忘れちゃうリスと、記憶の森のおはなし

金時まめ

〜忘れちゃうリスと、記憶の森のおはなし〜



だんだんと空気に冬が混じるようになってきました。

木々の葉は色づきのピークを少し越えて、

風が吹くたびにさらさらと足もとへ舞い降りています。

大好きなイチョウの街路樹の美しさを、今年も堪能しました。


秋の入り口の頃、少し大きな公園でリスを見かけました。

大きな尻尾をフリフリしながら、地面に鼻先をつんと突っ込んでいました。


秋になると森では、リスたちが雪に覆われ食べ物が少なくなる“来たるべき冬”に備えて、食料のストックとして、森のあちこちにどんぐりを埋める季節でもあります。

でもね、埋めた場所を全部は覚えていられるリスはいないのだそうです。


冬のためにと、秋のうちからせっせと埋めたのに、忘れられてしまうどんぐりたち。

それは、やがて地面の下で芽吹き、その小さな芽は少しずつ少しずつ森を広げていく。

そうして、大きくなったどんぐりの木から生まれた木の実を食べるのは、

どんぐりを埋めたリスよりも、ずっと先の季節に生まれたリスの子孫たち。

忘れるおかげで、新たな森の住民が育つ。


“忘れちゃうリス”のお話を知ったとき、なんだか胸が温かくなりました。



自分のためにと埋めたものが、時を越えて、誰かの栄養になっていく。

忘れられたことが、ちゃんと誰かを生かしている。

……なんてやさしい循環なのでしょうか。


人の心の中にも、きっとあると思うのです。

一度は埋めて、もう届かないと思って見えなくなっていたものが、

別の場所で、別の時間で、別の形で、

ちゃんと芽吹いていること。


“あのときの気持ち”や“あの人の言葉”が、めぐりめぐって、誰かの心をあたためているかもしれない。

過去の自分の言葉さえ、今のわたしを抱きしめてくれるのかもしれない。

「うわぁ。あのとき たしかにそう言ってたわ、わたし。」って。


もしかしたら、いま目の前にいる誰かの笑顔も、そんな“どんぐり”から生まれたものかもしれませんね。



リスは毎年、数千のどんぐりを埋めて、そのうちの25%以上は忘れてしまうのだそう。


そう考えると、

「忘れること」って、そんなに悪くないことなのかもしれないなって。そんなふうに思います。


後で気づくことも、遅すぎたのではなく、

一番“いいタイミング”で、わたしの前に差し出されたのだ。

そう感じると、言葉は熟成して、小さな芽が大きくなって、わたしのところへ帰ってくるんだな、と思います。

まるでタイムカプセルみたいですね。


森の中で、

今日もどこかのリスが、いつかのためにタイムカプセルを埋めています。

未来の誰かのために。



わたしも、自分の“記憶の森“に何を埋めたのか、見に行ってみたいな。

もしかしたら、思いもよらないお花が咲いているかもしれないし。

きれいかな? おどろおどろしいかな?


…どうぶつの森みたいに、雑草だらけかもしれませんね。



どんぐりといえば。

松成真理子さんの『まいごのどんぐり』という絵本が大好きです。

先日、てれび絵本で再放映されていて。

胸がきゅーーーんとしました。


未読の方がいらしたら。

ぜひ読んでいただきたいです。


この素敵な絵本を読むのに、こんなにも似合う季節はないので。



よろしかったら、あなたの森にも一粒、どんぐりを埋めてみてくださいね。


わたしは、あの日の奇跡を、どんぐりみたいにひとつ埋めました。

いつか、誰かの森で芽を出せたら――こんなに嬉しいことはありません。




なんとなく携帯電話の写真フォルダを見ていたら、

7年前の朝のおさんぽで撮った、“どんぐり”の写真が出てきました。


沢山の写真の中に埋もれていた

“忘れていたどんぐり”

が、今になって、わたしに物語をくれました。


かわいいお帽子と一緒に写っている、7年前のこのどんぐりたちも、今ではどこかの森の一部になっているのかもしれません。



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