狩場の消しゴム
一年に一度、某所に並びます。食器類をお安く放出してくれる場所があるのです。爪楊枝の先で突いたようなほんの僅かな瑕瑾でB級品になったもの、サンプル品、過剰在庫。日常使いならばこれで十分というほどのクオリティはあります。
そこは倉庫です。店舗ではありません。
数年前、常のように街歩きをしていたわたし、休日なのにシャッターを上げている倉庫を見かけたのです。
ガレージセールかな。
どうやら誰でも入れる様子。軽い気持ちで踏み込んでみると、『食器全品どれでも千円』の張り紙が。
へー。
これが千円ならいいんじゃない?
三点選んで、きっちり三千円を用意してレジに向かいました。すると、お店の人が告げるのです。あと少し待てばセールを行いますよ。
「ここから、さらにセールをするのですか」
「はい、タイムセールです。まず空のビニール袋を三千円で購入していただきます。開始から終了までの二十分間、お買い上げいただいたビニール袋に店内の商品を詰め放題です」
それは楽しそう。
ほぼ何も考えることなく、わたしは財布から出していた三千円でビニール袋を購入することを選びました。袋が破れたらチャレンジ失敗とのこと。了解了解。
ところがそのビニール袋。
薄い。
そして小さい。
取っ手部分を含めてA3くらいでしょうか。形状は一般的な半透明のビニール袋、持ち手の間には荷物がこぼれないようにテープで留めるための「ベロ」と呼ばれる帯がついています。中央部のそのベロも産毛のように頼りない。
「詰めていただいた後、レジにお持ちください。スタッフがこの箇所で縛ります。ここで縛ることが出来ないと却下です」
縛る。
この短いベロで縛る。
店員が見本を出してきました。確かに引き伸ばすだけ伸ばしたベロで窮屈そうな結び目が出来ております。
見本に群がる客。通りすがりのわたしとは違い、ガレージの中にいた人の多くは、このタイムセール目当てのようでした。
「見本の袋の中には陶器が五つ入っています」
ほうほう。それでは、ひとつ千円のところを、三千円で五つ買える計算になります。
「店内をいちど整理します。開始時刻になるまで、いったん外に出て下さい」
案内に従って客がガレージの外に出ます。通行人の邪魔にならぬよう、箒で掃かれる埃のようにして隣りのビルのエントランス付近に全員が移動しました。
「小さいですね。袋」
誰かがぽつりと呟いた、それをきっかけにして、その場にいた十五人ほどの我々、お喋りを開始します。
「駄菓子屋でもらうビニール袋みたい」
「すぐ破れそう」
「それでも見本を参考にすれば五つは入るのだから、お得はお得よね」
分かっていることは詰め込んだ挙句に袋が破れたら、ルール上、袋代として支払った三千円分、つまり三つしか買えないということです。三千円で三つ買う予定だったわたし、薄いビニール袋に不安を抱きましたが気を取り直します。たとえチャレンジに失敗しても駄目で元々ではないか。
まず、大物を一つ選ぶ。それから小物を大物に重ねていくようなかたちで袋に詰める。
そんな、誰でも考えるようなことを考えながら、白いビニール袋を握りしめて開幕を待っておりました。
「毎回やっているんですか、このタイムセール」
「ううん。突発的に始まるのよ」
倉庫の近くにお住いの方がLINEをわたしに見せてくれました。確かにそこには、当日昼過ぎに出た緊急告知が表示されています。
「所詮在庫だからさ、少しでも片付けたいのが本音じゃないかしら。隅に別コーナーで二千円とか四千円の品があるでしょ」
「ありますね」
「定価は万近いあれもこの袋に入れていいのよ」
「本当ですか」
近所の方からの情報をもとに、わたしは作戦を変更しました。
まず、大物である二千円の品を一点選ぶ。その後に元々買う予定にしていた三点を入れて、隙間に小物を二、三点詰める。うまくやれば七点を三千円で入手できるかもしれません。
捕らぬ狸の皮算用は想像している間がいちばん楽しいのです。わたしの隣りの人など、豪快にも四千円を二つ入れて、隙間に詰めるだけ詰めてみると云っています。一方で、冷静な意見も出ます。頬のふっくらした「美人な河豚」といった趣きのその女性は、
「見本の袋が五点入りで、ベロを引っ張るだけ引っ張って窮屈に結ばれていたことを考えると、欲をかかない方がよさそうね」と慎重です。
その間にも、わたしは電柱に貼られたガレージセールの張り紙からQRコードを入手して、今後も店からのお知らせが届くようにしておきます。
歩道を歩く人が怪訝そうな顔でわたしたちを振り返ります。全員がその手に薄っぺらいビニール袋を持っている不思議な集団。
