第3話 まずこの国を乗っ取りましょう?

数日後、伯爵家に使者が訪れた。


「シャルロッテ様は幼帝カール陛下の許嫁。この非常時、宮廷にお越しいただきたい」


王族が全滅し、残ったのは二歳の幼帝だけ。国は混乱している。許嫁であるお嬢様に、幼帝の傍にいてほしいという要請だった。


「しかし、五歳の娘を宮廷に……」


旦那様が躊躇する。


「行きますわ」


お嬢様が即答した。


「シャルロッテ!?」


「許嫁として、陛下をお支えするのが務めでしょう?」


お嬢様は私を見た。


「エマ、準備なさい」


「……はい、お嬢様」




馬車の中、お嬢様と二人きり。


窓の外を流れる景色を眺めながら、お嬢様は静かに座っている。小さな体が、馬車の揺れに合わせて揺れる。


「エマ」


「はい」


「怖い?」


また、その質問だ。


「……はい。怖いです」


「そう」


お嬢様は窓の外を見たまま言った。


「でも、ついてくるのでしょう?」


「……私は、お嬢様のメイドですから」


「いい子ね」


お嬢様は小さく笑った。


「大丈夫よ。あなたを悪いようにはしないわ」


「……はい」


それは、信じていいのだろうか。


わからない。


でも、私にはお嬢様についていく以外の選択肢がなかった。



王城に着いた私は圧倒された。


豪華な装飾、巨大な空間、天井に描かれた壁画、床に敷き詰められた赤い絨毯。


伯爵家も立派な屋敷だと思っていたけれど、王城の規模は桁違いだった。


そして、玉座の間。


巨大な玉座が、部屋の奥に鎮座している。


その玉座に……ちょこんと座っているのは、小さな子供だった。


「あい?」


よだれかけをつけた二歳児。金色の髪、空色の瞳。何もわかっていない様子で、きょとんとこちらを見ている。


幼帝カール。


この国の皇帝陛下。


その横に、お嬢様が立った。


プラチナブロンドの髪が、ステンドグラスからの光を受けて輝いている。小さな体、可愛らしいドレス。


でも……氷のように淡い青の瞳だけが、冷たく光っていた。


「「「ははーっ」」」


大臣たちが一斉に頭を下げる。


白髪交じりの老大臣も、鎧を纏った将軍も、みな深々と頭を垂れている。


大人たちが、五歳の少女に頭を下げている。


異様な光景だった。


玉座の二歳児は「あい?」と首を傾げている。その横の五歳児は、冷たい目で大臣たちを見下ろしている。


私はその後ろに控えながら、目の前の光景が信じられなかった。


これは……夢……?


「シャルロッテ様」


白髪の老大臣が顔を上げた。


「陛下はまだ幼く、政務を執ることができません。我々大臣が摂政を務め……」


「不要よ」


お嬢様が即座に切り捨てた。


「は……?」


「摂政は不要と言ったの。聞こえなかった?」


老大臣の顔が強張る。


「しかし、シャルロッテ様。国政には経験が……」


「ねえ」


お嬢様の声が、ひどく冷たくなった。


「今回の事件……毒殺ではないと言い切れるのかしら?」


老大臣が息を呑む。他の大臣たちも、顔色を変えた。


「珍しい魚の毒。偶然の事故。……本当にそう思う?」


「そ、それは……」


「あなたがやったのかもしれないわよね?」


お嬢様は淡々と続けた。


「そんなあなたに摂政なんて任せられると思って?」


老大臣は言葉を失った。他の大臣たちも、互いに顔を見合わせている。


誰もが疑われている。誰もが容疑者。


だから、誰も権力を握れない。


「……ご、御意」


老大臣が再び頭を下げた。他の大臣たちも、それに続く。


お嬢様は満足げに頷くと、唐突に言い放った。


「王族は現在カール陛下のみ。つまりカール様が国王。そして私は王妃、シャルロッテとなりました」


……え? そうなの? 許嫁じゃなくて?


「皆様、よろしくお願いしますわね」


にっこりと微笑むお嬢様。五歳児の可愛らしい笑顔。


カール陛下は「あい」と鷹揚に頷いた。


……いや、二歳児が鷹揚も何もないだろう。絶対わかっていない。


大臣たちがざわめいた。


「し、しかし、許嫁と王妃では……」


「婚姻の儀式も……」


「そもそも五歳では……」


当然の反論だ。許嫁がいきなり王妃になるなんて、そんな道理があるわけがない。


でも、お嬢様はにっこりと微笑んだまま言った。


「何か?」


たった二文字。


なのに、大臣たちは言葉を失った。


あの笑顔。あの目。さっき「あなたが毒殺犯かもしれない」と言い放った、あの五歳児の笑顔。


誰も、言い返せなかった。


「……ご、御意……」


老大臣が絞り出すように言った。他の大臣たちも、力なく頭を下げる。


私は後ろで、必死に顔を動かさないようにしていた。


自分を棚に上げて……!


もちろん、口には出せない。




謁見が終わり、大臣たちが去った。


小部屋に通され、お嬢様と二人きりになる。カール陛下は乳母に預けられた。


「エマ」


「はい、お嬢様」


お嬢様は窓辺に立ち、城下町を見下ろしていた。


「まずこの国を乗っ取りましょう?」


「……え?」


「聞こえなかった?」


お嬢様が振り返る。


「この国を、乗っ取るのよ」


「は……? お嬢様……?」


「何? 反対?」


「いえ、あの……私はただのメイドです!」


思わず口をついて出た言葉だった。


国を乗っ取る? 何を言っているのかわからない。


でも、お嬢様は当然のように言った。


「メイド?」


「はい」


「そうね、あなたはメイドよ」


お嬢様は小さく笑った。


「私のメイドでしょう?」


「は、はい……」


「なら、手伝いなさい」


「く、国を……乗っ取る……?」


「そうよ」


お嬢様は淡々と説明した。


「カールは二歳。何もできない。私が王妃として、代わりに動く」


「……」


「そしてこの腐った国を、作り変えるの」


作り変える。


五歳の少女が、国を作り変えると言っている。


「不満?」


「……」


「エマ」


お嬢様の声は、有無を言わせない響きがあった。


「……いいえ、お嬢様」


私はそう答えるしかなかった。





こうして私は、お嬢様の国盗りに巻き込まれた。


五歳のお嬢様が、二歳の皇帝を傀儡に、国を乗っ取る。


荒唐無稽な話だ。


普通なら、笑い飛ばすところだろう。


でも……お嬢様の目を見ると、本当にやるのだとわかった。


私はただのメイド。


お嬢様のお茶を淹れて、お着替えを手伝って、お部屋を掃除する。


それが私の仕事のはずだった。


なのに……。


玉座の間を振り返る。


大きすぎる玉座にちょこんと座る二歳の皇帝。その横に立つ五歳の許嫁。そして、十五歳のメイド。


「……私はメイドなのに」


小さく呟いた言葉は、誰にも届かなかった。


これが、全ての始まりだった。

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2025年12月18日 21:00
2025年12月19日 21:00
2025年12月20日 21:00

私はメイドです!〜お嬢様の世界征服に巻き込まれた哀れな日々〜 @hoshimi_etoile

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