲に隠れて、龍が飛んでいた。その龍が、大きな前足で体を掻く。


 そこから、何か小さな粒が落ちてきた。


「虫が落ちてくる。みんな寺を守れ」


 龍が体を掻くと、人丈くらいの硬い虫が落ちてくる。そんなものがぼろぼろの寺に落ちたら、屋根に穴が空いてしまう。


 何人かは、屋根に登った。


「おりゃ」


 想静は足元から竹を伸ばして、落ちてきた2匹の虫を突いた。


 だけど、硬い殻に弾かれて、ひとつは屋根に、もうひとつは寺の囲いに転がっていく。


 屋根に落ちた虫は、みんなが受け止めて地面にはたき落とした。


 寺の囲いに向かって転がっていく虫は、想静がその近くで竹を伸ばして受け止めた。


 とどめをさすには、少し時間がかかる。


 手伝おうと思って、一歩踏み出した。すると想静が大丈夫と言うように手を振ってくれた。


「こっちは気にすんなー頑張れ」


 細い竹を引き抜いた想静は、肩に担いで、投げ渡された竹の桶をふたつ、天秤のようにぶら下げた。


「うん」


 さっそく筆を握った。



 翌日。


『今は昔、糞拾いの翁という者がいた』


「止めろ」


「はい」


「何だ糞拾いとは」


「千年先も残るご立派な物語のお方とは、野犬の野糞を拾って片付ける、僧侶のような人です」


「たわけかお前。(我は)坊主ではない。そも、翁にするなと言った」


 藤原様は、"なぜふたつの命令が一度に聞けないのか"と、わたし以外の人を思い浮かべている様子で不満を漏らしている。


 藤原様の付き人は、なだめるように苦い顔している。


 つい、耳にかけた竹の花を触ってしまった。


 話を戻すために藤原様へ声をかける。


「どうか一度、千年先をお考えいただけませんか」


 お願いをしてみる。


 獅子のがなり声のような、大きなため息を吐く藤原様。


 しばらくすると、その腫れぼったい目の奥が、千年先を考えるかのような色になった。


「わたしのお師匠様が言っていました。今の都は野犬の糞だらけで、放っておけば都は糞であふれてしまう。犬畜生は、そんなことを理解できないが、人である私たちは簡単に予測できる。でも誰もやりたがらない。そんなことを進んでやるのは、目先のことだけしか理解できない獣のような人とは違い、立派な御仁だと」


 お師匠様の御言葉を、そのまま伝えるように声に乗せた。


「どたわけが」


 藤原様は大太刀を握っているかのように、こちらへ向かって腕を振り下ろした。


 その瞬間、壁で立てかけられた大太刀が消えて、藤原様の大きな手の中に現れた。


 右耳を斬られる。


 血を見られないように、とっさに服の裾で押さえた。大太刀の刃を確認する。血は付いていない。


「斬らぬとでも思っていたのか。余を誰だと心得る? それに、寺子のくせに花で飾りおって。身の程と恥を知れ」


 痛い。


「して。そうは言ってるが坊主どもを貶めるつもりはない。だが、その糞拾いは千年先も、ひと月も経たずに忘れ去られる。帰れ。もう一度言うが、翁にするな」


 藤原様の付き人も、冷たい目の色をしている。


 道の野糞を避けながら、走って寺へ戻った。


 糞の貯まった竹の桶を担ぐ想静が、こちらに気づく。大急ぎで駆け寄ってきた。


「何があった!」


 こちらの様子を伺う想静へ向かって口を開く。


「斬られた」


「だめ? どの場面が嫌って言ってた? 人質ごと鬼を斬るところ?」


 首を横に振り、何を言われたか伝える。


「そこなんだ……ごめんなぁ……」


「想静のせいじゃない」


「でも……あ、耳……」


 押さえていたところをそっと離す。手のひらに、斬られた耳と、ばらばらになった竹の花が乗っていた。


「くそ野郎……」


 そのとき、寺を通りがかった人がいた。その人は想静に向かって手を振る。


「元気にやってるか〜野糞狩り〜」


 空気を読まないような、馴染みのおっちゃんの声が寺に響いた。むっとする顔になった想静は、ぐっと我慢をして笑顔を作る。


 手を振り返した。


「この通りー!」


 想静は、糞が貯まった竹の桶を揺らして示す。


「あたしにも名前があるのに……なんで一年もずっと野糞狩りって呼ぶかな」


 都は、夜になると野犬の大きな群れに覆われる。野犬は、夜に溶け込むような黒さの毛を生やしていて、人と同じ背丈がある。


「変えようか」 


 数えられないくらい、本当にすごい数だ。そんな数の犬が糞尿をするから、まだ鼻が慣れていない朝は本当に臭い。そんな中でも建物が無事なのは、犬が来る前に、想静が囲うように竹を生やすからだ。しかも、数がだんだん増えてきている。もしかしたら、実はその犬たちに頭がいて、都を縄張りにできるか確かめているのかもしれない。


