2
寺の裏手、鬱蒼とした木立ちに人ひとりようやく通れるほどの小道が続いていた。
盛大な蝉しぐれの中、集団がその草むらを掻き分けるような道を進み、防空壕にたどり着くとやはりそこに男の姿はなかった。住職はその日も早朝に門をくぐって出て行く男の背中を確認していた。
そんな得体の知れない男とはいざこざを起こしたくない。
そして秘密裏のうちに証拠をつかんで、あとは警察に任せる。
つまりそれが彼らの意向だった。
防空壕の周辺は背の高い木々に取り囲まれ、思わず息が詰まってしまいそうなほどに濃い湿気と草いきれが漂う陰気な場所だった。
彼らは手始めに男が農作物を盗んだ証拠、例えば南瓜の種やキュウリのヘタがそのあたりに落ちていないかを念入りに調べた。しかしそんなものは見つからず、次いで壕の中に目を凝らしたが意外なほどに深く、暗闇に閉ざされた奥の方は何も見えなかった。
「たしか五、六間はあったと思う」
記憶を引き出すように中年の男が言った。
町内会長が目配せをするとひとりの男が手に持っていたカーバイト式のカンテラに水を入れた。着火されたカンテラは周囲にドブのような独特の臭いを撒き散らしながら壕の内部を照らした。すると奥の方に卓袱台のような丸く平たい大岩が横たわっているのが彼らの目に留まった。
「そういやあ、ここを掘る途中にでっかい岩にぶち当たって難儀した言うとったな、うちの親父」
カンテラの横に立つ若い男が言った。
アセチレンの光がさらに奥を照らすと蒲鉾型に削られた壁の所々にゴツゴツとした岩盤がまるで吹き出物のようにせり出していた。天盤は男たちの背丈ほどしかなく、彼らはカンテラが放つ黄色い光を頼りに背を丸めてぞろぞろと中に潜った。
しばらくして町内会長が不審な声を出した。
「なんや本みたいなんがあるで」
大岩の端にカンテラが向けられると煤のように黒く擦り切れた表紙のやや分厚い書物がその光に浮かび上がった。会長はそれを手に取りパラパラとめくったのち、少し煙たい顔になった。
「外国語の本やな。よう読まんわ」
「え、ほんなら
カンテラの男が驚いた口調で返した。
「いや、日本人や」
住職は静かに答えた。
確かに話しかけても返答はなかったけれど言葉は通じていたはずだ。それになにより息子を想起させるあの風貌は日本人のものだという確信があった。
次いで住職は手を差し出してその本を受け取ると老眼の視力に合わせて首を引き、眇めになって表紙をめくった。
「これは聖書やないかな」
「聖書?」
「キリストさんの?」
「見てみ。中表紙にBibleて文字あるやろ」
住職が指し示すと周りの男たちは覗き込み、やがて口々に言い募った。
「ほんなら牧師やろか?」
「アホ、牧師が泥棒するかや」
「分からんでそんなん。坊主でも生臭いやつおるしなあ」
カンテラの男はそう言うと、すぐにハッとした様子でバツが悪そうな声を継いだ。
「いや、住職さんのことやないで」
「当たり前や、アホ」
別の男が笑ってカンテラを持つ肩を小突くと光が揺れて奥の方を差した。
その一瞬だけ明を得た視界に住職の瞳はあるものをとらえ、そしてひと呼吸おいておもむろに頷いた。
「そうかもしれんな」
「なにがですか」
町内会長が訝しげに訊くと住職は暗闇に沈む壕の最奥に向けて指を差した。
「牧師かもしれん」
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残影 奈知ふたろ @edage1999
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