虚数解

神楽堂

虚数解

 魔法世界エディアは、千年の栄華を誇る学問と魔術の都だった。

 世界各地から集められた知識の結晶が、まるで宝石のように図書館の棚に並び、古代から現代に至るまでのあらゆる魔法理論が体系化されていた。

 火の魔法は燃焼の原理から始まり、分子の運動エネルギーまでを統御する。

 氷の魔法は結晶構造の美しさを追求し、絶対零度に近い領域まで到達していた。

 風は気圧差を操り、水は流体力学を駆使し、雷は電磁気学と調和していた。

 しかし、エディアの真の誇りは、より高次の魔法にあった。

 重力を操る魔導師たちは、空間の歪みを理解し、時空を折り曲げることで瞬間移動を可能にしていた。

 時間魔法の使い手は、因果律の網目を読み解き、過去の影響を現在に持ち込むことができた。

 そして最高位に位置するのが、星辰魔法だった。

 夜空に瞬く星々の運行を読み、宇宙の摂理そのものを魔力として扱う、神にも等しい技である。


 エディアの中央に聳え立つ「知恵の塔」には、三百年前から老賢者アルセニウスが住んでいた。

 彼は星の輝きを手のひらで踊らせ、銀河の螺旋を部屋の中に再現することができた。

 塔の最上階にある彼の研究室では、小さな恒星が浮遊し、その周りを惑星の模型が軌道を描いて回っていた。

 彼の瞳には、常に星空が映っているように見えた。


 一方、大地を巡る巫女ミラルディスは、空を渡る魔獣たちの言葉を理解する稀有な才能を持っていた。

 翼を持つ竜たちは彼女を「風の姉妹」と呼び、雲の上を泳ぐクジラのような魔獣は「空の歌い手」として彼女を迎えた。

 彼女が森を歩けば、樹木の精霊が囁きかけ、川辺に座れば水の精が古い物語を語って聞かせた。

 ミラルディスの存在は、自然と魔法の調和そのものを体現していた。

 

