虚像コラージュ
山の下馳夫
第1話 虚像コラージュ
時代の寵児ともいえる芸術家、タカノフミオからのメールを確認した時、私は、驚きのあまり手に持っていたタンブラーを取り落とした。
自宅で淹れてきたコーヒーを拭き取りながらもメールの文面を確認すると、さらなる驚きでタオルを持つ手が止まった。タカノは、私が以前執筆した記事を大層気に入ったそうで、メールには、私が相手ならば是非独占取材を受けたいと書いてあった。
こぼしたグァテマラの残り香によって我に返るまで、しばしの時間を要したが、意識の覚醒とともに、少しずつ喜びを実感する。
タカノは今までメディア露出を全くしてこなかった、いわゆる『正体不明の芸術家』だ。大衆からの人気はすさまじく、彼の作品は海外のオークションにおいて高値で取引され、世界中の名だたる美術館がこぞって彼の作品を購入しようとしていた。
綺羅星のごとく天才がひしめくアートの世界にあって、タカノフミオは知名度においてその最たる存在だ。この取材を成功させれば、私の美術記者としての立場も確固たるものとなるだろう、私の体は歓喜に震えた。
「ついに、ついにきたか」
体の震えはしばらく収まらなかった。口さがない親戚からは、儲からない美術雑誌の記者をしていることを揶揄されたこともあるが、やはり芸術を解さないものとは理解しあえないとつくづく実感した。天才タカノフミオの正体に迫るのは、もはや人類の文化に直接貢献するに等しい。進学や就職の選択肢はいくらでもあったが、この道を選んで良かったと確信した瞬間でもあった。
期待に胸が膨らんだ私は、逸る気持ちを抑えて残務を片付け、そのままタカノに関する資料の収集を開始した。徹夜が応える年齢に差し掛かっていたが、翌朝タカノからのメールを同僚や上司に見せ驚愕の表情を引き出すと、その疲れも吹き飛んだ。
私は普段の仕事とタカノの取材準備を並行して、約束の日を待った。国内外のありとあらゆる資料は集まったが、それでもタカノの肖像は未だに朧げだった。
「――タカノ先生、本日は貴重な機会をいただきありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそこのような場を賜り、誠にありがとうございます」
取材会場であるⅯ芸術館に定刻通りに現れたタカノは、驚くほど腰が低く、正体不明の天才のイメージにそぐわない質素な男であった。体はか細く、服も装飾性のないもののため、どこか昆虫のナナフシのような印象を受けた。
「色々とこちらのワガママを聞いてもらってすみません……」
タカノは記者である私と、同席していたⅯ芸術館の館長や学芸員、撮影スタッフ一堂に深々と頭を下げた。ワガママと形容するほどではないが、たしかに彼が言うように今回の取材には特殊な条件が設定されていた。
本来、タカノほどの著名人が情報発信をするのであれば、複数のメディアが共同で会見の場をセッティングするだろう。だが彼は意外な取材会場を選択した。自身の個展が開催されるⅯ芸術館内、それも休館日を指定したのである。また取材の様子は、ネットで動画配信してほしいという要望もあり、目立ちたいのか、そうでないかが傍目には分からなかった。
「いえいえ、タカノ先生にご来館いただけるとは光栄の至りです。そもそも先生の日本初の個展に当館を選んでいただけたことからして、当館からすれば望外の栄誉だったのですが」
Ⅿ芸術館の館長が恭しく言うが、私としてもそこが気にかかっていた。タカノフミオが本邦初の展覧会を要望したのであれば、東京の上野か六本木あたりの有名な美術館が必ず手を挙げるだろう。だが、彼は最初から他の美術館には目もくれず、北関東のⅯ市に所在する、Ⅿ芸術館を指定したのである。M芸術館は名門の美術館ではあるが、タカノフミオの日本凱旋の舞台として選ばれたのは正直以外だった。タカノの個展の効果は凄まじく、Ⅿ芸術館の入館者数は、企画展ごとの最高記録に迫る勢いだという
「光栄なのはこちらの方ですよ。ここで開催した原田先生の特別展を拝見しに来たことがあって、日本で展覧会を開く機会があれば、是非ともこの館でと思っておりました」
タカノはそのか細い首を動かして会場内を見渡した、無機質な彼の眼に一瞬光が宿ったように見えた。そして、この時タカノの口から飛び出た「原田先生」という言葉により、独占取材が成立した理由も分かってきた。
