家庭でも学校でも問題などかかえていなかったはずの兄が失踪した。
当時の兄と同い年になった「僕」は、失踪前夜に兄が語った不気味な逸話を思い出す。
戦後、「僕」たちの街に現れたという黒ずくめの男、防空壕、十字架、祭壇、黒い革袋――そして凄惨な殺人事件。
あの逸話は何を意味していたのか。
兄はどこへ行ったのか。生きているのか死んでいるのか。
想像力を搔き立てられる、謎と余韻に満ちた、おぞましくもどこか妖しい美しさのあるホラーです。ふとした瞬間に思い出して背筋が寒くなるような――。
戦後の雰囲気や、遺体の描写の生々しさにも感嘆させられます。
お寺の住職さんのキャラクターには人間味があり、この暗鬱な物語のなかで仄かな光を放っているようでした。
戦時中、円明寺の裏山に掘られた防空壕。戦後七、八年頃の夏、その防空壕跡に乞食のような身なりをした男が住み着いているらしいという風聞が街に広まっていく。
同じ頃、近隣の田畑で作物盗難の被害が出ていたことも踏まえ、街の役人と住職たちはその男が犯人と疑うように。秘密裏のうちに証拠をつかんで、あとは警察に任せようと壕を訪れる。
そのとき、壕に男はいなかった。しかし、カンテラの灯りが照らす漆黒の先――そこには闇に溶ける粗末な十字架が突き立てられた祭壇があった。
十字架にかかる黒い革袋。物々しい禁忌を孕む心理が開けてはならないと警告する。
しかし、そうと分かっていても……
人間の心理を巧みに突いた作風。
謎は謎のままに触らぬままで。
静かに仄めくざらついた虞――不気味な余韻を残すのは、生前、兄の言葉と左手に握られた真実なのか。
防空壕の闇に息づくミステリーホラーです。