第2話

 エクソシストはいかにも聖職者然とした身なりをしていた。


 黒い法衣に身を包み、首には救世主が打ち付けられた十字架の首飾りを下げている。


 けれども彼は悪魔祓いにおいて首元の十字架も、聖水といったその他の宗教的なアイテムは何一つ用いなかった。



 悪魔祓いの一日目。エクソシストはただW.L.の話を聞くだけだった。


 朝の9時頃、W.L.が取調室に入るとエクソシストは既に椅子に座っていた。W.L.が来たのを認めるとにこりと笑った。


 エクソシストは以下のことをW.L.に問うた。なぜ殺したのか。どのように殺したのか。殺すときに何を感じたか。殺した後に何を感じたか。


 W.L.はそんなことはいいから早く悪魔祓いをしてくれと言った。エクソシストはそれを「この質問も悪魔祓いに必要なことですから」と受け流した。W.L.は仕方がないからエクソシストの問いに応じることにした。


 W.L.は街の人々が己を軽んじているのが気に食わなかったから殺したと答えた。被害者が最大限苦しんで己の非力さを、そして加害者であるW.L.の強さを思い知るようじわじわ嬲り殺したと答えた。殺すときには優越感があったと答えた。加害の度に反応する被害者を見るのがとても楽しいと答えた。殺した後にも優越感があった。自分の殺人が新聞の記事になり、それを見て人々が騒ぎ立てる。人々が殺人事件の犯人へ恐れを抱いている。いつも自分をバカにしている街の人々の話題の中心に自分がいる。狩られる街の人々に対して狩るものとして自分が上位に立ったと感じた。


 そう答えた。


 エクソシストはW.L.の話にたびたび相槌を打った。


 正午になると取調室に二人の食事が運ばれた。


 W.L.には硬い黒パンと野菜くずが浮いただけのスープが。


 エクソシストには柔らかな白いパンと牛の肉のシチューが用意された。


 エクソシストは配膳の担当者にW.L.へ自分と同じものを用意するよう言った。


 配膳担当者はその行為は己の権限では出来ないと拒否したが、エクソシストが強く言うとW.L.にも白いパンとビーフシチューを持ってきた。


 二人が同じ内容の昼食を摂った後も、エクソシストはW.L.の話を聞くだけだった。


 W.L.の生い立ちや最近の趣味、暮らしぶりなどを訊ねてW.L.はそれに答えた。


 夕方の18時の少し前。悪魔祓いの一日目が終わる間際にひとつだけ、エクソシストの方から話をした。


「今日一日L.さんの話を聞いて感じたのですが、L.にとって殺人というのはそれほど重要な行いではないような気がします。より重要なのは他者からの承認、街の人々からバカにされることなく対等な存在として、できることなら尊敬される存在として認められることのように感じました。あくまで、私がそのように思ったというだけですが」


 W.L.はご自身で、今の私の言葉についてどう考えますか?


 そう言葉を付け加えてからW.L.は取調室を後にした。


 W.L.は独房の硬いベッドの上でエクソシストの言葉を思い返した。


 殺人という行為はとても楽しかった。これは事実だ。W.L.は今まで何もうまくいかなくてクリーニング工場なぞで働いていたのだ。殺人はW.L.にとって初めて上手にこなせて結果も伴った行為だった。だからこれが、重要でないとは思えない。


 一方で、他者からの承認や尊敬がより重要である。これについてはそうかもしれないと感じた。殺人によってもたらされた快いものごとは確かに、他者からの反応に拠っている。


 そんなことを、W.L.は考えた。





 二日目もエクソシストはW.L.より先に取調室へ来ていた。


 この日はエクソシストが一方的に話をした。


 と言ってもそれは悪魔祓いとは何ら関係が無いように思われる世間話の類だった。


 昨日泊まったホテルがどうだっただの、この街の駅前を歩いてみたがどう感じただの、そんなことをエクソシストがベラベラと喋った。


 W.L.が途中エクソシストの話を遮って「そんな話よりも悪魔祓いをしてくれ」と言った。W.L.は焦っていた。三日間の内の一日をただ話をしただけで終えてしまった。早くエクソシストに悪魔を払ってもらわねば。三日後には処刑されてしまう。


 しかしエクソシストは昨日と同様に「悪魔祓いに必要なことですから」と言って自分の話を続けた。


 昼食は鮭のステーキだった。W.L.には焼いたカペリン(別名はカラフトシシャモ)が一尾だけだったが、昨日と同様にエクソシストが配膳係に言って、W.L.にも鮭のステーキを用意させた。


 食後も午前中と似たような調子でエクソシストが話続けた。


 その中で一つ、W.L.の殺人に関連する話題が出た。W.L.が殺した直近の被害者、工場の同僚についてだ。



「まだ埋葬されていないということで、安置所に見に行ったんですよ。日数が経っていましたが冬なのもあってさほど腐っては居ませんでした。……多少、臭いましたが。


 しかし、L.さんの手際には感心しました。首元の傷ですよ。美しかった。


 裁判ではL.の殺人が非合理的だと称されていましたがとんでもない!


