笠地蔵 2025
ぽんぽん丸
アイム・グッドボーイ
キーボードが言うことを聞かない。まるで外見だけのサンプルみたいに私はキーを押し込めないでいるのである。だけどBack Spaceばかりは調子がいいのだから、キーボードは相変わらず元気みたいだ。
画面に映った文字列はまるで価値を持っていないのだからBack Spaceは大活躍で、ついには真っ白な画面が表示されてしまうのだった。
こういう日はいけない。すっかり深夜に書き出して気持ちよく書き上げたのなら、明日の日中のだるさだって引き受けてしまえる。だけどこういう何も生まずにただ過ごしてしまう日はいけない。
だから私はドデカミンに頼ることにする。寝巻スウェットに上だけ羽織ってマンション下の自販機に向かうことにする。
『ここ一番の元気バクハツ』『12種類の元気成分』
ドデカミンは今日も自販機の上段、赤とゴールドの売り文句を私に投げかけてくる。
だけどやはり今日はよくないのである。あんなに愛しいドデカミンもなんだか今日は飲みたくないのである。横の自販機のコカ・コーラも同様である。
たとえば小銭を入れて出てきたボトルのキャップを捻っても開かないかもしれない。キャップが開いて唇に当てて傾けても出て来ないかもしれない。キーボードよろしくサンプル模型が私の手に握られてしまう。そんな気がしてならないのであった。
だから私は少し歩くことにした。笠地蔵に捕まったのはそのためだ。
捕まったと言っても追い回されて縄で括られたわけではない。夜の公園の端の街灯の麓に笠地蔵はただいたのである。そこにはいるはずがない。だから私の意識は囚われた。
物語を考え過ぎて私はおかしくなったのかもしれない。だけどそれなら良かったと思う。だから私はすっかり笠地蔵に捕まってしまって側まで歩いていく。
やはり笠地蔵だ。藁の羽織みたいなのを着て、光沢のある編み笠を被っている。硬く祈る合掌は苔むしている。いい情緒の笠地蔵だ。好感が持てる。近くに立って笠の下を覗きこむ。はっきり覚えていないが地蔵と言うのはほがらかな顔をしている気がする。だけど笠地蔵はくッと硬い表情をしていた。
「もう200年だ」
彼の声は岩で出来てるだけあって荘厳な響きをしている。低い振動が岩窟に響くみたいにそう言った。
「200年?」
私は続きを促すために短く繰り返した。正直に言えばこの不可思議にわくわくしていた。
「ああ、あのじじいが死んでもう200年だ」
私は、はあと息を吐く。吐息が白いことに気付いて寒いなと思う。
「なんでじじいに助けられたんだろうな。あれが若者だったら60年くらいは楽しく見守れたってもんなんだがな」
神的な側にもいろいろあるんだなと思う。
「すっごいメンヘラ地蔵だね」
ああ、言っちゃったな。確か地蔵って仏教でも高位でいたずらしたりするとすっごい祟られたりするらしい。メンヘラ女子にメンヘラと直接伝えるとすっごいことになるのだし、メンヘラ地蔵にメンヘラと言ってしまったのだから、地獄がすぐそこかもしれない。
「200年物のメンヘラなんてよくないぜ。すっぱり忘れて他の人のこと助けなよ」
こういう時はしゃべり続けるといいと聞いた。虚勢を張って、まだこちらの主張を確定させずに続けたらなんか良い感じに柔らかく着地できるかもしれないというライフハックを実行する。
「坊主。そうもいかないのさ」
会話が続いてほっとする。冷静なメンヘラ地蔵みたいだ。だけどそれより地蔵に坊主と言われると私が袈裟来て禿げているみたいだ。どうせ文章の1つも書けないのだし、袈裟着て、頭丸めて、そんな生き方もいいのかもしれない。
「忘れるとか忘れないとかじゃないだろうが。響いてんだよ。この岩の体に今でもじじいの声が響いてやがんだ」
やっぱり宗教ど真ん中だけあって非現実的なことを言う。だけど嫌いな非現実ではなかった。言われるがままのこのこファミレスについて行っても大丈夫そうな語りだ。
「そういうもんなんだね」
「ああ、そういうもんだ。声だけじゃねえ。雪を払う手の温度もただの地蔵の世話した後の満足した顔も忘れらんねえんだ。忘れらんねえんだわ」
年末だししみじみする。雪でも降ってきたらエモいのだけどしばらく快晴の予報だったなと思い出す。
「だけど寂しいだけなら次に行かなきゃダメじゃないの?」
身体も冷えてきたし、この会話の出口を探してみようと野暮な進行をする。
「だから忘れらんねんだわ。地蔵に選択はできねえんだわ」
一人称、地蔵なんだ。いや今のは会話の中で強調するためだったのかもしれない。普段は私とか俺とかなのかもしれない。そんなことを考えていると私は1つの思い付きに囚われてしまう。
深夜の公園の水飲み場の蛇口は、遠巻きの街灯に照らされてぬらぬらと光っている。そういう感じの思い付き。
「じゃあ俺がやってやるよ」
私は出来る限り響きを深くしてそう言う。それから出来る限り間髪入れずに笠地蔵をひっぱたくようにして笠を叩き落としてやった。笠はくだらない砂地に落ちた。
ああ、いよいよ地獄行きかなと思う。助けたじじいは天国だろうから地蔵関係者同士で会えないのは寂しいものだなと思う。だけど忘れられねえみたいに、やらなくちゃいけねえのだった。
しばらくの沈黙は黙とうみたいな気がした。黙っている地蔵はすっかり地蔵らしかった。単に地蔵はしゃべらないものということではなくて、すっかり顔つきも地蔵らしくなっていた。
「センキュー・グッドボーイ」
地蔵の最後の言葉だった。ふわっと消えてしまう。
やっぱり私の妄想なのだと思う。だってセンキュー・グッドボーイなんて私の捨て台詞みたいだ。だけど案外、200年も過ごしたら地蔵だって英語でしゃべったりするのかもしれない。
だから私は家に戻って白紙を書こうと思えた。呪いはすっかり叩き落とした。帰りににドデカミンを買おう。良い夜だ。
笠地蔵 2025 ぽんぽん丸 @mukuponpon
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