スペースエルフ The Elemental Leap Fighter

伊佐凪二郎@文明参画

エルフ、宇宙へ

 夜。海が間もなく満潮を迎える時刻。

 人気のない海沿いでは、群生するセイタカアワダチソウが、一斉にその黄色い花弁を開かせていた。漆黒の闇の中にあってなお目立つ黄色だ。無風状態の中、かれらはただひたすらに受粉のときを待ち続けている。その遥か上空から、同じく黄色い声が響き渡った。


「いぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」


 天籟てんらいの如き悲鳴。それは少女のものだった。

 ほどなくして白いパラシュートが開く。ぶら下がっているのはオレンジ色のフライトスーツであり、何かの降下訓練が行われていることは明白だった。


 ややあって砂浜に降り立った人影は、やはりというべきか線の細い少女のシルエットを作り出している。一度は立ち上がるものの、力なくその場にへたり込む。そこに一条の光が差し込むと、次いで現れたのは照明を手にした数名の男たちだった。


「大丈夫ですかね、瑞樹みずきくん?」

「あんな場所から突き落とされて、大丈夫なわけないでしょ……」


 問う男の声に「みずき」と呼ばれた少女はけだるげに応じた。その顔は憔悴しきって青ざめている。パラシュートでの降下がよほど堪えたと見えて、発する声もかすれ気味だった。


「暗闇の中、突き落とされるこっちの身にもなってみなさいよ」


 少女による強気なまなざしが男に向けられる。

 それは実に整った容貌だった。

 陶磁器のそれを思わせる白い柔肌はやや紅潮して、彼女の興奮が収まっていないことを物語っている。風になびく黒髪は肩の上で切りそろえられ、邪魔にならぬようまとめられている。特異なのはその両耳で、左右に大きくとがった形状をしていた。


 エルフである――。


 元は幻想小説ファンタジーなどの創作物の中にのみ、その存在が認められていた異族の姿がそこにはある。古くは「森の民」などとも呼ばれ、大自然と共生していた少数の種族だ。いつの頃からか人間社会に溶け込むようになったかれらをそうさせたのは、人間による生存圏の侵害と環境汚染の影響が大きいとされていた。


「こんな悪ふざけまがいの訓練ばかりして、本当に宇宙へ行けるんでしょうね?」


 少女――瑞樹の視線は疑いのまなざしに変わる。突き刺さるそれを受け止めるのは白衣の青年だ。胸元に着けた名札には「武内たけのうち」とある。役職は主任。日本が極秘裏に進めている有人宇宙ロケットの開発を担当する組織、宇宙開発機構EDDAエッダの、プロジェクトリーダーでもあった。


「悪ふざけとは言ってくれますねぇ」

「だってそうでしょ。私の能力を駆使すればこんなこと……」

「はて、貴女の言う『こんなこと』で、先ほど盛大な悲鳴を上げていたのは、果たして誰でしたか」

「ぐっ」


 エルフの少女は言葉に詰まった。数百年のときを生きるエルフだが、瑞樹は若干十六歳の小娘に過ぎない。人間年齢に換算しても、せいぜい二十歳かそこいらのはずだ。ゆえに世間を知らない。まだまだ青臭さをたっぷりとたたえている。議論……もとい言い合いにかけてはよわい三十を超える武内の方がはるかに上手だった。


「それに、このプロジェクトに協力してもらうときに約束したはずですよ。どんな過酷な教練でも耐えてみせると。契約書にもあります、ほら」


 そう言って懐から取り出して見せたのは、一枚の用紙だった。ご丁寧に内閣政府の印まで押されている。


「……あんた、いつもそれ持ってるの?」


 少女の突込みを無視して武内は言う。この計画は日本だけではなく、汚染の続く地球環境の改善にもつながる可能性を秘めた、世界的なプロジェクトなのだ――と。


 エルフという種族が、宇宙進出の候補者として選抜されたのは、もちろん理由がある。かれらは類まれなる鋭敏な感覚を持ち、同時に過酷な環境下でも生きていける強靭な心身を兼ね備えている。自然の声を聴くことができ、今は衰えてしまったらしいが「魔法」と呼ばれる異能力を駆使していた祖先もいるのだということが判明していた。


 ゆえに閉所や暗所での作業をものともしない。仮に宇宙船に微細な穴が開いたとして、そこから発生する空気漏れの音も瞬時に聞き取ることができる……。それは今の人類には持ち得ない才能と言えた。宇宙という特殊環境へ出てゆくには、最適な人種だったのである。


 ゆえに、この特性は瑞樹にも血統として受け継がれている。耳の形だけではない。遺伝子レベルで刻み込まれたエルフの証なのだ。


「――私が宇宙を目指すのは、別にあんたたちの為ってわけじゃないわ」


 瑞樹はよくそんなことを口走った。


「私たちエルフの一族が、今後、繫栄するための……そう、これは試練なのよ」

「エルフらしい古めかしい言い回しですなぁ」

「茶化すのはやめて。この汚染された惑星から出ていくことが可能になれば、きっとどこかにエルフが共存できる世界があるはずよ」


 それはまだ世間を知らぬ少女の、精いっぱいの強がりとも言えた。何しろ日本の宇宙開発は後手も後手、国産ロケットによる有人飛行など初の試みであり……ましてや別の天体へ到達することなど、遠い夢の出来事のようなものだったのだから。


 だが彼女らエルフにとって、これらの階梯は長い人生の一幕に過ぎない。この計画に協力し続けることで、いつの日か遠い未来に叶えることができる理想……。瑞樹は、そんな想いを胸に、故郷の森からこの日本へ渡ってきた。本土からほど遠いEDDA本部の置かれた離島から見上げる夜空は、いくばくかくすんで見える。大気汚染もまた、加速度的に進行している証拠だった。



   ◆



「――で、まぁ、僕らが開発している宇宙船なんですが」


 武内の説明が会議室内で始まった。

 飄々としていて普段から何を考えているのかよくわからぬ男、というのが周囲の彼に対する評価だった。実際何も考えてないんじゃないの、とは瑞樹の感想でもある。えてして技術開発者などそのようなものなのかもしれない。


「イグドラシル型、と呼んでいます」


 そう言って壁面に映写がなされる。

 浮かび上がったのは、一本の巨大な樹木だった。


「……これは何かの冗談かね、武内主任」


 開発部長が顔をしかめた。会議実内が若干ざわつく。


「冗談なんかではありませんよ。見たままです。これこそが次世代を担うことになる、僕たちの宇宙船。そしてこれを操るのが……」


 そこで武内は片手を広げると、隅の方に座る瑞樹を指し示した。実に仰々しい、芝居がかった仕草だった。


「琴原・瑞樹――彼女こそ、我らEDDAの宇宙飛行士第一号なのであります!」


 白けた空気が流れた。あまりにも説明がはしょられすぎていたためだった。やれやれ、天才の考えることは凡人のワシにはよくわからん。そんな声が部長の口から洩れた。


「まぁ、聞いて下さいな。知っての通り瑞樹くんはエルフです。我々にはない高い身体技能や暗視能力などなど……挙げていけば枚挙にいとまない! そんな彼女が故郷で交感していた存在と言えば? そう、樹木です! 正確には樹木の精霊――北欧神話にもありますでしょ。世界樹――イグドラシルって。この宇宙船はですね、彼女の故郷からわざわざ採取してきた世界樹の苗を育て、駆動機として活用した、まさしく宇宙を飛ぶ樹木なのです!」


「…………」


 妙な沈黙が流れる。

 確かに筋は通っているようには思えるが。


「……彼女たちエルフは世界樹の声を聴くことができます。いわばこれは宇宙船と一体化する能力とも言えます。もちろん打ち上げ時には専用の加速器ブースターを使用しますが、衛星軌道に乗った後は全て、樹木の持つ精霊の能力によって操作され生命維持も同時に賄われるという、そういう仕組みです!」


「米中ソが開発した機械的なサポートが不要と?」

「ええ、あんなものは壊れてしまえばただのゴミです。直すための知識や機材、人員も必要となります。今さらそんなの無駄でしょ? 僕の開発したこのロケット……そう、Elemental Leap Fighterとでも名付けましょうか。それぞれの頭文字をとって〈ELF〉にそんな無駄はいりません。パイロットである彼女一人さえいれば、あとは世界樹が全てを維持してくれるのです!」


