鳩は舞い降りた~世界最古の女王、アッシリアに君臨す~

荒川馳夫(あらかわ はせお)

第1話「『鳩』は舞い降りた」

 今からおよそ四千年前。


「ん? おい、またかよ」


 東地中海の都市アスカロンの郊外で、牛の放牧に従事していた男が、ある異変に気付いた。


「これで何回目だ? たくっ、ここにあるチーズは国に納める品なのに」


 はしかじられているチーズを手にしながら、牛飼いの男は悔しさに顔を歪ませ、そして決意した。


「どこのどいつか知らねえが、もう我慢ならねえ! 犯人をあぶり出してやる!」


 こうして、牛飼いの男は仲間たちに協力を依頼し、協同でチーズをかじっていく不届き者の正体を暴くべく調査に乗り出した。


「あっ、こいつ!」


 まもなく正体は明らかになった。夜半に鳩が貯蔵庫に忍び入り、その中で保管されていたチーズの端をついばんでいたのを、複数の人が確認したのだ。


「待て!」


 目の前で国に納める品を傷物にされた怒りから、牛飼いの男は大声をあげ、飛んで逃げようとする鳩を逃がすまいと松明たいまつを手にして追いかけていった。


 走ること数分。牛飼いの男は、逃げた鳩が人気のない岩場に舞い降りていくのを目にした。


「な、なんだこりゃ……」


 そして草むらから静かに出て、鳩を捕らえようとしたその時、世にも奇妙な光景を目撃することとなった。


 岩場に集まってくる鳩たちが、何かに食べ物を与えている。

 その一角を、夜だというのに小さな明かりが包んでいる。

 明かりの中心には、手足をバタつかせる生き物がたたずんでいる。

 そして、鳩がくちばしにくわえているチーズを口にすると、その生き物は人間の乳児が出すような声を上げて、全身で喜びを表している。


「……?」


 牛飼いの男は言葉を失い、しばし呆然と立ち尽くしていた。あまりに現実離れした光景を前に、どうすればいいのか判断できなくなってしまったのだ。それは彼に協力した仲間たちも同様で、いったいこれからどうすればいいのか困り果ててしまう。


「ひ、ひとまず、シンマスさまに報告しよう。あの方なら無学な私たちより賢明な判断をしてくださるだろうからな」


 その時。ある男が居並ぶ仲間たちにそう言って、自分たちの眼前で鳩の群れに笑顔を見せている女児――生後一年は経っていたその子を、自分たちが使用している土地の管理人であるシンマスにゆだねようと提案した。


「そうだな。ここで俺たちがどうこう言っても意味ねえだろうからな」


 牛飼いの男がそれに同意し、その女児は保護されたのだった。



 後日。女児は牛飼いの男に抱きかかえられて、シンマスの許に届けられた。


「おぉ、可愛いなあ」


 スヤスヤと眠る女児を見て、シンマスは笑顔になる。やがて、牛飼いの男に目線を移して言った。


「ところで、先ほどの話は本当かね? この子が、鳩に食べ物を与えられながら生きていたらしいというのは」


「はい。おそらくその子は捨て子で、生まれて間もなく両親に遺棄され、そして鳩に食べ物を与えられながら、今日まで生きてきたのだろうと思います」


 牛飼いの推測を聞くと、シンマスは思った。


 なるほど。この子は鳩に愛情を注がれて、こんなに大きく……。


「報告、ご苦労だった。この子の処遇については私が決めよう。今日はもう帰りなさい」


 そう告げて牛飼いの男を下がらせると、私室に女児とふたりきりになったシンマスは、何も分かっていないであろう女児に呟いた。


「ようこそ、今日からは私が新しいパパだよ。我が愛しの『セミラミス』」


 こうして子のないシンマスの許に、人の形をしたセミラミスが、人間世界に舞い降りたのだった。

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