「おい澄恵。またなんか考えてるだろ」


「え? うん。なんで分かるの」


 左耳を触る。


「いいや、今わかった。かまをかけたんだよ。でも、想静が考え事するとき、いつも耳触ってるから。なんとなくそう思った」


「すごい」


「そうでもないさ。ちなみに……何考えてたの」


「犬がどんどん増えてるから、大将がいるのかもって考えてた」


「え?」


 想静は驚いた目の色をしていた。たぶん、わたしは耳のことを気にしていると思っているんだろう。


「大丈夫。耳なら傷は見えにくいし、くっつきやすい」


「そうだけど……はぁ。ていうか、犬の話だけど、そんなこと考えるなよ。澄恵の考えることって本当に起きるから」


「うーん……そうでもないけど」


 想静も、うーん、とうなった。


「えーっと、なんだっけ。そうだ思い出した。どうするかちょっとお師匠様に聞いてみよう」


 頷く。


「その前に耳を直そう」


 切れた耳を、想静がぐっと押さえた。


 翌日。


『今は昔、竹取りの翁という者がいた。野や山に分け入って竹を取っては、それを売り歩いていた』


「待て」


「はい」


「なぜ竹なのか」


 藤原様の眉間がしわ寄る。


「えっと……ふしぎな植物だからです」


「どのように」


「竹だけは、一晩でこんなに育ちます」


 両腕をいっぱいに広げる。


「伸ばそうと思えば、天に届くくらい伸びます」


 人差し指を上へ伸ばし、背伸びをした。


「それに加えて、竹の力があればこの耳も治せます」


 じろじろと、藤原様に耳を見られる。


「ふん」


 そのお顔から藤原様のお気持ちをくみ取る。退屈そうに肘掛けにもたれているけれど、眉間のしわはなくなっている。きっと物語の内容を良しとされたのだろう。付き人のほうは、続きを待っているかのようにこちらを見ている。藤原様よりも、聞く耳を持っているように思えた。


『ある日山の中にて、光るものがひとつあった。近寄ってみると、竹が光っている。鎌で切ってみると、丸い鉄の玉があった。焼けるほど熱かったが、取り出し、鎌で叩くと真っ二つに割れた。すると中には三寸ぐらいの人が居た。かわいらしい様子で座っている』


「待て」


「はい」


「なぜ人の入った鉄の玉が竹から出てくる」


 考える。自然と、顎に手を当てていた。


 全く言葉が思い浮かばない。代わりに、竹の槍を地面から打ち上げ続ける想静の姿が思い浮かんだ。


「竹は、よくわからない変なものです。ふしぎと、千年先に残るような気がしています」

 

 藤原様は、考えるようにそっぽを向いて、すぐに向き直った。


「ほれ」


 表情をうかがう。


「何してる」


 藤原様は、口を尖らせた。


「ほれ続き」


 じっとこちらを見つめて、それ以上言ってこない。特に言われていないということはきっと、お師匠様の入れ知恵が効いている。話を聴かせるには興味を引くようにすればよい、という知恵だ。


『翁が、皇子たちや高い身分の貴族にこの条件を伝えると、みんな揃って落胆しました』


 様子をうかがうために語りを止める。藤原様は巻物をまっすぐ見ている。その様子は、続きを待ち侘びているように前のめりだった。肘掛けにもたれているけれど、背筋が伸びている。


 お師匠様は、男には、金、名声、女を話に盛り込むと良いと言っていた。お師匠様は、いつも自分たちに説法を説いてくれる。どれも生活に役立つもので、しかも面白い。自分たちにしてくれる話は、たしかにそういうものが多かった。


『穏やかに"もう近くをうろつかないでください"くらいは言って終わらせるだろうに……と不満を言いながら、がっかりして帰っていきました』


 でも、どうしてお話上手のお師匠様じゃなくて自分が呼ばれるのだろうか。


 きっと持っている御力が関係していると思う。お師匠様は、自分たちのような、問題ちからのある子どもを引き取っている。でも、わたしは何も御力を持っていないはずなのに、そんなお寺にいる。どうしてと、お師匠様に聞いても答えてくれない。