 また夢物語を……。そのような空気も流れることは流れた。

 しかし、今のまま機械的な技術競争を続けたところで、しょせんはアキレスと亀である。米中ソに追いつけるとも思えなかった。


「我が国は、古来より呪的技術を活用することにかけては一日の長を持つ、オカルト大国でもあるんですよ。そんな日本が打ち上げる最初のロケットがこういうものでも、ねぇ、なんらおかしくはないでしょう?」


 ここまで力説されると、もはや異を唱える者はいなかった。

 もとよりEDDAは「そういう技術」を当て込んで設立された特務機関でもある。エルフという存在が確かなものであったように、世界樹もまた然りなのだろう。一同の間にはそんな暗黙の了解が流れていた。



   ◆



「で、またいつもの訓練ってわけなの?」


 うんざりした口調で瑞樹が言う。万一のためですよと武内がなだめつつ、各種身体検査や基礎訓練が施されてゆく。なかでも特に重要視されたのは、船外活動時に必要になる「鏡体模写」というものだった。これは船外用宇宙服を着た際に必須となる技能で、腕に取り付けられた鏡を見て、そこに映った情報を読み取るというものであり、言ってみればあべこべになった文字などを正確に理解するための訓練と言えた。


「なんてことないわ」


 瑞樹は、あっという間に訓練を終えてしまう。これもエルフの持つ感応力の表れなのだろう。その他、耐G訓練なども問題なくこなしてゆく。エルフの持つ強靭な心身が可能にした、まさしく希望の星だった。


「ただひとつ……」

「何か問題でもあるのかね?」

「ええ、部長。彼女ね……高所恐怖症なんですよねぇ」


 それが判明したのが先日行われた、パラシュートによる機外脱出訓練だった。


「まぁ、僕の作る宇宙機ですからね、そんな事態は起こり得ませんけどね、でも万一のことがあった際に『訓練してませんでした』じゃすまされないんですよねぇ。この国のマスコミって、そう言う部分を突っつくでしょう?」


「やれやれ、君の心配はそっち方面かね」


 結局のところ、瑞樹が宇宙に進出することについての、大きな障壁は存在しなかったのである。



   ◆



 季節は巡ってゆく。EDDA本部のある離島に瑞樹がやってきてから、あっという間に一年近くが経過しようとしていた。


「今日はついにキミ専用の装備が到着しましたよ」

「装備? なにかしら」


 エルフの少女は、それを聞いて珍しく興味深そうな顔をする。これまでの間、彼女の存在はひた隠しにされている。いかな離島とはいえ、外出制限も相当なものだったし、好奇心旺盛なエルフは新しい刺激に飢えていたのだ。


「ほれ、宇宙船に乗るときに着る宇宙服です!」

「ああ……」


 そう言って運ばれてきたのは巨大なケースだった。中身を見て、瑞樹はうんざりしたような顔をした。


「可愛くない……」


「あのね、瑞樹くん。これはファッションじゃないの。わかりますか? 宇宙という過酷な環境下で、君の肉体を護るために必要な……これでも最低限の装備なんですよ」


「分かっているけれど、ねぇ」


 どう見ても肉襦袢だろうと言いたげな瑞樹の顔。視線の先にある白い装備は上下一体型のもので、極めてぶ厚い素材で作られていて動きにくそうだ。この点に関してはアメリカから譲り受けた旧時代の技術を応用するしかなかった。そう、月に第一歩をしるしたあの飛行士たちと同レベルの装備品にしかなりえなかったのである。


「宇宙船の方は間もなく完成です。瑞樹くんの故郷から頂いた苗も、見事に成熟しました……」


 武内に連れられた先にあったのは、確かに世界樹の威容だった。

 巨大なドック内に鎮座する樹木は、もうそれだけで神々しく見える。瑞樹は樹の声にしばし耳を傾けた……。


「何か、聴こえますか」

「……ええ、あなたたちの計画を応援していると言っているわ」

「それは何よりです」


 しかして、打ち上げ時に必要な加速器を取り付けられた世界樹は、それでいて無様な外観でもあった。ぱっと見はごく普通のロケットである。外壁として保護膜が施され、その先端は尖っている。不要な枝葉は除去されている痛ましい姿ではあったが、瑞樹に届く樹の声は決して痛烈なものではなかった。それだけは僥倖と言えたのかもしれない。