Ⅿ芸術館で個展を開いた「原田」と言えば、Ⅿ市出身の日本画家「原田悠遷」であるのは間違いないだろう。私は以前、アートを対象にしたテロに巻き込まれた原田悠遷を取材したことがあった。タカノが気に入った記事というのは、おそらくその原田悠遷の取材記事のことだろう。
「なるほど、タカノ先生は原田先生の作品がお好きだったんですね、日本画をモチーフにした作品も多く手掛けているのも、その影響ですか?」
私の言葉に、タカノは静かに笑みを零した。
「ええ、立体の作品にしても、平面の作品にしても、私のは『それっぽい』だけで、原田先生のような本物の作品に到達したことはありませんが……、私は初めて先生の作品を見た時から、その作品の虜でして……」
私や館長、学芸員、とにかくその場にいる人間の全てが息を呑んだ瞬間だった。作家自身が、まさかそこに触れるとは誰も思っていなかったのである。
立体作品と平面作品を手掛けるタカノだが、彼の作品のほぼ全てに明確なモチーフがあるのは、少し美術を学んだものであればわかることだ。タカノは、海外ではそこまで知名度が高くない近代以降の日本美術の傑作を翻案する手法で作品を量産し、海外のアート業界から高い評価を得たのである。
口の悪い評論家の中には、『タカノの作品づくりは近代の名画をモチーフやオマージュしているというより、音楽のサンプリングに近く、オリジナリティの欠如が目立つ。日本美術といえば北斎や広重といった江戸時代以前の作家しか知らない、視野の狭い海外の愛好家を手玉にとっているだけ』と評するものもいた。
「雑誌に書いていただいたこともありましたが、私は、結局他人の褌で相撲を取ってきただけなんですよ……まあ、みなさん、専門家だからわかるでしょうが」
思いがけぬ告白に皆が驚く中、視線を感じて振り返る。カメラマンが中継を中止しようかという意図のジェスチャーをしてきたが、私の一存で止められないだろう。
「あ、中継は止めないで、私はこの日のために今までこんなに愚かしい創作活動、いや盗作活動を続けてきたんですーー、これを止められたら何をするかわかりませんよ」
タカノは席から立ち上がり、右手を上げてカメラマンを制した。彼は、そのまま展示室内の自作に向かい歩き始める。
「うーん、そうだな、展示を担当した君なら、これが誰の作品をモチーフにしたかわかるでしょ?」
タカノは呆然と成り行きを見ていて学芸員を指名した。口調こそ柔らかいが、そこには明確な意志を感じさせる力強さがあった。タカノは学芸員の反応を待たず、自身の代表作の一つである『四季・タペストリー』という作品を指さした。
タカノ作、『四季・タペストリー』は、まさしく近代日本画のエッセンスを抽出したような作品だった。全く異なる材質で、全く異なる画面づくりをした、四季の風流を楽しむ四種類の女性像が、展示室内で存在感を主張している。
学芸員は最初目の前で起こっていることを理解できていなかったようで、しばらくタカノの問いに答えられなかったが、作品を指すタカノが戦慄きだしたことで、やっと口を開いた。
「――上村松園『花のにぎわい』、土田麦僊『海女』、甲斐庄楠音『秋心』鏑木清方『初雪』、でしょうか」
学芸員は春夏秋冬のタペストリーに視線を送りながら、それぞれのオマージュ元、というより元ネタを指摘していった。私が指名されたとしても、おそらくそのように答えただろう。ただ、引用した作品の制作年代を、タカノが意識している可能性を考えると、冬のタペストリーは鏑木清方ではなく、その弟子の伊東深水の『雪』をモデルにしているのではと思われた。
「うんうん、素晴らしい、ほぼ正解です。さすが企画展を担当した学芸員だ、見る目がありますねえ。サザビーズやルーブルに君がいたら、私の悪夢はとっくに終わっていたでしょう」
タカノは晴れ晴れしく笑って学芸員に賞賛の言葉と拍手を送った。パチリパチリと彼の薄い手のひらが音を鳴らす。
ここまできて、私はやっと気づいた。私たちは彼の懺悔に立ち会うために集められたのだと――、
「つまりタカノ先生は、その……自作が有名作品のオマージュであることを告白されるため、今回の独占取材をお受けになったということですか」
館長や学芸員も察しはついているだろうが、彼らの立場上その追及は難しいだろうと思い、私はインタビュアーとして率先して切り出した。