『大勢の男たちを求婚で無駄にさせたうえ、宮仕えもしない竹の娘とは、どれほどの女なのか。行って見てきなさい、と、かっこよくて、筋骨隆々、貧者へお布施をするほど豊かだけど、どこか病弱で幸薄そうな藤原の帝はお命じになった』


「待て」


「はい」


「ようやく出番かと思えば、これだと尻を追いかける他の男どもと変わらぬではないか」


 てっきり、"筋骨隆々で病弱、幸薄そうな"ことに何かを言われると思った。お師匠様のお言葉だからそのまま従ったけれど、気にされていないのもそれはそれで言葉に困って、黙ってしまう。すると、藤原殿の付き人である乳母が耳打ちをする。


 耳をすませた。ひそひそとした声を聞き取ることができた。


「奥方との出会い、似たようなものでしたでしょう」


 むすっと肘掛けに深々ともたれた藤原様は、続きをうながすように顎を上にやった。


『その返事の手紙が、予想外にすばらしく、歌をやり取りなさるうちに興が湧いて、夜通し文を交わしました』


「待て」


「はい」


 深々と肘掛けにもたれていた藤原様は、すっと背筋を伸ばし、高い姿勢で肘をかけ直す。


「良い心がけだ。もっと歌を入れろ」


「はい」


 お師匠様の入れ知恵だけど、自分のことのように嬉しく感じた。


「だが夜更かしは健康によくない。物語であっても、夜は眠らせよ」


「……はい」


 どういうことだろう……


「何をしている。続けろ」


「はい」


 日差しは傾き、夕方へ差し掛かろうとしている。


『私が頑なにお断り申し上げたことや、生意気な女だと思われたまま、その印象が帝の心に残ってしまっていることが、私は気がかりです。藤原の帝は、その大太刀を構えて月からの迎えの者を切り捨てた。すると、迎えの者は顔が崩れ、体が大きくなり首だけとなった。月の使者は鬼だったのだ。帝は、ただちにその鬼を蹴り上げ、月もろとも両断する。大太刀を振るった風が、両端の山も真っ二つにした。こうして、のちに、竹の娘と藤原の帝は契りを交わした。末永く暮らしているだろう。今もきっと』


