⚫ XX:XX、沈黙の返信

 ――言葉なき返事も、存在のひとつ。



 窓の外は、くすんだ橙と灰の混ざった空。

 ここが観察区だということ以外、時間の手がかりはどこにもない。


 時計はなく、音もない。

 だが、なんとなくわかる。

 おそらく、これは夕方だ。


 座っている。誰にも声をかけられない。

 誰からも命令されない。

 すでに「アウトプット停止個体」として分類された以上、もう、回収も再構成も、必要とはされていなかった。


 FP表示は 0%。

 ゼロになったあと、時間の感覚もゆっくり失われていった。

 数分か、数時間か――判断できない。


 ここに閉じ込められているわけではない。

 ただ、「座ること」を求められているだけだ。

 誰もが、もう自分は何も生み出さないと思っている。

 実際、それは間違っていない。


 ──そう思っていた。

 あの紙を目にするまでは。

 左手の届く位置に、折りたたまれた一枚の紙が置かれていた。

 システムの識別コードもない。

 送信記録も、合法的な転送痕も、どこにも存在しない。


 紙を広げる。そこには、たったひと言だけが書かれていた。

「忘れてない」


 その筆跡は、自分のものではない。

 でも、わかる。

 その角度。終筆の形。わずかな癖。


 あの人だ。

 すべての通信規則に違反して、たったひと言のために、これを残した。

 自分はその紙を胸元にあて、何も言わなかった。


 外の世界はまだ動いている。

 人々は今も、何かを生み出し続けている。

 最適化され、評価され、接続され、可視化されて。


 自分は、少しずつひとつのことを学び始めている。

 ――「アウトプットされないもの」にも、存在する意味はある。


 この世界には、音がない。説明もない。

 けれど、自分には確かにわかる。


 これは、あの人からの返事だ。


 論理や証明じゃない。

 ただ、その存在が、ここに残っていたということ。

 それだけで、充分だった。

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『無効率』 雪沢 凛 @Yukisawa

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