「さすが美術記者さん。ズバッと切り込んでくれますね。いや、それもあるのですが、これはどっちかといえばオマケで……ほら、記者さん原田先生に取材していたでしょう?」
タカノは心底愉快そうに日本画家「原田」の名前を出した。やはり推測通り、原田悠遷と私の関連に目を付けの御指名だったようだ。
「私が原田先生に取材した件と言いますと、環境活動家が、アートをテロの標的にしたあの一連の騒動についてですよね」
2020年代にゴッホ、ゴヤ、モネといったような誰もが知る画家の名作が環境活動家の標的になったことは、多くの人間が記憶しているだろう。己の主張をアピールするために名画にスープや塗料をかける、あの一連の愚行は良くも悪くも記憶に残ってしまう。
原田悠遷は海外でも注目される画家であるため、その作品が海外の美術館やビエンナーレ等のイベントに出品することも多く、今から10年前の2022年、運悪くテロの標的になったことがあった。
「原田先生は実際に被害がほぼなかったことと、原田先生が敬愛する上村松園が同様の被害にあった経験があることから、それほど苦にしていた様子もなさそうでしたが」
私が所感を述べると、タカノは初めて少し寂しそうな顔をした。
「そうですよね……原田先生はそうおっしゃったそうだけど、私は貴方がかつて書いた『美術史に刻まれる傑作を、如何なる主張のためであろうと、意図的に汚そうとする人間を、私は同じ人間とは認めたくない』という言葉の方が納得いったなあ。貴方が言うように、たしかにあの時の私は、人間じゃなかったと思うんですよ」
「は? ……え、いや」
「あれねえ、犯人の一人、私なんです」
最初、タカノの言葉の意味が理解できなかったが、彼が丁寧に補足したことで、やっと飲み込めた。
かつて見た、防犯カメラの映像が蘇る。ふくよかな女性と若い細い男性の二人組が、原田の作品に塗料をかけたあのシーン。あの浮浪者のようなか細い男性が、目の前にいる、今をときめく若き天才だというのだ――、確かに言われてみれば体形こそ似ているが、あまりにもイメージがかけ離れているため、告白を経た今でさえ二つの像は結びつかなかった
「私、子供のころから絵を描くのを、親に禁止されていたんですよ。そんなことより勉強しなさいって言われて、……ずっと言われまして」
タカノフミオの独白が始まった。今まで全く語られることのなかった、タカノの経歴だが、現在のタカノの八面六臂の活躍と比較してみると、『よくある話』という程度の印象しか受けなかった。
タカノは都内の裕福な家庭に生まれ、幼い頃は教育に熱心な両親に過度な期待をされて過ごしたらしい。中学受験に失敗したことで家族から辛く当たられるようになり、大学入試では一浪して合格したものの、第一志望の大学でなかったことから親に失望され、それ故に放浪癖を持つようになったという。
「家族の中で唯一の落伍者が私でした。親の言いつけ通りの学校に一度も受からず、見放されて……、失意のどん底にあった私は、それならばせめて色々と世の中を見て回ってみようかと思いました。浅はかな考えでしょう?」
タカノは自嘲とともに自身の背景を語っていく、環境活動団体との出会いは、海外旅行中、彼が旅先で財布を奪われ、彷徨っていたときの事らしい。団体は一文無しになって窮したタカノに救いの手を差し伸べ、あれよあれよと活動の実行犯に仕立てあげたという。
「彼らは本当に優しくてね、一週間も無償で面倒を見てくれたんですよ。一宿一飯どころの恩でなくなってしまい、それなら、どうせ家に帰っても役立たずの身、せめて彼らの役に立ちたいと思いまして。それに、芸術なんてものはくだらない、お金にならないと、ずっと親に教えられてきたので」
なるほど、タカノの告白を聞いて、彼がその凶行に走った理由が分かってきた。
彼は、親や他者から受けた恩を忘れられず、自分の限界まではその期待に応えたいと思う人間なのだろう。しかし、日本人の芸術家として、現在、一番金を稼いでいるタカノが親に芸術は金にならないと育てられていたとは、何たる皮肉だろうか。
「原田先生のことは、日本のニュースで知っていたので、こんな落伍者が彼のような天才の作品を破壊することに、どこか感動したのを覚えていますよ。ただね、実際、彼の作品を汚そうと相棒の女性と塗料の容器を担いで近づいたところ――」