 異変は、東方の辺境から報告された。

「魔法が効かない霧が現れた」

 最初の報告は、東の山脈近くに住む羊飼いからだった。

 いつものように魔法の杖で狼を追い払おうとしたところ、霧の向こうから現れた“何か”には、火球がまったく効果を示さなかったという。

 羊飼いは恐怖で足が竦み、羊の群れを置いて逃げ帰った。

 翌日、村人たちが確認に向かうと、羊たちは無事だったが、その場所だけ草が枯れていた。


 次の報告は、より深刻だった。

 国境警備隊の魔導師が、霧の調査に向かったまま、三日間戻らなかった。

 捜索隊が派遣されたが、どんな魔法を使っても、霧の内部を観測することができなかった。

 捜索魔法は混乱し、遠視魔法は機能せず、テレパシー魔法も遮断された。


 エディアの魔法評議会は緊急会議を招集した。

 高位魔導師たちが「知恵の塔」の会議室に集まり、対策を練った。

 炎のグランドマスター・イグナティウス、氷の女帝・フロスティア、嵐の君主・テンペスタス、そして時の賢者・クロノス。

「これまでの報告を総合すると」

 クロノスが重々しく口を開いた。

「我々が直面しているのは、魔法そのものを無効化する未知の現象である」

 イグナティウスは眉をひそめた。

「そんなことが可能なのか? 魔法は自然法則の一部だぞ」

「対魔法結界なら理解できるが」

 フロスティアが氷のように冷たい声で言った。

「これは結界ではない。魔法を吸収するのでも、反射するのでもない」

「まるで、そこには魔法は存在できないかのようだ」


 霧は、最初はゆっくりと西へ向かって移動していた。

 そして、その速度は徐々に増していった。

 霧が通過した場所では、植物が枯れ、小川が涸れ、そして何より恐ろしいことに、その地域の魔法そのものが消失していた。

「魔力の枯渇ではない」

 調査に向かった魔導師が報告した。

「魔力はそこに存在している。しかし、それを操ることができないのだ。まるで、魔法の概念そのものがない空間のようだ」

 霧が通過した街の人々は、恐慌状態に陥った。

 魔法のない世界など、想定していなかったからである。

 浮遊していた建物は地面に落下し、魔法で保存されていた食料は腐敗し、照明魔法に頼っていた地下施設は闇に包まれた。


 避難命令が発令された。

 西方の都市への避難が開始されたが、魔法が使えないため、徒歩や馬車での移動を余儀なくされた。

 霧の侵攻は避難よりも早かった。

 そして、霧の中から「それ」が姿を現した。


 「それ」を最初に目撃したのは、避難民の護衛についていた若い騎士だった。

「霧の中から、影のようなものが現れました。形ははっきりしませんでしたが巨大で、そして……美しくもありました。それは、存在していながら存在していない、そこにいながらそこにいない、そんな感じでした」

