後編
四月下旬。あの赤色に染まる桜の木の下で、事件が起きた。
とある日の夕方。校庭でタイム測定をおこなっていた陸上部員が転倒して怪我をしたのだ。
彼の右足首には──まるで人間が掴んだような跡が残っていた。赤黒く、くっきりと。
しかもそれは数日経っても、どんな薬を塗っても消える気配がない。医者もなぜ跡が残ってしまったのかが原因が分からないらしい。
陸上部員曰く、「桜の木の下で、他の選手のタイムを測っていたら何かに掴まれた」ということだった。
谷村や原田、更には教頭まで──教師たち総出で半分以上花びらが散ってしまった桜の木々のそばを歩き、事件が起こった場所まで辿り着いた。
「うわっ、なんだこれ……!?」
列の先頭にいた教頭が声を上げた。
そこにあったのは──前に見た時よりも血のように赤く染まった花をつける桜。その下には小さな砂の山ができている。
そしてその山から──理科実験室にある骨格標本のような、骨の手が出ていた。
人の手が。人の手が地面から生えていた。
周囲の教師たちは絶句した。
──誰かのイタズラか……? いや、それにしては……。
谷村は骨を観察した。
目を凝らすと、そこには肉のようなものがこびりついているのが解り、思わず目を背けたくなった。校庭の土も付着していて、薄汚れている。到底おもちゃのようには見えなかった。
仮にレプリカだったとしても、こんなハリウッドの特殊メイクのように本物の死体に見せかけるまで加工するには手間も時間もかかる。技術も必要だ。
ただのイタズラで、そこまでやるだろうか……。もし、そうだとしたならば。
──たちが悪すぎる。
谷村はうすら気味悪くなる。背筋が急に凍った。皆そう考えたに違いない。
「と……とにかくっ! 皆さん、職員室に戻って警察に通報してください!」
教頭の金切り声に近い叫びが静寂を破る。
その声で皆、正気に戻って慌てて解散した。
* * *
結論から言うと、あの骨はおもちゃなんかではなく、本物の死体だった。分かったのは通報から数日後だった。
それから、連日の警察による現場検証で校庭の半分は使えなくなってしまった。
生徒たちは大騒ぎになり、一時期校庭で作業をしている警察に注目して授業がまともに機能しない日もあり、原田は不満をぼやいていた。
そんな日々の中で、死体の身元が把握されて警察からは公開情報として中学校に共有されることとなった。
「えー……ニュースでも報道されていたので、既に知っている方はいるかとは思いますが……。被害者の方について、着用していたのが制服だったようで……ネームバッジから手がかりになったそうです。そこからDNA鑑定などして完全に身元が割り出されたようですが……うちの中学校に十年以上前に通っていた生徒で……『
白骨の手が校庭から発見されてから、六月を過ぎた頃。
朝の職員室でのミーティング。学年主任がしどろもどろになりながら、情報を伝える。
──月岡和也……。
その名前を聞いて、デスクに座っていた谷村の動きは完全に止まった。瞬間、背中の汗が吹き出して滝のように流れる。身体中がわなわなと震え始めてきた。
谷村の、蓋をしていた記憶が一気によみがえってきた。
月岡和也。
谷村が中学生時代、いじめの標的としていた人物だった。
きっかけは、中学二年の頃の些細な出来事だった。
体育が終わり、他の生徒よりも早く教室に戻ってきた時、クラスメイトの月岡が財布を盗んでいる場面に遭遇した。
厳格な両親、優秀な兄弟、中学受験に失敗したコンプレックス──そうした鬱憤を発散するために従わないと金を盗んだことを皆に吹聴する、と月岡を脅した。
自分の言うことを聞かせる「奴隷」として扱った。
谷村は表向きは学級委員も務めるような生徒を演じていたが、裏では生徒も教師も見下し、仲間内で仮病で授業をさぼったり老朽化した旧校舎の中で未成年飲酒やタバコ喫煙もするような少年だった。
そんな彼にとって月岡和也は──背が低くて痩せっぽちでいつもおどおどしていて話しかけても何を言っているか分からない、友達もいない、勉強もスポーツも全くできない、片隅で何やら毎日落書きをノートに書いている──格好の餌のような人物だった。
最初は月岡に対してただのパシリとして、コンビニでお菓子や飲み物、週刊連載誌を買わせるような軽微な命令ばかりだったが、物足りなくなった。
命令は「授業中に突然奇声を発する」、「付き合える見込みがないクラスのマドンナに告白する」、「昆虫を食べる」、「校舎の窓ガラスを破る」、「文房具を万引きしてくる」という過激なものになっていく。
そしてその憂さ晴らしの果てに、「親の財布から二万円を盗んできて、谷村に渡す」という命令を月岡に出した。
命令遂行の期日の夕方。
月岡を溜まり場である旧校舎に呼び出した谷村たちは、にやつきながら金をせびる。
当然、いつも万引きしていたものを渡すように月岡がバッグに手をかけた──と思いきや。
中から出てきたのは、家で使うような出刃包丁だった。
月岡がそのまま突進してきて、谷村と揉み合いになる。
この事態に流石に焦った谷村は必死に抵抗して包丁を奪い──。
刺してしまった。
我に返ると、うずくまった月岡がいる。
仲間には救急車や警察を呼ぼうと言う者、絶望して発狂寸前の者、立ち尽くす者……様々だった。
──警察なんか呼ばれたら……今まで月岡にやっていたことがばれる。俺の内申点は……少年院に行かされる……。親にはなんて言われるか……見放されてしまうのだろうか……?
月岡は……月岡が生きていたら、今までの報復として自分たちのいじめを暴露するに違いない。
駄目だ。誰にも、こんなことを知られてはいけない。露呈したら大学はおろか、高校すら進学できなくなるかもしれない。
これを絶対の秘密にするためには──。
月岡を、生かしてはいけない。
その考えに至った途端、呆然としていた素振りが嘘のように目の前の月岡を滅多刺しにした。月岡はぐえっ、ぐえっというカエルが潰されたような声を出すがなりふり構わない。無我夢中で包丁を突き刺し続ける。
息が完全に絶えたのを確認して、仲間にも脅迫した。「俺を止めなかったお前らも全員共犯者だ。俺の言うことを聞かなかったら道連れにしてやる」──と。
旧校舎の中に一時的に月岡の死体を遺棄してこの日は退散。
後日校庭に防犯カメラが設置していないことを確認してそこから一週間、仲間でかわるがわる旧校舎の裏で穴を掘り、十分な大きさになったら死体を埋めた──。
谷村は中学校を卒業してから、忘れていた過去を鮮明に思い出した。
──これは……小さいニュースだけど、全国ニュースになってるはずだ。ネットにも……うちの生徒が何か投稿しているかもしれない。
あの時つるんでた奴らは今何してるんだ?
あいつらがこれを知ったら?
良心の呵責とかで、自白し始めたら?
もしかしたら揉めた時の皮膚片なんかが制服に残っていたら、検死解剖の時にばれたりするのでは?
そうしたら、せっかく教師なんて職に就いたのに……。
俺は、俺は──。
関東圏・S県のとある中学校。
その校庭の桜の木に、都市伝説がある。
春には、一本だけ血のように赤く染まった桜が咲く。
桜の木の下には、死体が埋まっている──と。
桜の木の下には死体が埋まっている 広井すに @hiroisuni2
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます