第3話

 W.L.が釈放されたその日にも、朝刊の一面には殺人事件の記事が載っていた。


 彼の姿を見た街の人はぎょっとして、それから記事の殺人事件がW.L.によるものではないかと噂をした。


 けれどもそんなことはあり得ない。W.L.が釈放されたのはたった今なのだから。


 未だなお、街の人々はW.L.を恐れている。狩られるものと狩るものの関係として。W.L.はそのことを感じてニヤつきそうになる口元を必死に抑えた。



 W.L.は所有者の替わったクリーニング工場で再び働き始めた。殺人を犯す前よりも一層おとなしく。自分に怯えつつも働き先がここしかない同僚たち。彼らに優越を感じながら、それをひた隠して寡黙に働いた。


 休日には街へと繰り出した。それは殺人鬼に恐怖する人々の視線を味わうためでもあったし、それ以外の目的もあった。


 W.L.はを探していた。



 W.L.が釈放されてから1か月ほどが過ぎた日のことだ。


 この日もW.L.は休日で、彼は街中を歩いていた。


 その時、通りの商店の一つから男が一人、袋を抱えて飛び出した。


 すぐ後ろから店員らしき人物が「泥棒!」と叫ぶ。


 それを聞いてW.L.はニヤつきが抑えられなくなった。


 こちらへ走ってくる泥棒とW.L.がすれ違った瞬間、


 拳槌で泥棒の首を薙ぎ払った。


 体勢を崩して服屋のショーケースに倒れこむ泥棒。


「――ギャッ!」


 割れたショーケースの硝子がいくつか、泥棒に突き刺さっている。


 血は出ているがそれらはどれも致命傷足りえない。


 W.L.はそれを残念に思った。しかし追撃はしなかった。


 血を流して怯えた表情の泥棒から、袋をひったくる。


 そしてそれを泥棒を追いかけてきた店員へ渡した。



 W.L.は休日になるとこのようなことを繰り返した。


 それはつまり、まず対象は世間から守ってもらえないような、むしろ社会の敵のような存在。加害は一撃だけで、それで絶命しなければ殺さない。最後に、社会にとって良いとされることをする。


 例えば今回のように窃盗犯であれば盗難品を持ち主へ返すこと。


 農場から脱走した奴隷は農場主の下へ送り返す。


 不法入国者の異教徒は国境の検問所へ連れて行く。


 不倫がバレた同性愛者は精神病院へ入院させる。


 休日の度にW.L.は街を歩いて、このような行いを積み重ねた。


 そして平日には己の暴力性を押し隠して、おとなしく慎ましく、一介の労働者として生活を送った。


 W.L.がそのような生活を続けるうちに、いつしか街の人々の一部にはW.L.へ向ける視線の中に恐れだけでなく敬意を込める者が現れ始めた。


 彼は着実に人々からの承認と尊敬を集めた。





 やがてW.L.の住む街にも戦禍が及び始めた。


 戦車の群れが街の石畳や草地、あらゆる場所をキャタピラで踏み荒らした。


 砲弾が街を瓦礫と廃墟に変えていく。


 W.L.の住む安普請のアパートメントは砲弾の一発であっけなく崩れた。


 川のほとりのクリーニング工場も水道などのインフラが破壊されてまともに機能しない。


 生活の基盤を失ったW.L.は街を抜け出して、国の軍隊へと入隊した。


 

 軍での生活はW.L.にとって、楽園に転生したかのような心地だった。


 理由は明白だった。彼の新しい職場においてはが潤沢にあったからだ。


 W.L.は戦地に送られて早々に数々の武勲を打ち立てた。


 殺人の経験がほぼゼロと言っていい新兵たちの中で、経験豊富なW.L.の活躍は群を抜いていた。


 扱い始めて日の浅い銃火器を器用に構えて、敵軍の兵の頭骨を一つ一つ破砕していく。


 W.L.には『ヒトを痛めつけて殺す優れた才能』があった。


 同僚も上官も、皆が彼を褒め讃えた。


 W.L.は新たな場所でもますます承認され、尊敬された。





 W.L.が好み、また得意としたのは拷問だった。


 彼の拷問の手順はこうだ。


 まずは捕虜を一体用意する。未だ瞳の輝きから反骨精神を感じさせる生意気な捕虜だ。

 

