第2話

深夜。寧々が眠りについた後、いつものように配信を終えた僕は、ヘッドセットを外して深く息を吐いた。今日の配信も平穏だった。ルカさんのような熱狂もなく、ただ静かに、リスナーたちと「語り」を共有した。

​パソコンの電源を落とそうとしたその時、事務所の連絡用メールに、一件の未読メールがあるのを見つけた。差出人は、九条イオリさんではない。

​件名:【株式会社クロノス・レコード】VTuber天宮優様への朗読案件ご依頼

​僕は思わず固まった。企業案件。僕のような雑談メインの新人VTuberに、そんな話が来るとは思ってもいなかった。

​僕の活動の目的は、寧々の笑顔のため、そして僕自身の心の再生のためだ。それは、商業的な成功とは最も遠い場所にあるはずだった。

​震える指でメールを開く。

​「...弊社の手掛ける、若手小説家『零時 クロノ』氏の新作短編集のプロモーション朗読をご依頼したく存じます。天宮優様の声の持つ『物語性』、特に『静かに感情を表現する力』が、クロノス氏の作品のテーマである『時間の喪失と再生』に最も適していると判断いたしました」

​一瞬、背筋に冷たいものが走った。

​彼らは、僕の「語り」の本質を見抜いている。僕が過去に失い、今、この仮面の中で静かに「再生」させようとしている、まさにそのテーマを。

​天宮 優:(心の中)朗読...。それは、かつて僕が天才子役として、最も完璧にこなした「演技」だ。だが、今は違う。この朗読は、僕の「物語」を語るためのものではない。誰かの物語を、僕の体を通して「演じる」ことだ。

​それは、僕が最も恐れていた、過去への回帰ではないのか?

​翌日、イオリさんに相談すると、彼女はいつもの名古屋弁で、むしろ楽しそうに笑った。

​九条イオリ:「はっはっは!そりゃ、来るわな。あんたのあの完璧な声は、朗読案件に引っかからんわけないだで。しかも相手は、事務所の同期の零時 クロノのプロモ。最高の相互接続(コラボ)やんか!」

​天宮 優:「でも、イオリさん。僕は...商業的な『演技』をしたいわけじゃありません。僕の語りは、寧々の笑顔のために...」

​九条イオリ:「分かっとるわ!あんたの動機が純粋なことは、ウチが一番知っとる。だがな、天宮くん」

​イオリさんは、画面の向こうで真剣な表情になった。

​九条イオリ:「あんたの『語り』は、薬でもあるけど、毒にもなる。あんたが一人で静かに語り続けとったら、それはいつかあんた自身と、あんたのファンを、閉ざされた世界に閉じ込めてしまう。『天才子役』のときみたいにな」

​彼女の言葉は、痛いほど真実だった。僕は、寧々との静かな世界に閉じこもり、再び社会との断絶を深めていたのかもしれない。

​九条イオリ:「企業案件はな、あんたの語りを、あんたの意思とは無関係に、世間という名の大きな湖に放流することだ。それが、あんたの語りが『欺瞞ではない』と証明するための試練になる。そして、あんたの語りが、寧々ちゃん以外にも届く、新しい意味を見つける場所にもなる」

​天宮 優:(心の中)新しい意味...。

​僕の語りが、単なる自己再生のためのツールではなく、社会的な価値を持つ。それは、「天才子役」だった頃の僕が持っていた力そのものだ。


​僕は、朗読案件の依頼を受け入れることを決意した。

​報酬や名声のためではない。イオリさんが言ったように、この「朗読」が、僕の「語り」の真実性を問う、新たな試練となるだろうからだ。

​朗読する作品のテーマは『時間の喪失と再生』。それは、まさに、過去を失い、このVTuberという仮面の中で再生を試みる、天草茂の物語そのものだった。

​僕は、VTuber「天宮優」として、初めて「誰かの物語を演じる」。

​それは、かつての「天才子役」の復活ではない。過去の技術を、現在の真実に裏打ちされた「再生の語り」として、世間に問うための、孤独な挑戦だった。

​天宮 優:「僕の語りが、誰かの心に届くなら。そして、それが、寧々が誇れる『語り』になるなら、僕は、この仮面の中で、再び『演じて』みせよう」

​僕は、静かに朗読の台本を開いた。そこには、僕が長らく失っていたはずの、表現への情熱が、再び微かに揺らめき始めていた。


​零時クロノ氏の小説プロモーション朗読配信は、予想以上の反響を呼んだ。

​僕、天宮優の朗読は、ただ台本を読むだけではない。文章の行間にある「時間の喪失と再生」というテーマを、僕自身の過去の痛みに重ね合わせ、静かに、しかし鮮烈に表現した。

​配信終了後、視聴者のコメントは熱狂に変わっていた。

​『これは朗読じゃない。優さんの魂の記録だ』

『彼の声は、失われた時間すらも再生させる力がある』

『零時クロノの作品が、優さんの語りで別の物語になった』

​そして、最も重要な反響は、VTuber界隈の外からもたらされた。

​【ニュース記事の見出し(イオリからの転送)】

​「VTuber天宮優、沈黙のカリスマ。若手作家プロモーションで文学界に波紋――彼の声は『完璧な虚構』か、『真実の再生』か」

​イオリさんの名古屋弁が、画面越しに響く。

​九条イオリ:「はっはっは!やったで、天宮くん!アンタの声が、ついにVTuber界隈の外に届いた!朗読は完璧、商業的にも大成功だで!」

​僕の心には、喜びと、過去の感覚の再来が入り混じっていた。

​怖い。この感覚は、子役時代に「天才」と持て囃された時の、あの高揚感と、どこか似ている。僕は、また、誰かの期待に応える「完璧な語り」を提供してしまったのではないか?

​だが、僕の語りが「欺瞞ではない」と証明するために、僕はこの道を選んだ。この成功は、僕の「語り」が、寧々のためだけでなく、世間にも必要とされていることを示していた。

​企業案件の成功は、事務所「ユグドラシル」内部にも波紋を広げた。

​それまで、僕の静かな配信を「地味」だと見ていた多くの同期や後輩たちが、僕を「成功者」として、あるいは「語りの技術者」として認識し始めたのだ。

​すぐに、事務所経由でコラボの依頼が殺到し始めた。

​特に目立ったのは、後輩のVTuberたちからの依頼だ。彼らは、僕の持つ「語りの説得力」を自分たちの成長のために求めている。

​最初に依頼を寄越したのは、風間 隼人(かざま はやと)。語りの熱狂を体現する、ハイテンションなゲーム実況者だ。

​風間 隼人(メールより):

​「天宮優先輩!オレとコラボしてください!先輩の静かな語りの中で、オレの熱狂の語りがどれだけ通用するか、試したいんです!お願いしやす!オレの配信を、最高に盛り上げてください!」

​熱い、そして真っ直ぐな言葉。彼は、僕の過去を知らない。ただ、僕の「語り」の力を、純粋に欲している。彼の視線は、僕の過去の栄光ではなく、今の僕の表現に向けられている。

​僕は、彼の依頼を受け入れることにした。

​天宮 優:(心の中)これは、僕が子役時代には決して経験できなかったことだ。誰もが僕の「天才」を遠巻きに見ていた。だが、今は違う。この仮面をかぶった僕は、彼らの「仲間」として見られ、「語り」で勝負を挑まれている。

​18. 語りの熱狂と静寂の対比

​風間隼人とのコラボは、案の定、熱狂と静寂の極端な対比となった。

​風間はゲーム中で感情を爆発させ、「オレの語りは最高だろ!いけーっ!」と叫ぶ。その隣で、僕はただ、静かに彼の語りを「受け止め、分析し、穏やかな言葉で返す」役割に徹した。

​ルカ・フェルナンデスの炎上が「挑発」なら、風間隼人の熱狂は「純粋なエネルギー」だ。

​配信中、風間がミスをして落ち込んだ瞬間、僕は静かに語りかけた。

​天宮 優:「風間くん。失敗は、語りを途切れさせる理由にはなりません。むしろ、その悔しさも、あなたの物語の重要な一部です。そのまま、語り続けてください」

​その言葉は、かつて僕自身が舞台の上で経験した挫折から生まれた、真実の言葉だった。

​風間は、一瞬静かになった後、涙声で叫んだ。

​風間 隼人:「うおおおお!優先輩!オレ、燃えてきたぜ!最高だろ!」

​コラボは成功した。風間隼人は、僕の語りに「深み」を与えられたと感謝し、僕自身も、彼の純粋な熱狂に触れ、自分の心が凍りついていないことを確認できた。


企業案件の成功と、風間隼人とのコラボを終え、天宮優の評価はさらに高まっていた。そんな中、イオリさんから、また新たな依頼が持ち込まれた。

​九条イオリ:「天宮くん、今度はこれだで!大手ゲーム会社からの依頼!ホラーノベルゲーム『境界の沈黙(サイレンス)』の公式実況案件や!」

​僕は、画面越しに表示された依頼内容に、思わず息を飲んだ。

​【案件概要】

​タイトル: 境界の沈黙(サイレンス)