「待て……」


「はい」


「もしや、もう終わりか」


 もう夜になっている。そろそろ新月が満ち始めて、眉月みかづきになる。


「はい。おしまいです」


 藤原様はうなる。


「なぜ使者が来た時に月を斬らなかった」


「そのとき斬ってしまうと、竹の娘の帰る場所がなくなると帝は考えていたからです」


「……ではなぜ、月の民である竹の娘は竹に生まれたのか」


「竹水をご存知でしょうか」


「知っている」


「似たようなものです」


 納得がいかないとばかりに、藤原様は首をひねる。


「……ではなぜ、最後あのような言い方なのか」


「どの部分でしょうか」


「最後のあれだ、末ながく暮らしているという」


「えっと……『末永く暮らしているだろう。今もきっと』の部分でしょうか」


「そうだ」


「千年先も残る物語とは、今もそうであるかもしれないという……なんていうのでしょう、期待、のようなものがあると考えました」


「ふぅむ……ではなぜ千年先も生きていられる」


「竹の娘は」


 そのとき、犬の遠吠えが響いた。


 初めて感じた。


 背筋が凍るような、大きくて恐ろしい音だ。


 左へと向かい、廊下へ出る。


 外が見えた。目を凝らすと、想静の生やした竹が見える。耳を澄ますけれど、野犬の足音は聞こえない。


 わずかに、糞の匂いがした。


「下がれ」


 藤原様の声が後ろから。


 同時に、襟を乱暴に掴まれて、後ろに倒れた。


 大太刀を右手で構えた、藤原様が目の前に現れる。


 稲妻のように振り下ろされた大太刀が、突然現れた野犬を真っ二つにした。


 野犬の毛から糞の臭いがたちこめる。


「きったないのう……」


 竹の柵が、かき分けられたように斜めに倒れた。


 その少し上に、黄色く丸い月が現れる。


 月はいつも灰色だ。どうして。


 月の近く、夜の一部が、うっすらと光っているような赤になる。


 その光で、何が見えているのかわかった。


 夜空のように見えていたのは建物よりも大きな野犬で、月に見えていたのは、野犬の黄色い目だ。


 糞の臭いがした。


「なんと」


 大きな口が噛み付いてくる。ぎゅっと目をつむった。足が地面から離れる。


 目を開けると、空を跳んでいた。藤原様に襟の後ろを掴まれている。


 跳び上がりがゆるやかになって、宙にとどまった。


「おや、藤原殿」


「ちっ……何をしている」


 その隣に、木魚を被った僧侶がいた。


「お師匠様!」


 いつでも、どんな時でも頼りになるお師匠様だ。


「澄恵、ご無事ですか」


「はい」


「黙っていろ。おい坊主何だこれは」


「ご覧の通りです」


 お師匠様は、粉を振り撒くように腕を振った。


 すると、きらきらと光る炎があたりを照らす。


 さっきまで立っていたところは、大きな野犬に食べられていた。


「くっさいのう……」


 そして、いつもどおり、そこらじゅうに野犬がはびこっている。これもいつも通りのことで、伸びた竹が野犬を阻んで、新しく生えた竹が野犬を串刺しにした。だけれど、あまりにも数が多い。いくつかは竹を飛び越え、屋敷に入った。藤原様の付き人が、野犬に喰われている。


「あーぁ」


 藤原様は、お師匠様へわたしを投げた。


 お師匠様は、左腕でわたしをがしっと掴む。


「おい」


 藤原様に呼ばれる。


「話の続きを準備していろ」


 ひときわ大きな竹が生えて、大きな野犬の腹と背中を突き破る。


 藤原様は大きな野犬めがけて、稲妻のように落ちた。


 大太刀を斜めに振り下ろし、その野犬と大きな竹を真っ二つにする。


 すると、大太刀を中心に強烈な風が都を吹き抜け、野犬と、野糞だけが、手で押し除けたように右と左へと押し流される。


 都の少し離れ、畑のうえに、ふたつの小高い糞の山ができた。


 さらに、切れた竹の中から、手足の長い、裸の女の子が出てきた。


「えええええ!」


 つい大きな声を出してしまった。


 お師匠様に抱えられて、屋敷へと降りる。


 藤原様は、竹の中の女の子を見て、呆けていた。


「なんと。なんとなんとなんとなんと」


 とてもきれいだ。でもわたしはその人を知っている。想静だ。あいつはたぶん、ふざけているんだろう。


 壊れた屋敷へとふらふらしながら上がった藤原様は、そのまま肘掛けにもたれて眠そうに、こくこくと頭を揺らす。


「明日、改めて読み上げよ」


 藤原様は眠ってしまった。奥から付き人がやってきて、藤原様に布団を被せ、床に付かせた。


「澄恵」


「はい」


「あのように、準備運動もせずに御力を使うとすぐに疲れて眠ってしまいます。気をつけなさい」


「でも、わたしに御力はありません」


「あなたが気づいていないだけです。藤原殿をご覧なさい。ほら」


 藤原様は、物語の藤原様のように、顔がしゅっと細くなってかっこよくなっている。転がりそうなほど大きかった体は、筋骨隆々とまではなっていないけれど、丸みがある程度まで細くなっていた。


「どういうことでしょうか」


「あなたには、物語を少しだけ本物にする御力があります」


 木魚頭のお師匠様が、何を考えているかわからなくなった。


「どうして今まで教えてくれなかったんですか」


「知っていたら、もっと好き放題物語を書いていたでしょう。何度も書き直しさせられて、だんだんと物語が本物になっていく。少しだけですけどてね。でもそんな様を恐れた藤原殿に、きっと斬られていましたよ」


「……よくわかりません。藤原様へのお務めはもう終わったということですよね」


「いいえ、まだありますよ。千年先を想像してみてください」


 次の日から、藤原様は新しい異名で呼ばれるようになった。


 竹取の糞山狩りと。


 それから物語の続きはお師匠様が読み上げることになった。




 翌日。日は暮れて夜。


 新しい部屋にて。


 今日は想静も一緒。


『こうして、のちに、かぐや姫と藤原の帝は契りを交わした。末永く暮らしているだろう。今もきっと』


 お師匠様は歌うように時間をかけて読んでいたから、すっかり夜になっている。


 お師匠様の、ぽくぽくとした口が閉まった。


「いかがでしたか」


 藤原様は、間延びした声を出す。


「黙れ」


 お師匠様は、木魚の頭を叩く。


 ぽく。


 藤原様はゆっくりと息を吐くと、背伸びをする。そのあと、また肘掛けにもたれた。


「この余韻のまま眠りたい」


 深々と肘掛けにもたれていて、表情も変わっていないように見える。だけど、腫れぼったい目の鋭さは、やわらいでいるように見えた。藤原様の心を鏡のように表している、いつもの付き人は今日いない。