 騎士の剣には魔法が込められていたが、「それ」に触れた瞬間、ただの鉄の塊になったという。

 鎧の防護魔法も無効化され、彼は生身で未知の存在と対峙せざるを得なくなった。

 意外なことに、「それ」はその騎士を攻撃せず、ただ通り過ぎていった。


 高位魔導師たちは、直接対決を決意した。

 霧の境界に集結し、史上最大規模の迎撃作戦を開始した。

 まずイグナティウスが、太陽の核心に匹敵する熱量の火球を放った。火球は霧の中を進み、「それ」に向かって飛んでいったが、接触した瞬間に消失した。

 次に、フロスティアが、分子の動きを完全に停止させる絶対零度の氷槍を繰り出した。氷槍は空間を凍らせながら進んだが、「それ」をすり抜けてしまった。

 テンペスタスは竜巻を、大地の魔導師は地震を、水の賢者は津波を召喚した。

 しかし、どの魔法も、「それ」には一切の影響を与えることはできなかった。

 最後に、時の賢者クロノスが時間停止魔法を発動した。

 周囲の時間が完全に停止し、鳥は空中で動きを止め、風は吹かなくなった。

 しかし「それ」だけは、停止した時間の中を悠々と移動し続けたのだった。

「信じられん……」

 クロノスは呟いた。

「時間魔法すら効かないとは……」

 絶望が魔導師たちを包んだ。

 彼らの誇り、千年間積み上げてきた魔法理論のすべては、この未知の存在の前では無力だった。


* * *


 そのとき、一人の青年が霧の境界に現れた。

 リオ・エルノートは、魔法学院の問題児だった。

 五年生でありながら、基本的な火球すら安定して放てない。

 氷の矢は的を外し、風魔法は微風程度、治癒魔法に至っては逆に小さな傷を作ってしまうほどだった。

 実技試験の成績は常に最下位。

 史上最悪の落ちこぼれとして学院の歴史に名を刻みそうな生徒であった。


 しかし、リオには他の学生とは決定的に異なる点があった。

 彼は魔法を、「数学的に」理解しようとしていたのだ。

 一般的な魔導師は、魔法を感覚で覚えるものだ。

 火を思い浮かべ、熱を感じ、その感情を魔力に変換して火球を作る。

 これが伝統的な魔法学習法である。

 しかし、リオは違った。

 彼は火球を「燃焼反応の化学式」として捉え、熱量を「ジュール」で計算し、軌道を「放物線方程式」で予測しようとした。

「リオ君、魔法は数学ではありませんよ」

 ミランダ先生が苦笑いした。

「魔法はもっと感情を込めて、心で感じるのです」

「でも先生」

 リオは真剣な顔で答えた。

「感情には個人差がありますが、数式は普遍的です。魔法にだって必ず、数学的な法則性があると思うんです」

「理屈はわかりますが、魔法が使えなければ意味がありません」

 リオの理論は、一見すると正しかった。

 彼が書く魔法理論のレポートは常に満点であり、教授たちも舌を巻いていた。

 しかし、理論と実践は別物だった。

 どれほど完璧な魔法の数式を導き出しても、肝心の魔法が発動しないのでは、その数式には価値がない。

 同級生たちは、リオを奇異の目で見ていた。

「あいつ、また計算してるよ」

「数学をやりたいなら、なんで魔法学院に入ってきたんだよ」

「でも、理論だけは天才なんだよな」

「いやいや、理論だけじゃ魔導師にはなれないって」

 リオ自身も、自分の才能のなさを痛感していた。

 夜中に一人で魔法を練習し、何度も何度も火球の練習を繰り返したが、せいぜいマッチの火程度の炎しか作れなかった。

 彼の部屋の書架は、魔法理論の本よりも数学書や物理学書の方が多かった。

 そんなリオが、霧の報告を聞いたとき、彼の数学的思考が活性化した。

「魔法が効かない存在……か」

 彼は一人、呟いた。

「どういうことなんだ。魔法は自然法則の一部なのに、それが存在できないなんて」

 彼は過去の文献を漁り始めた。魔法無効化に関する研究、異次元存在の理論、そして数学書。

 特に、複素数論の古い文献に興味を持った。

「実数では表現できない数──虚数i」

 リオの頭の中で、何かが繋がり始めた。

「『それ』は『虚数解』だとしたら……」

 リオは夜通し計算を続けた。

 魔物の目撃証言、魔法が無効化される現象、霧の移動パターン。

 すべてを数式に変換し、解析した。

 そして、一つの仮説へとたどり着いた。


「我々の世界は、実数で構成されている」

 リオは自分の研究ノートに書いた。

「質量、エネルギー、時間、空間……すべてが実数値で表現される。魔法もまた、実数の世界の法則に従っている。しかし、もしも実数ではない存在が現れたとしたら……」

 複素数平面を思い浮かべた。

 横軸が実数、縦軸が虚数を表す座標系。

 普通の存在は実数軸上にのみ存在するが、虚数軸上に存在する何かがあったとしたら?