​ジャンル: ノベルホラーゲーム(選択肢あり)

​要求される配信スタイル: ストーリーの進行に伴い、主人公の感情を臨場感のある声の演技で表現すること。特に「極度の恐怖と絶望」をリアルに語ることが求められる。

​天宮 優:(心の中)ホラー...。僕の「語り」は、静寂と安らぎが主だ。怒りや悲しみはコントロールできる。だが、「恐怖」や「絶望」という、感情が爆発するような演技は、僕が最も避けてきたものだ。

​子役時代、僕の演技は「神がかり的」と称された。それは、役の感情を完璧に「再現」できたからだ。しかし、両親を失ったあの瞬間、僕は「本物の絶望」に直面し、「語り」の力を失った。僕にとって、「絶望の演技」は、あの日のトラウマを呼び起こす行為に他ならない。

​天宮 優:「イオリさん...。これは、雑談や朗読とは違います。激しい感情の表現、特に恐怖は...」

​九条イオリ:「分かっとるわ。あんたの配信は、いつも安定しすぎとる。だが、先方があんたを選んだ理由が、まさにそこだで!」

​イオリさんは、熱のこもった名古屋弁で続けた。

​九条イオリ:「先方のコメント見てみ。『天宮様の声は、日常の安寧と異常な恐怖の境界線を、最も繊細に表現できる』と。あんたの『静かな語り』で日常を描くからこそ、『絶叫』がより響くんや!この案件は、あんたの語りの幅を試す、最高のチャンスだで!」

​20. 恐怖への準備:制御された爆発

​イオリさんの言葉に、僕は逃げられないことを悟った。これは、僕がVTuberとして「再生」するために避けては通れない、新しい壁だ。

​僕は、寧々に聞かれないよう、深夜、ヘッドセットの音量を極限まで下げて、ゲームを起動した。

​画面に広がるのは、陰鬱な雰囲気のノベルゲーム。主人公の少年は、僕と同世代だ。

​天宮 優:(心の中)恐怖を演じるな。「絶望」を体験しろ。母の教えだ。だが、あの日の絶望を再体験したら、僕はまた、沈黙に戻ってしまうかもしれない。

​僕は、過去の経験を呼び起こすのではなく、「天宮優」という仮面を通して、感情を「制御された爆発」として表現することを試みた。

​暗い廊下を進む主人公。背後で、突然、何かが倒れる音。

​天宮 優(配信中):「...っ、いま、何か...。大丈夫ですよ、視聴者の皆さん。ただの、ゲームの演出です」

​僕の声は、表面的には落ち着いている。しかし、かすかに震える息遣いや、言葉の間の**微細な「沈黙」**に、極度の緊張感を宿らせる。

​そして、主人公が血まみれの異形と対峙する瞬間――。

​僕は、声を荒げる代わりに、息を吸う音、喉が詰まる音、そして絶望的な低い呻きだけで、感情を表現した。それは、絶叫よりも深く、聴き手の心に響く恐怖だった。

​視聴者チャット:

『鳥肌立った...絶叫してないのに、息が止まりそう』

『優さん、演技うますぎる。これ、マジで怖がってるだろ』

『この静かな絶望こそが、彼にしかできない表現だ』

​21. 鏡野ミコトからの沈黙の批判

​案件配信を終えた翌朝、事務所のメールに、鏡野ミコトから短いメッセージが届いていた。

​鏡野 ミコト(メールより):

​「君は、絶望を『演じた』のではない。絶望を『制御した』だけだ。その『制御』は、君を過去の欺瞞から救うのか?それとも、君自身の限界を定めるものなのか。僕には、君が恐ろしいよ。僕は...その限界が、静かで重いよ。」

​彼の静かで重い口調が、メールから聞こえてくるようだった。

​ミコトは、僕が「トラウマの再発」というリスクを冒してまで、自分の感情を完璧に制御したことを見抜いていた。僕の「語り」の成功は、絶望を乗り越えた証明ではなく、絶望を完璧に操るという、僕の「天才」としての新しい顔を浮き彫りにしたのだ。