「これが本当に空を飛ぶのか……」


 各整備員や技術者たちの目には、希望の光と疑念の闇がないまぜになっていた。だがそれは絶対に必要な資質でもあり、常に「疑う心」を持ち続けることが、計画の失敗確率をゼロへと近づけてゆく。武内においてもそれは同様で、自身の手掛けた資料の再読、確認に余念がない。ミスをしらみつぶしにしてゆく、気の遠くなるような日々が続いた。



   ◆



 そしてよく晴れた初夏の朝――


「ついに打ち上げの日がやってきましたね」

「それはいいけれど……」

「どうしました、瑞樹くん?」


 腕を組んで満足そうな武内の前に現れたのは、例の肉襦袢に身を包んだエルフの姿だった。大きな両耳を収めるために作らせた、特注サイズのヘルメットも抱えている。


「いい加減、その格好にも慣れてもらわないと」

「慣れたわよ。慣れたけど……」

「けど?」

「本当に鈍感な人ね! 私の身体のことを言っているの。排泄のための管はまだ分かるとして……なんで後ろの穴にまであんなものをれられなきゃならないのよ……」


 言って顔を真っ赤に染める。いまや数多くの訓練を乗り越えた戦士だが、その恥じらいを見せる姿はまだまだ年相応の娘に見えた。


「ああ、直腸体温計ね。きみの生理状態を逐一モニターするためには必要な処置なんですよ。我慢してください。すぐ慣れますから……」

「口に出して言うなぁ、この馬鹿!」


 そんなやり取りをしているうちに、打ち上げ時刻は迫ってくる。

 そろそろ発射台へ――とスタッフに促され、瑞樹は移動する。その顔に不安の色はない。ただ、これまでに夢見てきた星の世界への希望が、色濃く表れていた。そう、これは彼女だけではない。エルフ族の……ひいては地球人類の未来を託す計画、その序章なのだから。


『心拍数、脈拍正常値……機内酸素濃度、問題なし』


 瑞樹のヘルメット内に、オペレーターからの声がこだまする。

 始まる飛翔はごくゆっくりとしたものだった。

 日本本土を離れること十数キロに位置す離島から、一条の光線が立ち昇る。まさしく希望の輝きだった。


 だが、完全に軌道に乗るまでは油断できない。何しろ、ブースター基部だけは日本独自開発によるものなのだから……。


 大きく火を噴き、陽炎のごとく軌跡がたなびく。

 ELFと名付けられたロケットは、徐々に加速して天へと突き抜ける。

 青空に白い航跡を残し、その姿は遥か成層圏を突破する。


『第一段階燃焼終了。精霊機関へ接続開始――』

「了解」


 瑞樹の声がそれに応えた。

 苦しくはないか、という武内の問いにVサインで応じる。


「余裕あるみたいですね、よかった」

『間もなく静止衛星軌道に乗ります――』


 そしてELFはロケットの外殻を除去する。瞬間、それまで落とされていた枝葉が大きく広がった。だが、樹木としての姿ではない。後方に大きく根をめぐらせ、葉の一枚一枚が太陽光を受け止める帆となる。宇宙を書ける世界樹……否、宇宙樹への進化がそこにはある。


 武内が予定したそれは、仮にほかの惑星に着陸した場合、ELFを新たな苗床としたテラフォーミング計画であった。エルフの駆る宇宙船は、文字通りその惑星にとっての「世界樹」になるのだ。


 今は誰もが計画の成功を喜んでいる。

 そして通信の向こうには笑顔の瑞樹がいる。


「すごい……宇宙って、こんなにも五感が解放されるのね」

「瑞樹くん、そこから見下ろす地球の姿はどうだい」

「……汚染されていると聞いてはいるけれど、それでも奇麗よ。青く、懸命に輝いている」


 それは、かれらが今後も守り続けねばならぬ輝きでもある。

 自身の力がその一助になる――そう信じた瑞樹の顔は、輝く希望に満ちていた。

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