 リオは古い数学書を開いた。そこには、オイラーの公式が記されていた。

「この式は、虚数、指数、円周率、そして実数を結ぶ公式。もしも、この公式を魔法に応用できたなら……」

 リオは決意した。

「理論が正しいかどうか、試してみるしかない」


 彼は学院を抜け出すと、避難民の流れに逆らって歩いた。

 そして、リオは霧の境界へと到達した。

 そこでは、魔道師たちは懸命に戦っていたが、魔法が効かぬ「何か」には、まったく歯が立たなかった。

「君は何をしている?」

 クロノスがリオに気づいた。

「ここは戦場だ。すぐに避難しなさい!」

「待ってください!」

 リオは勇気を振り絞って言った。

「あの存在の正体がわかったかもしれません」

 イグナティウスは鼻で笑った。

「学生の君に何ができるというのか」

「あの存在は、虚数なんです」

 リオは震える声で言った。

「虚数だから、実数の魔法が効かないんです」

 魔導師たちは困惑した。

「虚数だと? 数学が魔法となんの関係があるというんだ」

 しかし、フロスティアだけは違った。

 彼女は数学にも造詣が深く、リオの言葉の意味を理解した。

「虚数……なるほど、興味深い仮説ね」

 彼女は微笑むと、リオにこう訊いた。

「では、虚数にどう対処するつもり?」

 リオはついに、自分の理論を実証する時が来たのだった。


 リオは震える手で地面に数式を書き始めた。

「虚数iは、i²=-1という性質を持ちます。つまり、虚数を二乗すれば、負の実数として表れるんです」

 魔導師たちは、リオの説明を半信半疑で聞いていた。

「もしもあの存在が虚数解のような存在なら、それを二乗することで実数の世界に引きずり出せるかもしれません。実数になれば、我々の魔法も効くはずです」

「二乗する?」

 テンペスタスが眉をひそめた。

「存在を二乗するとはどういう意味だ?」

「存在そのものに作用する魔法です」

 リオは興奮して説明した。

「対象に魔法をかけるのではなく、対象の存在状態を変化させる魔法。僕はそれを『二乗魔法』と名付けました」

 リオは魔法理論を応用した、新しい魔法の構造を説明した。

 従来の魔法は「魔法→対象→結果」という流れであるが、二乗魔法は「存在状態→変換→新しい存在状態」という流れを想定していた。

「しかし……」

 クロノスが指摘した。

「君は基本的な魔法すら使えないではないか。そんな高度な魔法など──」

「確かに僕は魔法が下手です」

 リオは認めた。

「でも、この魔法は従来の魔法とは根本的に違います。感覚の魔法ではなく、数学的な魔法なんです」

 リオは深呼吸をし、霧の中の「それ」を見つめた。

 霧の奥で、不定形の影がゆらめいていた。

「行きます」

 リオは宣言した。

 虚数軸上に存在する「何か」を、実数軸上に移動させる。

 そのために必要な変換とは……

「存在を二乗せよ!」

 リオの声が響いた。

「虚なるものに実を与えよ! 二乗の理を以て存在の状態を変換せよ!」

 空気が振動し始めた。

「二乗魔法……スクエアコール!」

 リオが詠唱を完成させた瞬間、空間が軋んだ。

 それは音ではなく、存在そのものの軋みだった。

 霧の中心で、これまで形の定まらなかった「それ」が、徐々に輪郭を持ち始める。

 虚数から負の実数への変換。

 最初に現れたのは、巨大な翼だった。

 しかし、それは鳥の翼でも竜の翼でもなく、まるで夜空そのものを切り取ったような、深い闇の翼だった。

 次に現れたのは、角だった。螺旋状に捻れた巨大な角が、霧を突き破って現れた。角の表面は鏡のように滑らかで、そこには見る者の顔ではなく、見る者の心の奥底にある恐怖が映し出された。