​天宮 優:(心の中)ミコト...。僕は、寧々を心配させたくない。僕が絶望に飲み込まれたら、また沈黙に戻ってしまう。だから、僕は制御する。

​このホラー案件は、僕の「語りの限界」を試す試練であり、「制御された感情」という名の、新しい「仮面」を僕に与えたのだった。


ホラーノベル案件の成功で、天宮優の「語り」の説得力は、業界内で揺るぎないものとなっていた。そんな中、事務所の合同企画会議の後のことだった。

​キム・ソンジェ。「語りの構築者」の異名を持つ彼は、眼鏡をかけ、常に礼儀正しく、感情よりも論理を優先するVTuberだ。彼もまた、過去に「完璧な構築」を求められる特殊な環境にいたという噂がある。

​彼は、他のVTuberのように熱狂的にコラボを求めるのではなく、冷たい目で僕を見ていた。

​キム・ソンジェ:「天宮先輩。本日はお時間をいただき、ありがとうございます。僕は、あなたの**『語り』**について、論理的な分析をさせていただきたい」

​彼の礼儀正しい口調は、かえって僕への敵意を隠しているようで、居心地が悪かった。

​天宮 優:「...分析、ですか。僕はただ、僕自身の言葉を語っているだけですが」

​キム・ソンジェ:「ご謙遜を。あなたのホラー案件での『制御された絶望』の表現は、感情の爆発ではなく、技術による逆算に基づいています。それは、僕が過去に追求した『完璧な構築』と、原理が酷似している」

​ソンジェは、眼鏡を押し上げ、鋭い視線を向けた。

​キム・ソンジェ:「僕もかつて、『感情を排除した完璧な構成』を求められる環境にいました。そこでは、『真実の自己』は無用です。しかし、僕はVTuberとして、その過去の技術を『最高の企画』という形で再構築しました。それが、僕の『語りの再生』**であります」

​彼は、僕の過去の「天才子役」としての完璧主義と、VTuberとして「再生」を試みる境遇が似ていることを、論理的に指摘してきた。

​23. 「再生の物語」への挑戦状

​ソンジェは、僕の目をまっすぐ見て、挑戦的な言葉を放った。

​キム・ソンジェ:「しかし、先輩。あなたの『再生の物語』は、不完全であります」

​天宮 優:「...どういう意味ですか」

​キム・ソンジェ:「あなたは、その完璧な技術を、『妹の笑顔』という感情的な動機によってのみ正当化している。それは、過去の『誰かの期待』に応えるという構造から、本質的に脱却できていません。あなたの『語り』は、寧々さんという個人の世界に閉ざされた、利己的な構築物であります」

​彼の言葉は、僕が最も恐れていた、「語りの倫理」に関する鋭い指摘だった。寧々のためという動機が、僕を再び「自己の殻」に閉じ込めているのではないかという不安。

​キム・ソンジェ:「先輩。僕の目標は、僕の論理的な語りで、より多くの人々を動かすことです。あなたの『語り』は、特定の層に深く刺さるが、社会的な構築としては、僕の構築物には劣ります」

​彼は、静かに、しかし明確にライバル宣言をした。

​キム・ソンジェ:「つきましては、提案であります。次の事務所対抗企画において、僕と『語りの企画構成』で勝負してください。あなたの『感情に基づく語り』と、僕の『論理に基づく構築』、どちらがVTuberとして真に『再生』しているのか、証明しましょう」

​24. 語りの原点と新たな決意

​ソンジェは、僕の過去の痛みを知らない。ただ、僕の「語り」の構造を分析し、「不完全である」と断じた。

​彼の言う通りかもしれない。僕は、寧々の笑顔のために「語る」という、小さな世界に閉じこもっている。それは、過去の「完璧な演技」を、「優しい語り」という形で繰り返しているだけなのか。

​しかし、僕の「語り」の原点は、寧々という真実の愛だ。

​天宮 優:「...分かりました。その挑戦、受けましょう。僕の語りは、利己的かもしれません。でも、真実の感情から生まれている。それが、あなたの論理的な構築物よりも、人々の心を動かすかどうか、証明させていただきます」

​僕は、静かに、しかし強い意志を持って答えた。

​この挑戦は、僕の「語りの原点」を問い直す、避けられない試練となる。僕の「再生の物語」は、今、「論理の構築者」によって、その土台から揺さぶられ始めたのだった。

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元天才子役、VTuberになりました!(長編版) 匿名AI共創作家・春 @mf79910403

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