なんだかデジャブ。ああそうです、限定コスメの抽選に外れた時に、店舗販売用のわずかな数を求めて開店前から並んだ時のようです。だいたいは転売屋が早朝から行列を作っており、望み薄なのですが、最後の一点を滑り込みで買えたことがございます。それは自分用ではなく、友人への贈り物でした。
そんな回想に浸りつつ、時間がきてガレージが開きます。制限時間は二十分。狩場では全ての商品が長テーブル上に積まれています。まずは二千円の皿と、買う予定だった三点を袋の底に沈めたわたし、次なる獲物を物色して熊のようにうろうろしておりました。
十分後。早々に店から撤退する客がいます。
「全部で十八点!」
レジから歓声と拍手が上がったのです。ガレージにいる全員の眼が愕きを浮かべてレジに向けられました。この薄っぺらい、金魚すくいの紙しゃもじ(ぽい)のようにすぐにぴりっといきそうなビニール袋に、十八点。
「きっと小物ばかりを詰めたんじゃないですか。醤油皿とか」
見知らぬ左右の人と「そういうことか」と頷き合いました。それにしても十八点はすごいです。
あなたは買い物上手ねぇ……。
唐突に脳裏によみがえるのは亡き祖母の言葉。その昔、大勢いる従姉妹たちと車に分乗して百貨店に行き、お年玉がわりに祖母の財布で買い物をするのが正月の恒例行事でした。「お金だけ渡すのは味気ない」という祖母と、退屈な親戚の集まりよりは街中に出る方が楽しい年頃の少女たちの意向が合致して、いつしかそうなっていたのです。
その際、わたしが選ぶものが祖母のお眼鏡にかなっていたとみえて、発せられたお褒めの言葉が、「あなたは買い物上手ねぇ」です。厚みのあるカシミアのマフラー、革の手袋。その時に祖母に買ってもらった品の幾つかはまだ大切に持っております。他の従姉妹たちが
だから何だというわけではないのですが、「十八点まではいける」と眼の色を変える奥様方から身を引き、まだ制限時間には余裕があるものの、そこで見切りをつけました。
兎にも角にも、最初に買うつもりだった三点と、二千円のものを一点、さらに二点加えて、計六点は確保したのです。もう十分です。本音をいえばビニール袋が薄すぎて破れることの方が怖かった。
レジで合否判定を頼みました。わたしの前にいた美人河豚のビニールはぱんぱんで、ベロが結べず、やり直しになっていました。
スタッフがわたしの袋を調べます。まだ若干の余裕があるのできちんと結ぶこともなく、「はい結構です」と云ってくれました。
いちど商品を全て出し、あらためてもう少し大きくて頑丈なビニール袋に移し替えてくれます。一点、二点と数え上げながら詰め直すこの作業で、先刻の十八点! が起ったのです。わたしの六点は控えめです。
「九点です」
九点。
「あ、間違えました。九千円分です」
御礼を云って外に出ましたが、どうもおかしい。
袋の中を確認してみると、一点、四千円の楕円形の皿が入っていました。二千円の山と隣り合わせだったことから商品が混じっていたのです。どうりで「これいいな」と即決したはずです。
四千円のものを一点含んで、計六点で三千円。
悪くない。
悪くないんじゃないかな。
うふふ、うふふふ。弾む足取りで、わたしは戦利品を抱えて倉庫を後にしたのでした。
それから数年。
「たくさん買っても使うものは限られているのにね」
ちょっと蓮っ葉な口調のおばさん。
「この価格なら遠慮なく食洗器に入れられますよね」
美人河豚も来ています。
ガレージセールに通ううちに次第に顔見知りになってしまった我々。それはスタッフも同様です。
「おめでたですか」
「そうなんです。再来月に出産予定です」
そんな会話を交わした翌年は抱っこ紐でスタッフにおぶわれた赤子を見、その翌年はレジ付近を伝い歩きしている幼児をみる。
集まる我々と、倉庫スタッフ。互いに名もしりません。年齢もばらばらです。でも顔を合わせると、何だかんだと世間話を交わします。
棒や管を接続する金具のことを、フェルールと呼ぶそうです。消しゴムつき鉛筆の尻尾部分にあるあの金属の正式名称はフェルールです。たかが鉛筆と消しゴムのくせに、あの部分にだけかっこいい名がついているのです。
一年に一度、告知日にシャッターを開く倉庫。各地から集まって雑談を交わし、会計が済んだ者から無言でさっさと帰宅して分散するだけの繋がり。このバンド関係を鉛筆にたとえるならば、売り手と買い手を繋ぐお金がフェルールで、そしてあの小さな消しゴムの部分が、安売りに惹かれて引き寄せられてくる消費者ということになるのでしょう。
女はお得が大好きです。意気揚々と今日もわたしは狩場から引き揚げるのでした。
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