 そして、胴体。それは竜のようでもあり、巨大な蛇のようでもあり、時には人の形を取るようにも見えた。

 しかし、一貫していたのは、その存在が「負の実在」だということだ。

 光を吸収するのではなく、光そのものの概念を否定するような、究極の暗黒。

 最後に現れたのは、眼だった。

 その眼には瞳孔も虹彩もなく、ただ深い虚無が広がっていた。

 その虚無の中には、宇宙の始まりと終わりのすべてが含まれているかのようだった。

「虚数解を、負の実数へと変換した」

 魔物は、ついに実体を持った。

 それは恐ろしい存在だった。

 体長は百メートルを超え、その存在感は山のようだった。

 しかし、魔法が効かない不可知の存在ではなく、強大だが実在する魔物になっていた。

「これで……」

 リオは振り返って魔導師たちを見た。

「魔法が効くはずです!」

 イグナティウスが最初に動いた。

 彼の炎魔法が、魔物の左翼を捉えた。炎は魔物の翼を焼き、初めて魔物から苦痛の咆哮が響いた。

「効いた!」

 フロスティアも氷槍を放った。氷の槍は魔物の側面に突き刺さり、黒い血のような液体が流れ出た。

 高位魔導師たちが、一斉に魔法を放った。

 炎と氷、風と雷、重力と時間。あらゆる魔法で魔物を攻撃した。

 戦いの最中、リオは気づいていた。

 この魔物は、一匹だけではないということに……


 魔物の体内から、多くの影が現れ始めた。

 リオは愕然とした。

「あの魔物は、虚数領域からの使者に過ぎなかった……」

 霧の奥から、次々と虚数の魔物が現れた。

 魔導師たちは絶望した。

 一体の魔物を実体化させるだけでも、あれだけの手間がかかったいうのに……

 クロノスが呟いた。

「これほど多くの存在を相手にしては……」

 しかし、リオの頭の中では、新たな計算が始まっていた。

「待ってください」

 彼は震える声で言った。

「虚数の存在が無数にいるなら、その逆もできるはずです」

「逆?」

 フロスティアが振り返った。

「実数の存在を虚数にする。つまり、僕たちが虚数の世界に干渉するんです」

 リオは新しい魔法式を組み立て始めた。

 自分自身を虚数化し、虚数領域で戦う。

 それは、存在そのものを賭けた究極の魔法だった。

「リオ君、正気か?」

 老賢者アルセニウスが慌てて言った。

「二度と実数の世界に戻れなくなるかもしれんぞ」

「でも、これが唯一の方法です」

 リオは決意を込めて答えた。

「虚数と戦うには、僕も虚数にならなくては」

 彼は複素数平面を頭の中に描いた。実数軸から虚数軸への移動。

 それは、存在の根本的な変換を意味していた。

「逆二乗魔法……ルートコール!」

 リオが新しい詠唱を始めた。

「実を虚に、形を影に。我が存在を虚数域に転送せよ!」

 リオの体が薄れ始めた。

 彼の輪郭がぼやけ、まるで霧のように透明になっていく。

 魔導師たちは、彼の存在が実数の世界から徐々に消失していくのを見つめていた。


* * *


 リオの意識は、現実とは異なる次元へと移行した。

 虚数の世界は、実数の世界とは全く異なる法則で動いていた。

 重力は横向きに働き、時間は螺旋状に流れ、色彩は音として聞こえた。

 そしてリオは、実数と虚数の境界が壊れ、両方の世界が混在し始めていることに気づいた。

「境界の崩壊」

 リオは理解した。

「これは侵攻ではなかった。実数と虚数の境界線が不安定になっていたことが原因だ」

 彼は虚数領域の深部へ進む。

 そこで、境界崩壊の原因を発見した。


 巨大な方程式が、宙に浮かんでいる。

 それは、実数と虚数を結ぶ基本方程式だったが、一部が破損していた。

 数学的な均衡が崩れ、それで両世界の境界が不安定になっていたのだ。

「この方程式を修復すれば……」

 そう呟いた瞬間、新たな敵が現れた。

 それは、数学を憎む存在であり、ロゴファーゴスと名乗った。

 数式を喰らい、論理を破壊し、秩序を混沌に変える反数学的存在だ。

 ロゴファーゴスは、リオを排除しようとした。

「数学など……すべて消えてしまえ!」

 ロゴファーゴスの攻撃は魔法ではなく、概念そのものの破壊だった。

 リオの周りでは、1+1=2 すら崩壊し、円周率は整数となり、平行線は交わり始めた。

「待ってくれ。君だって数学的な存在じゃないか」

 リオはロゴファーゴスに向かって言った。

「数学を破壊する存在だって数学の一部だ。矛盾は論理学の重要な概念だ」

 ロゴファーゴスは困惑した。

 自分は数学を否定する存在でありながら、数学的な概念として定義されているという矛盾。

 リオは続けた。

「だから、君にも適用できる数式がある!」

 リオは、ゲーデルの不完全性定理を思い出した。

 数学システムには必ず矛盾や証明不可能な命題が存在する。

 それらも数学の一部なのだ。

「矛盾統合の公式!」

 リオが新しい魔法を発動する。

「対立するものを統合し、矛盾を調和に変えよ……ハーモニーエクイリブリアム!」

 ロゴファーゴスとリオは、一つの巨大な数式へと統合された。

 そして、その統合された力を使い、リオは損傷していた境界方程式の修復を試みた。

「これが世界の本質か」

 リオは畏敬の念を込めて呟いた。

 そして慎重に、損傷部分を修復していく。

 一つ一つの項を検証し、係数を調整する。

 彼は今、宇宙の調律師となっていた。

 これまで学んだ数学が役に立った。

 微分積分、線形代数、複素関数論、群論、位相幾学。

 魔法では「落ちこぼれ」でありながらも、続けてきた数学の勉強が、今こうして役に立っているのだ。

 方程式の修復が進むにつれて、実数世界と虚数領域の境界は安定化していった。

 霧は徐々に晴れ、虚数の存在たちは自分たちの領域へと戻っていった。

 こうして、世界に平和と秩序が戻った。


 五十年後、老いたリオは「知恵の塔」の最上階にいた。

「リオ教授」

 助手が報告した。

「魔法が複素数解になるんです!」

「ふふふ、それは興味深い現象だな」

 彼は立ち上がり、窓から東の夜空を見つめた。

 星たちは輝き始めていた。

「新しい冒険の始まりだな」

 彼らは再び、解を求めていく。

 こうして、世界の真理は一つ一つほどかれていくのであった。



< Q.E.D. >

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