それから、タカノは初めてまともに見た本物の日本画の美しさと感動について、しばらくの間、熱心に語った。今までの自分の来歴を語ったのとは全く別種の熱の入りようだった。5分くらい経過したあと、タカノはふと我に返り、話を本題に戻した。
「……まあ原田作品の素晴らしさに自分は一体何をしているんだと我に返り、相棒の女性と揉み合った結果、なんとか画面にかかった汚れは数滴で済みました。いやそれでも私は最低の行為をしたんです、今日はその清算をするために、皆さんに来ていただきました」
展示室にいた数少ないスタッフたちの動揺はすさまじかった。また、外の様子は伺いようがないが、ネット中継を介し、美術業界の混乱は凄まじいことになっているだろう。
「私は今日、ここで役目を果たして、この冒涜のような活動の全てを終わらせようと思います」
タカノはまた展示室内を歩き始めた、その歩みは体の細さに反し安定し、迷いは感じられない。私は彼の目的を予測しながら、彼の次の行動を制するために言葉を発した。
「待ってくださいタカノ先生、あなたは、あの事件まで画を描いたことがなかったのですか?」
俄かには信じがたいが、今までの話を総合すると、タカノはテロ以前、全くといって良いほど芸術には触れていなかったことになる。彼のデビュー作は、原田の絵が狙われてから2年もせず発表されたはずだ。
「ああ、そうですね。原田先生の作品に感動した私は、そのまま帰国まで海外の美術館で模写をして――」
私が問うと、タカノの口から、テロ以降の経歴が語られた。先ほど自己の幼少期を語った時の熱量の10分の1もなく披露されたのは、まさしく天才の経歴だった。彼はほぼ独学で美術を学び、2年もせずその才能をある画廊の主人に見出され、それから破竹の勢いでアートシーンの主役の一人になったのだという。
彼の画業はただ10年間のみ。つまり、現状の表現方法に倫理的な問題があるとはいえ、彼が天才であるというのは紛れもない事実であった。
「タカノ先生、オマージュや翻案、芸術の分野においてそれらは複雑ではありますが、あなたの画才は本物です。『お受験』や両親など関係ない、あなたは必ず、日本を代表する世界の芸術家に――」
私がどれだけ賞賛しようとも、タカノの足は止まらなかった。彼は今年完成させた、自身の代表作の前に立った。『テクスチャ2023―2033』という大型の掛け軸である。
タカノの強い要請で展示ケースを使わず露出展示されたそれは、確かに言われてみれば、あの時テロの対象となった原田悠遷の作品に対する憧憬が宿る、日本画風の作品であった。
「ありがとう記者さん、でも私はやっぱり母さんの言う通り、『中途半端で、何にもなれない』んだと思います」
展覧会後、アメリカの著名なコレクターに売却する予定の傑作を見つめながら、タカノは静かにゆっくりと掛け軸へと近づいていく。学芸員、続いて館長が席を立つ音が聞こえたが、もう間に合うまい。彼の繊細な手が、彼自身の作品を掴んだ
「―――――――」
その時のタカノの絶叫が、彼が10年前に所属していた環境活動団体の理念を叫んでいたと判明したのは、後に残った映像を検証した時だった。彼は10年前の環境活動団体から施された恩に報いるため、自身の代表作品を力づくで千切ったのである。
美術業界を揺るがせたこの事件の顛末だが、この時、タカノともみ合った学芸員と館長が軽傷を負ったことは問題視されたものの、事件を契機にⅯ芸術館の入館者数は激増した。また作品の損壊も修復不可能というレベルでもなく、展覧会を担当した学芸員により直された『テクスチャ2022―2032』は更なる高額評価をされることになった。
また、事件後の調査で、タカノが所属していた環境活動団体は既に消滅していたことが判明した。今では、メンバーの多くは資産運営に成功し、悠々自適の生活を送っているとのことだ。タカノ以外のメンバーにとって、芸術も環境問題もビジネスのための道具でしかなかったのだろう。
私はある程度情報を整理してから、原田悠遷に再取材をした。原田は作品の損壊と、失われたタカノの画才を嘆いていた。
なお、事件の顛末をまとめた記事は、私が執筆した記事の中で最大の知名度を得た。
虚像コラージュ 山の下馳夫 @yamanoshita05
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