 W.L.はこの捕虜を徹底的に痛めつける。片目を抉り取り、指の爪を割って剥がす。


 捕虜の腿肉を一部、四角く切り取る。それを捕虜の目の前で炙って食べる。


 もう一切れ腿肉を用意して、それは捕虜自身に食べさせる。口を開かないようなら歯を折って取り除き、無理やり飲み込ませる。


 己の肉体の一部を食べられ、また食べさせられると捕虜は精神がぐずぐずになって調理がしやすかった。


 次にW.L.は打って変わって捕虜に優しく接した。


 凍り付くような寒さの捕虜収容所に深夜こっそりと忍び込み、「バレないように日中は隠しておけ」と言って分厚い毛布を渡してやる。


 自分の配給からタバコやビールなどを与えてやったりもした。


 捕虜から押収した物品を細かに調べ上げ、そのうえで捕虜と何気ない身の上話をした。W.L.が捕虜の理解者であるかのように思わせるために。


 友人との雑談、かのような会話を積み重ねてW.L.は捕虜から情報を収集した。


 それらの情報を上官に報告して、W.L.はさらに軍から承認と尊敬を得る。


 めぼしい情報が枯渇してきた捕虜については頃合いを見て、ピストルを暴発させて殺した。


 この時の捕虜の、何が起こったか理解できていない間抜けな表情がW.L.は軍隊での生活で一番楽しみだった。相手の弱さと自分の強さを最も感じられるから。





 このようにしてW.L.は軍の中で満ち足りた生活を送っていた。


 けれどもある日、上官の一人からW.L.は声を掛けられた。



「L.くん。君は入隊して間もないが、目まぐるしい活躍をしているね。そのことはとても素晴らしいと感じているよ。


 けれども、君の手法と言うのは少しばかり残酷すぎやしないかい。特に捕虜の扱いなどがさ。


 ……君は結果を出しているし、我々は戦争をしているのだから残酷なのも仕方がないけれどもさ。すこしばかり手心を加えてやった方が良いと私は思うんだ。


 それがきっと、戦争が終わった後の君の為にもなると思うんだ」



 ちょっと考慮してみてくれ。そう言って上官は立ち去った。


 けれども軍の他の連中はW.L.を非難などせず、彼を褒めたたえ続けた。


 W.L.に小言を言ったのはあの上官だけだった。彼は自分のやり方を変えることなく日々を過ごした。





 数日経って、W.L.は例の上官から呼び出された。


「L.くん、来てもらって悪かったね。私はやはり、君の度を過ぎた残忍さが心配なんだ。まるでその、悪魔が憑いてるんじゃないかって。これは私の独断での行動なのだが、今日は教会からエクソシストの方に来てもらっているんだ。その方にちょっと診てもらってはくれないか?」


 バカげた話だ。W.L.は上官の話をそう感じた。

 

 なぜなら彼は軍に入る前に一度、悪魔祓いを受けているからだ。


 そのことを伝えて拒んでも良かったのだが、仮にも上官からの言葉だからW.L.はそのエクソシストに診てもらうことにした。





 上官に案内された応接間。


 そこのソファへ先に座っていたのは以前、W.L.の悪魔祓いをしたエクソシストだった。


「おやおや、L.さんではありませんか! 今は軍人さんなんですね。いやあ、ご立派だ。ささ、どうぞお掛けになって」


 座らない理由もないから、W.L.はエクソシストの対面に腰かけた。


「あんた、大変だな。うちの変な上官のせいで、前に悪魔祓いした相手をもう一回祓いに来たわけだ。無駄な仕事をさせて申し訳ないよ」


 W.L.がそう言うとエクソシストは口角を不気味なほど吊り上げて、ただニヤニヤと笑いながら彼を見つめた。


「……何がおかしい?」


「ふふ、いやあね、L.さんは悪魔祓いだなんて本気で信じてたんだなって思って」


 は?


 お前は何を言っているんだ。そうW.L.が口を開く前に、エクソシストが言葉を続けた。


「L.さん。わたしたちが行う悪魔祓いってのはね、そうだな。あなたの前職でわかりやすく例えるなら『漂白』みたいなもんなんですよ」


「漂白?」



「そう。漂白です。漂白ってのは汚れの色素を分解して、目には見えなくするものなんでしょう? 目に見えないだけで、汚れはこびり付いて残り続けている。


 悪魔祓いもそれと同じです。悪魔が憑いているとされた方の、なんとか世間でも目立たないところまで持っていく。見えないように、目立たないようにしているだけなんです」



 実のところは誤魔化しているだけなんですよ。とエクソシストは言った。


「……誤魔化しってお前あの時、瓶の中にしっかり閉じ込めていたじゃないか。黒いを。悪魔を」


「あははっ、可愛いですねL.さんは。あれはただの手品ですよ。薬品で黒い煙を起こしただけです」


 からからとエクソシストが笑い、それが止むと彼はW.L.に訊ねた。


「さて、それじゃあL.さん。今回はどうやってをしましょうか?」

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悪魔祓い @gagi

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