中編
「おい、これはなんだ」
「……」
「お前耳ついてるか? これはなんだって聞いてるんだよ! 答えろ!」
「うるせえな! 見りゃ分かんだろうが!」
バンッと机が勢いよく叩かれる。その振動で机の上に置かれたタバコの箱が大きく跳ねた。
それは四月中旬の頃だった。一人の男子学生──制服を着崩し、貧乏ゆすりをしながら座る生徒──と原田が生徒指導室で言い争っていた。
谷村は原田の隣に座る。普段はにこやかでクマのぬいぐるみのような雰囲気の原田がこんなに威圧的になっているのは赴任してから初めて見たため、居心地が悪そうにしている。
二人が受け持つクラスの男子生徒の一人──つまりこの目の前にいる不良少年──が校内にタバコを持参し、隠れて吸っていたのが判明した。
ばれないと思ったのだろう。授業をさぼって時折校庭にある野球部のプレハブ小屋近くで嗜んでいたようだが、その場でポイ捨てしていたという少数の部員の目撃談と、運悪く教師の前で箱を落としてしまったことで発覚したのだ。男子学生の担任である原田が、直接指導することになった。
「これは没収するからな。あと前から言ってたが、その中に着てるTシャツ。校則違反だし、着方もちゃんとしろ! 出席日数もお前足りてないだろ。お前今年受験生だろ、どうするんだ」
「……うるせえな」
「とにかく、このことは親御さんに話しておくから」
「は!? なんでだよ、関係ないだろ! やめろ!」
「関係なくないだろ! 親にばれるのが嫌だったならそもそもこんなもの持ってくるな! タバコなんか吸うな!」
諍いが再開してしまった。
よっぽど親を呼ばれるのが嫌なのだろう。家族に連絡すると断言し続ける原田に罵詈雑言を浴びせている。
「お前、どこ行くんだ! 座れ! おいっ!」
やがて、男子学生は立ち上がり出口に向かう。
原田が何を言っても聞かない。
バンッという大きな音を立ててドアがしまった。
「……ったく、あいつは」
原田がため息を吐く。相当参ったようで表情はげっそりとしていた。
「谷村先生ももうちょっとフォローしてくれませんか? 副担任なんですから。ほんと、しっかりしてくださいよ。新しく赴任してきたっていったって別に新卒一年目とかでもないだろうに……」
「す、すみません……」
「はあ……」
谷村の不甲斐なさに、原田は呆れるように再び嘆息した。
谷村は申し訳なくなり、何も言えずにいた。机の上にあるタバコの箱をちらりと盗み見る。
(俺も、あれくらいの歳の頃は……タバコ、吸ってたな)
原田をフォローできなかったもう一つの理由。
自分でも教師にあるまじきことだと思うが──谷村もあの男子学生のように、中学生の頃は吸っていた過去がある。
中学生の頃、SNSなどにタバコを吸っている事実を暗示するような投稿をしなくてよかった、と場違いにも安堵した。
ネット社会は侮れない。どこでどのようにして秘密が漏れるか分からない。思いがけない場所から特定されることもある。怖い。今の時代、教職に就く者が学生時代にそんなことをしていたなんて明るみになったらどうなることやら──。
原田が立ち上がったため、谷村も慌てて彼の後をついていった。
* * *
──桜の花……なんか、前よりも赤くなってないか?
男子生徒からタバコを取り上げた騒動の翌日。
谷村は担当教科の現代国語の授業が終わって、窓の外──校庭にある、あの一本だけ濃いピンク色の桜を見た。
入学式の日よりも、桜の色がかなり濃くなっている。
それは花の色が濃いことで知られる北海道の大山桜よりも、もっとマゼンタのような──いや、赤色に近い。
──桜って、あんなに赤くなるか……?
「谷っちー、何見てんの?」
話しかけられて、はっとした。
声の主は今まで授業をしていたクラスの女子生徒たちだった。
この学校の教師の中では若い部類の谷村は生徒たちから親近感を持たれやすいためか、赴任早々「谷っち」というあだ名をつけられて浸透し始めている。
「ああ、いや……あの桜。僕が入学式に見た時はもっと色薄かったよなあって思ってさあ」
「ふーん……?」
「珍しいよな、関東なのにあんなに色の濃い桜の花なんて。ほら、お前たちも通学路とかで見ると思うけど、普通は白っぽいピンク色だろ? だからあんなどピンク! って感じの色、あんまりないよなーって」
一際赤くなっている桜を一瞥しながら話した。
女子生徒たちは窓の外を覗き込む。そして首を傾げた。
「……うちの桜ってあんな色だったっけ?」
「……ん?」
「いや、なんか……去年まではもっと違う色だったよ。それこそ、白い色みたいな……」
彼女たちは不思議そうな表情をしたが、興味を失ったのか、窓から離れて次の授業の準備のために机に戻っていった。
谷村は再び桜を眺める。
『知ってますか? 桜がピンク色なのは死体が木の下にあって、その血を吸ってるからその色なんだとか……』
唐突に原田の与太話を思い出してしまった。
──まさか、あんなのはただのふざけた雑談だろ。漫画とかドラマじゃあるまいし……。
谷村は馬鹿げた思考を取り払うようにかぶりをふって、教室を出る。
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