後編:花火の向こう、君の夏-nilo-
文化祭の期間はあっという間に過ぎた。
その2日間、俺は
クラスの喫茶店で、グラスにアイスコーヒーを注ぐ姿。
そして、友達のバンドの助っ人として、体育館のステージでボーカルを執る姿。
結局、それ以外はみんな、覚えているのは断片だけだ。
俺は彼女に言わなければならないことがあった。
だけど、どうしても勇気が出ない。
たわいもない日常的な会話はいくらでも出てくるのに……。
意を決して言おうとするたび、そばに誰かがいる。
男子がいたり、女子がいたり、先生が通りかかったりする。
――今じゃない。
そう思ってやめる。
それを2日間、ずっと繰り返していた。
別に、大したことを言うわけじゃない。
「夏祭り、行かない?」
たったそれだけだ。
なのに、喉のところで言葉が止まる。
誘ったら、どうなる。
断られたら。
変に思われたら。
気まずくなったら。
考えるほど、声が出なくなる。
最終日、片づけが終わって校舎を出たときだった。
昇降口の前に、笑が一人でいた。
靴を履き替えている。
他のクラスメートは一足先に校門に向かったようだ。
周りにも、誰もいない。
――今だ。
そう思った瞬間、心臓が痛いほど鳴った。
逃げたくなった。
でも、ここで逃げたら一生言えない気がした。
「……あのさ。」
自分の声が、妙に遠く聞こえた。
笑が振り向く。
「夏祭り、行かない?」
言えた。
言えたのに、次の瞬間、笑の顔が一気に赤くなった。
「え、いいけど……。」
そう言うと、笑は慌てたように前へ歩き出した。
ほとんど小走りだった。
――やばい。
俺、何した?
困らせた。
引かれた。
絶対そうだと思った。
焦って、後ろから言葉を投げた。
「……みんなも誘っとく?」
言ったあとで気づいた。
何やってんだ、俺。
せっかく二人で話せたのに、
自分から距離を戻してしまった。
「いいよ。笑が行くなら、私も行く。」
そう答えたのは、笑と仲のいい
俺の方を見て、一瞬だけ意地悪そうな表情をした。
絶対、こいつ分かっているな。
でもその声に、なぜかほっとしてしまった自分がいた。
祭りの当日。
素子からLINEが届いた。
〈ごめん、今日は行けなくなった。楽しんできて〉
ひょっとして、素子は気を使ってくれたのだろうか?
だとしたら……俺は彼女に感謝しなくてはならない。
駅前のロータリーに着くと、笑がもう来ていた。
浴衣姿だった。
一瞬、本当に言葉が出なかった。
似合っているとか、そんな簡単な感想じゃなかった。
ただ、綺麗だと思った。
「おーい、待った?」
それしか言えなかった。
「ううん、今来たとこ。」
いつも通りの調子で笑う。
それで、ようやく心臓が落ち着いた。
参道を歩く。
隣にいる距離が、近い。
近すぎる。
屋台の明かりの中で、笑は楽しそうに笑っている。
その顔を見ているだけで、十分なはずだった。
でも、足りなかった。
参道の途中、飲み物の屋台で足を止めた。
笑がラムネの瓶を手に取る。
「これ飲みたい。」
2本買った。
手渡そうとして気づく。
栓を開けないと飲めない。
ビー玉を押し込むだけ。
それだけのことなのに、妙に手が汗ばんだ。
(落ち着け。こんなの、誰でもできる。)
力を入れる。
滑る。
もう一度押す。
動かない。
「……あれ?」
情けない声が出た。
笑が覗き込む。
「貸して。」
瓶を受け取ると、彼女は親指で軽く押した。
ポン。
乾いた音と同時に、泡が一気に吹き上がった。
あふれた炭酸が、笑の浴衣の袖口にかかる。
「あっ。」
俺は慌ててポケットを探った。
ハンカチ――入れていたはずなのに、見つからない。
反対のポケット。ない。
後ろのポケット。ない。
(なんで今日に限って……!)
何もできずに立ち尽くす。
笑は少しだけ袖を見て、それから笑った。
「大丈夫だよ、すぐ乾くって。」
そう言って、逆に俺の方へラムネを差し出した。
「はい。」
受け取りながら、胸が締め付けられた。
ラムネは甘かった。
喉に残る炭酸が、やけに痛い。
――言おうと思えば、言えるはずなのに。
俺は視線を逸らした。
花火が上がる。
夜空が赤く光る。
「きれいだね。」
笑が言う。
俺は横顔を見る。
言えば、何かが変わる。
変わったら、戻れない。
好きだと言う勇気より、
この時間を失う怖さの方が大きかった。
「……ああ。」
それだけしか言えなかった。
消えたあとには、深い青だけが残る。
帰り道、改札で別れた。
「また学校でな。」
それが限界だった。
翌朝。
教室の扉を開けると、笑が振り向く。
「おはよー、
いつもと同じだった。
何も始まらなかった。
だから、何も壊れなかった。
俺は安心して、そして同時に理解した。
――俺は、自分で止めたんだ。
あの夜を。
あのとき一歩踏み出さなかった理由を、
きっとずっと考え続けることになる。
夏が終わっても、
あの夜だけは、終わらないまま残る。
◇◆◇◆
【作者メモ】
圭一視点の後編を公開しました。
同じ物語を男性・女性視点でそれぞれ描くという構成は、江國香織と辻仁成の「冷静と情熱のあいだ」を意識している。
「rato」と「nilo」というのは、ネパール語で「赤」と「青」という意味で、これも同作の「Rosso」「Blu」に倣っている。
この2つの色は、それぞれは花火の赤と夜空の青でもある。
そんな2つの色の間にあった物語として描いてみた。
花火の向こう、君の夏 智沢蛸(さとざわ・たこる) @tako4949
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