左のつぶて
歩いていると、何故か小さな石が靴の中によく跳び込みます。それもきまって左側。
踵から土踏まずのあたりにかけて、異物がちくちくとその存在を主張するようになると、道端に寄って片脚立ちになり、支えになる壁があればその助けもかりて、脱いだ靴を逆さまに振って石を追い払います。
米粒を数分の一に割ったような小さな
なぜ左側だけなのだろう。
心当たりがないわけではありません。左脚は事故に遭って痛めたことがあるのです。ぱっと見には分からなくとも、わたしの歩行には微妙な歪みがあるはずで、ミリ単位のその違いにより左側だけに石が入りやすいのでしょう。
次いで考えられる理由としては、靴の問題です。スニーカーは厚手の靴下を履いた時のことを考えてハーフサイズ大きいものを選ぶことが多いのですが、その僅かな隙間から、跳ね上がった石が入ってしまうのだろうと考えられます。ところが他の靴でもよくそうなるので、サイズはまるで関係ないのかもしれません。
だいたい何で跳ねるのでしょう。舗装された地面にも砂粒や石粒くらいはあるでしょうが、狙いすましたかのように左の靴だけに石が跳び込んでくるのです。よほど歩く度に路面を蹴り飛ばしてでもいるのでしょうか。
心配なく履けるのはブーツだけです。そのブーツも
あ、また。
靴の中敷き上にころっとした感触が発生すると、そのまま歩き続けながら、こいつを追い出せる場所を探すという、余計な目的ありきの
履物の中でも、かつては家の中で手作りするものだったわらじなど、通気性がよく、少しへたってくれば次々と新しいものに替えることも出来る上に、廃材は土に還るのですから、環境にも優しくて日本の風土にも合っておりました。下駄だってそうです。浴衣を着る時にしか出してくることはありませんが、桐の下駄のあの軽さと、目にも楽しい鼻緒の柄、素足にさわる木のやさしさは、西洋靴では味わえるものではありません。
大風が吹けば砂ぼこりが舞い上がった往時、人々は盥に汲んだ水や、濡らした手ぬぐいで足の汚れを落としてから家に上がっておりました。さすがにそんな遠い時代のことは知りませんが、子どもの頃、ややそれに近い日を送っていたことがございます。ビーチサンダルを夏の履物としていたのです。
そのサンダルは海水浴に行った折、現地で間に合わせに購入したものを日用に流用したものでした。大きなダリアの花が飾りについて、真正面から見ると両足の甲の上にお花を乗せているように見えるのです。うさぎの耳のような花びらを同心円状に並べて立体化したダリアの花は、先端に触るとちくりとします。その少しばかり痛い感触は耳掃除のような快感をともなって、閑があれば玄関に行ってなんとなくいつまでも掌で花の上を撫ぜていたものでした。
外でたくさん遊んで帰ってくると、ビーチサンダルを履いたままの脚を庭の水道の下に出して汗と砂を洗い流します。柑橘色をした夏の陽ざしの下、プラスチックのダリアの花は小さな水滴をたくさん宿し、細かく砕いた虹色をきらきらと振り撒きます。水洗いした後は外壁に立てかけておくと、翌朝にはすっかり乾いて、また気持ちよく履くことが出来るのです。
「ただいま」
安価品だったそのサンダル。サービスエリアの化粧室に飾られた安っぽい造花のような、少し白を含んだあのいちご色が、子どもの心には咲いたお花を硬化させて作った童話のなかの沓のように見えたものでした。ひと夏の間サンダルはずっとわたしのお気に入りであり続け、しまいには熱くなったアスファルトと擦れる踵の部分が削れてしまい、穴が開いてしまうほどでした。
そして玄関には雑巾が用意されて置いてあり、外で洗ってきた脚をそこで拭いて家に上がるのです。ちゃんと洗ったつもりでも、足指の間に残っていた金色の砂粒。
このビーチサンダルと匹敵するほど過去お気に入りだった靴は、イタリアで買った革靴でしょうか。それはウインドウに飾ってあったもので、「あれを下さい」と云うと、にこにこした若い店員が伝えたサイズの箱を出してきて、片膝をついてわたしに靴を履かせながら、いいものを選んだね、とっても似合うというようなことをべらべらと喋り、会計を済ませて外に出ても店番を抜けてついてきて、「ここのが美味しいんだよ」と近所のスタンドで檸檬味のジェラートをご馳走してくれるという謎のおまけのついた靴でしたが、その靴は完全に壊れて履けなくなるまで修繕しながらよく履いて、何処に履いていっても、「それいいね」と褒めてもらったものでした。
ブランド品でも何でもない靴でしたが深緑の革がよく、ヒールの高さが絶妙で歩き方が補正されていたものか、この靴を履いている時には小石に悩まされた記憶がありません。さすがはイタリア製の靴だと随分と感心したものでした。たまたまだったのでしょうが。
さて、どこまでこいつと一緒に行こうかなぁ。
ころころと靴の中で動いている小さな粒。すぐに取り除かなければならないほどの大きさでなくとも、無視できるほどではなく、踏みだすたびに気になり続けてしまう小癪な異物。仕方なく歩いていくうち、この小石は、否応なく人生にくっついてくる些細な厄介事や面倒事、または無駄のように想えてきます。
左側の同伴者。
物欲も懊悩も、断捨離して出家でもすればきれいに消えるのかもしれませんが、俗人の私にはどうやら無理のよう。
取り除いても取り除いても、歩みに合わせて、ころりと靴の中に入ってくるのです。
[了]
左のつぶて 朝吹 @asabuki
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