 初手であの一撃を、致命傷となりつつも即座には絶命させない。その繊細な加害をなせるのは天賦の才があってこそです。


 L.さんは暴力でヒトを害するという点において類まれなる才能をお持ちのようだ。いや、とても素晴らしいですよ!」



 エクソシストはそんなことをニコニコと、あるいはニヤニヤと笑いながら言った。


 二日目の終わり際にエクソシストが、昨日の自分の感想に対して思ったことはあるかとW.L.に聞いた。W.L.が答えた。


「あんたが昨日俺に言った『より重要なのは他者からの承認』という言葉。確かに、俺にとってはそれが目的だったのかもしれない。そう、思ったよ」


 それを聞いてエクソシストはにっこりと、もしくはにやりと笑って言った。



「そうですか。でしたらL.さん、私からあなたにひとつ助言がございます。


 L.さんはヒトを痛めつけて殺す優れた才能があります。そしてそれは人々から承認と尊敬を得る手段足りえます。


 けれどもこの構造はひとつの大きな問題を抱えています。


 それは殺したら殺した分だけL.さんに恐れを抱く大衆が減るということです。持続的じゃあない。


 昨日のビーフシチューや今日の鮭のステーキ、おいしかったですよね?


 牛も鮭もおいしいからって見境なく食べていたら、その内一匹もいなくなってしまいます。


 彼らもバカじゃありません。あまりにも食べられすぎたら逃げたり、徒党を組んで反撃だってするかもしれない。 


 は食べるに適した獲物を、必要な分だけ食べるべきなのです」





 悪魔祓いの三日目。この日もW.L.は9時に取調室に連れてこられた。


 この日は昨日やその前の日と異なり、取調室にエクソシストの姿はなかった。


 W.L.が取調室の椅子に座らされて、10分、20分と時間が過ぎる。けれどもエクソシストは現れない。


 W.L.はひどく不安になった。彼は今日の内に悪魔を払ってもらわねば、明日には処刑されてしまうからだ。


 じっと座ってエクソシストを待つあいだ、彼は昨日の牛と鮭に関する話を思い返していた。


 『食べるに適した獲物を、必要な分だけ食べるべきなのです』


 W.L.はこう考える。


 最初の殺人、隣の部屋の男を殺したときに自分が何を感じたか、何が美味であったかを分析するべきだった。


 そして、この快楽を得るために適した獲物を、必要な分だけ食べるべきだったのだ。


 そうすれば警察に捕まって、処刑されうる事態も生じなかった。


 己の犯した殺人は見境の無い過食であったのだ、と。


 どのような人間が『適した獲物』だったのだろうか。それはきっと、殺せば大衆が喜ぶような存在だ。犯罪者? 逃亡奴隷? 異教徒? 同性愛者?


 

 そのようにW.L.が思考を巡らせていると、エクソシストがようやく取調室に姿を見せた。本来の開始時刻から50分ほど遅れての登場だ。


 エクソシストは「寝坊しちゃって、すみません」と大して申し訳なく思ってなさそうに、にやにやと笑みを浮かべながら取調室の席に着いた。


 席についてもしばらく、エクソシストはニヤニヤとした笑みを張り付けたままW.L.の顔をじっと見ていた。やがて口を開いてこう言った。


「L.さんのほうから、何か話したいことはありますか?」


 W.L.は特に深く考えず、先ほどまで思考を巡らせていたことについて話した。


「俺は食べるに適した獲物を、必要な分だけ食べるべきだったんだ。けれども、何がだったのだろうか。それが俺にはわからない」



「ふむむ、難しい話ですね。というのは各々の嗜好に因るところですし、環境にも左右されます。


 けれどもL.さん、私は嬉しいですよ。


 L.さんがそう言った物事について、感情や衝動ではなく論理的に考えつつあるということ。これは悪魔の影響が弱まっている証拠に他なりません」



 ――今なら悪魔祓いができるかもしれない。


 エクソシストはそう言って、懐から小さな瓶を取り出した。


 飾り気のない透明な、変哲の無いただの瓶だ。それをエクソシストは机の上に置いた。


「今からこの瓶の中に、L.さんに憑いている悪魔を封じ込めます。瓶の中を集中して見ていてください」


 エクソシストはそう言うと「ふぬぬぬぬ!」と演技じみた様子で瓶のふたを掴み、力み始めた。


 やがて『ポン』と間抜けな音がすると同時に、瓶の中にうっすらと黒いが生じた。


「ふう、ふう。やりましたよL.さん。無事に悪魔はあなたから祓われて、この瓶の中に封じ込まれました」


 ほら見てください。そう言ってエクソシストは小瓶をW.L.に向ける。


 W.L.は本当に悪魔が祓われたのだろうかと疑問に思った。彼の体中の感覚器官は何らの変化も感じ取れなかったからだ。


 けれども小瓶の中には事実として、悪魔と思しき黒いがしっかりとある。


 こういうものなのだろうか、とW.L.は思った。


 

 エクソシストは小瓶を持って裁判所に赴き、無事W.L.に憑いた悪魔が祓われたことを報告した。


 悪魔祓いの三日目が終わり翌日、W.L.は処刑されることなく釈放されてしまった。

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