第3話 まずこの国を乗っ取りましょう?
数日後、伯爵家に使者が訪れた。
「シャルロッテ様は幼帝カール陛下の許嫁。この非常時、宮廷にお越しいただきたい」
王族が全滅し、残ったのは二歳の幼帝だけ。国は混乱している。許嫁であるお嬢様に、幼帝の傍にいてほしいという要請だった。
「しかし、五歳の娘を宮廷に……」
旦那様が躊躇する。
「行きますわ」
お嬢様が即答した。
「シャルロッテ!?」
「許嫁として、陛下をお支えするのが務めでしょう?」
お嬢様は私を見た。
「エマ、準備なさい」
「……はい、お嬢様」
馬車の中、お嬢様と二人きり。
窓の外を流れる景色を眺めながら、お嬢様は静かに座っている。小さな体が、馬車の揺れに合わせて揺れる。
「エマ」
「はい」
「怖い?」
また、その質問だ。
「……はい。怖いです」
「そう」
お嬢様は窓の外を見たまま言った。
「でも、ついてくるのでしょう?」
「……私は、お嬢様のメイドですから」
「いい子ね」
お嬢様は小さく笑った。
「大丈夫よ。あなたを悪いようにはしないわ」
「……はい」
それは、信じていいのだろうか。
わからない。
でも、私にはお嬢様についていく以外の選択肢がなかった。
◆
王城に着いた私は圧倒された。
豪華な装飾、巨大な空間、天井に描かれた壁画、床に敷き詰められた赤い絨毯。
伯爵家も立派な屋敷だと思っていたけれど、王城の規模は桁違いだった。
そして、玉座の間。
巨大な玉座が、部屋の奥に鎮座している。
その玉座に……ちょこんと座っているのは、小さな子供だった。
「あい?」
よだれかけをつけた二歳児。金色の髪、空色の瞳。何もわかっていない様子で、きょとんとこちらを見ている。
幼帝カール。
この国の皇帝陛下。
その横に、お嬢様が立った。
プラチナブロンドの髪が、ステンドグラスからの光を受けて輝いている。小さな体、可愛らしいドレス。
でも……氷のように淡い青の瞳だけが、冷たく光っていた。
「「「ははーっ」」」
大臣たちが一斉に頭を下げる。
白髪交じりの老大臣も、鎧を纏った将軍も、みな深々と頭を垂れている。
大人たちが、五歳の少女に頭を下げている。
異様な光景だった。
玉座の二歳児は「あい?」と首を傾げている。その横の五歳児は、冷たい目で大臣たちを見下ろしている。
私はその後ろに控えながら、目の前の光景が信じられなかった。
これは……夢……?
「シャルロッテ様」
白髪の老大臣が顔を上げた。
「陛下はまだ幼く、政務を執ることができません。我々大臣が摂政を務め……」
「不要よ」
お嬢様が即座に切り捨てた。
「は……?」
「摂政は不要と言ったの。聞こえなかった?」
老大臣の顔が強張る。
「しかし、シャルロッテ様。国政には経験が……」
「ねえ」
お嬢様の声が、ひどく冷たくなった。
「今回の事件……毒殺ではないと言い切れるのかしら?」
老大臣が息を呑む。他の大臣たちも、顔色を変えた。
「珍しい魚の毒。偶然の事故。……本当にそう思う?」
「そ、それは……」
「あなたがやったのかもしれないわよね?」
お嬢様は淡々と続けた。
「そんなあなたに摂政なんて任せられると思って?」
老大臣は言葉を失った。他の大臣たちも、互いに顔を見合わせている。
誰もが疑われている。誰もが容疑者。
だから、誰も権力を握れない。
「……ご、御意」
老大臣が再び頭を下げた。他の大臣たちも、それに続く。
お嬢様は満足げに頷くと、唐突に言い放った。
「王族は現在カール陛下のみ。つまりカール様が国王。そして私は王妃、シャルロッテとなりました」
……え? そうなの? 許嫁じゃなくて?
「皆様、よろしくお願いしますわね」
にっこりと微笑むお嬢様。五歳児の可愛らしい笑顔。
カール陛下は「あい」と鷹揚に頷いた。
……いや、二歳児が鷹揚も何もないだろう。絶対わかっていない。
大臣たちがざわめいた。
「し、しかし、許嫁と王妃では……」
「婚姻の儀式も……」
「そもそも五歳では……」
当然の反論だ。許嫁がいきなり王妃になるなんて、そんな道理があるわけがない。
でも、お嬢様はにっこりと微笑んだまま言った。
「何か?」
たった二文字。
なのに、大臣たちは言葉を失った。
あの笑顔。あの目。さっき「あなたが毒殺犯かもしれない」と言い放った、あの五歳児の笑顔。
誰も、言い返せなかった。
「……ご、御意……」
老大臣が絞り出すように言った。他の大臣たちも、力なく頭を下げる。
私は後ろで、必死に顔を動かさないようにしていた。
自分を棚に上げて……!
もちろん、口には出せない。
謁見が終わり、大臣たちが去った。
小部屋に通され、お嬢様と二人きりになる。カール陛下は乳母に預けられた。
「エマ」
「はい、お嬢様」
お嬢様は窓辺に立ち、城下町を見下ろしていた。
「まずこの国を乗っ取りましょう?」
「……え?」
「聞こえなかった?」
お嬢様が振り返る。
「この国を、乗っ取るのよ」
「は……? お嬢様……?」
「何? 反対?」
「いえ、あの……私はただのメイドです!」
思わず口をついて出た言葉だった。
国を乗っ取る? 何を言っているのかわからない。
でも、お嬢様は当然のように言った。
「メイド?」
「はい」
「そうね、あなたはメイドよ」
お嬢様は小さく笑った。
「私のメイドでしょう?」
「は、はい……」
「なら、手伝いなさい」
「く、国を……乗っ取る……?」
「そうよ」
お嬢様は淡々と説明した。
「カールは二歳。何もできない。私が王妃として、代わりに動く」
「……」
「そしてこの腐った国を、作り変えるの」
作り変える。
五歳の少女が、国を作り変えると言っている。
「不満?」
「……」
「エマ」
お嬢様の声は、有無を言わせない響きがあった。
「……いいえ、お嬢様」
私はそう答えるしかなかった。
◆
こうして私は、お嬢様の国盗りに巻き込まれた。
五歳のお嬢様が、二歳の皇帝を傀儡に、国を乗っ取る。
荒唐無稽な話だ。
普通なら、笑い飛ばすところだろう。
でも……お嬢様の目を見ると、本当にやるのだとわかった。
私はただのメイド。
お嬢様のお茶を淹れて、お着替えを手伝って、お部屋を掃除する。
それが私の仕事のはずだった。
なのに……。
玉座の間を振り返る。
大きすぎる玉座にちょこんと座る二歳の皇帝。その横に立つ五歳の許嫁。そして、十五歳のメイド。
「……私はメイドなのに」
小さく呟いた言葉は、誰にも届かなかった。
これが、全ての始まりだった。
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私はメイドです!〜お嬢様の世界征服に巻き込まれた哀れな日々〜 @hoshimi_etoile
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