「ところで、付き人はどちらに?」


「昨日の野犬に喰われた」


「悲しいですか」


「なんとも」


「乳母だったんですよね」


「だからといって愛情を感じることはない。お前たちの前では黙っているが、口うるさい奴だった。そういえば……」


 藤原様は、昨日のことを思い出すように目を上へ動かす。


「ふたりはなぜ千年先も生きていられる」


 木魚頭のお師匠様が、ぽくぽくと口を開く。


「ああ……それはですね」


 ぽく、ぽく、ぽく。


「千年先も残る物語ということで、それならばふたりは千年先も生きているでしょう、ということです」


 ぽく、ぽく、ぽく。


「知恵比べをしているわけではない。とんちはよせ」


「かないませんね」


 ぽく、ぽく、ぽく。


「健康でいたいと思いますか」


「そうだな。だが、関係ない話をするな」


「いいえ、関係あります。実は藤原殿、うちの寺を潰すおつもりでしょう」


「急に何を。はん、語りの興が醒めるから黙れ。潰したりなどせん」


「お慈悲をくださったこと、深くお礼申し上げます。これで、藤原殿は千年先も健康でいられますよ」


 藤原様は、肘掛けから離れて、背筋を伸ばした。腫れぼったい目は、獅子のように鋭い。


「ご存知でしたか。鬼って、不老なんです」


 ぽく、ぽく、ぽく。


「ずっと月の光を浴びると、鬼になるらしいですよ」


 ぽく、ぽく、ぽく。


「しかも、かぐや姫は月から来た者です」


 ぽく、ぽく、ぽく。


 藤原殿は片眉をゆるやかに上げた。


「つまり鬼なんですよ」


 これまで、人をそしるときは鬼にたとえられた。


 都の役人たちはいろんな人に、鬼のようだ、と言われている。


 藤原様は、何かを察したようだった。


 大太刀を両手で握り、お師匠様へ斬りかかっている。


 床下から、藤原様の背中へ向かって太い竹の槍が飛び出した。


 串刺しになった藤原様は、ぷらりと足を垂らす。


 お師匠様は、勢いをなくした大太刀を奪い取った。その大太刀で、藤原様の首を斬る。


 お師匠様は、頭の木魚を外し、藤原様の首と取り替えっこをした。


「藤原殿。鬼になった気分はどうですか。もう病気になったりもしませんよ。ずぅーっと健康です。食事も要らなくなります。いえ、別に食べることはできますよ」


 わたしは、袖に隠していた、今までの巻物を藤原様に投げつけた。


 お師匠様は、藤原様の服も取り替える。


「最初の話、最後まで聞いておけば、立派な心の有り様を讃える話だとわかったはずなんですがね。惑わされずに鬼を皆殺しする、というね。竹の娘すら斬り伏せる、立派な翁になれたのに」 


 藤原様は、ばたばたともがいた。


 でっぷりと太っている藤原様の、力を奪っているかのように竹は太くなって、反対に藤原様は痩せ細っていく。


 わたしの耳の仕返しとばかりに、想静は藤原様の腕と足を竹の槍で刺す。早贄のように、動きを止めた。


 背中の分は、お師匠様の言いつけだから、仕返しには数えない。


「きれいなお月様ですね」


 お師匠様は、夜空を見上げる。


「新しい鬼の都にはぴったりだと思いませんか、藤原殿」


 わたしは、今まで何も食べていない。藤原様を睨みつけた。


「千年先も、末永くよろしくお願い申し上げます」


 なんだか、藤原様がやり返してくるような気がした。


 きっと、大太刀は一本だけじゃない。


 お師匠様の裾を引っ張った。


「危ない」


 息を呑んだお師匠様は、表情を固くする。


 一歩後ろに下がったお師匠様。


 上を向くと、刀身を下に向いた大太刀が浮かんでいた。


 稲妻のように落ちてきて、お師匠様の吐息を切り裂く。


 畳に刺さった大太刀を抜いたお師匠様は、わたしの頭をなでた。


「ありがとう」


 想静の姿が見えた。もう頭を外している。


 でも、わたしは外さない。頭を撫でられるのが好きだから。


 耳も好き。花を掛けられるから。


 鬼は、頭がないから人のように着飾ることができない。


 右の耳たぶをつまんだ。


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