第2話 狂気香る前準備
二人は発射台の丘がよく見える――具体的には、発射の瞬間から海に落ちるまでがよく見える――少し離れた平地へと向かった。
明日の本番に向け、祭りの会場づくりはすでに佳境に入っている。
村人たちがロープを引き、木槌を振り下ろし、観客席となる桟橋を組んでいく。
潮風に混じり、木材の削れた匂いと焚き火の香りが流れてきていた。
「すごいですね、先生」
ルピナはカメラを回しながら、素直に感嘆の声を漏らした。
「祭りとはいえ、これは立派な決闘だからね。人と空との真剣勝負だ」
「……だから言い方を選んでくださいってば」
眉を寄せつつ、準備の規模に圧倒される。
見やすい位置を埋め尽くすように並ぶ長い桟橋。
かなりの人が見に来ることを感じさせた。
特に中央の桟橋だけは、ひときわ豪華だ。
金の紋章入りの布が風にはためき、どう見ても貴族向けの席である。
「あの豪華な席は?」
「スポンサーだろうね。夢を見るのは民衆だが、手にするのはいつだって金持ちだ」
「それだと、真剣勝負というより貴族の娯楽ですね」
「それもまた、ドキュメンタリーの本質さ」
ローデンが軽く笑う横で、ルピナは「ふーん」と適当に頷いた。
会場の端のあたりでは、すでに露店まで立ち始めている。
焼き魚の香ばしい匂い、蜂蜜菓子の甘い香り、香辛料の刺激。
それに釣られた子供たちが走り回り、その背を年寄りたちが見守っていた。
(貴族の娯楽だとしても、村人たちは楽しみにしてるんだな……)
ローデンの言う『決闘』という表現が、少し薄れていく気がした。
そんな折――
「今年はどこまで飛ぶかのう?」
「ワシが若い頃は飛ぶか死ぬかじゃったわい。雲に触れられそうな勢いよ」
背後で交わされる老人たちの会話。
思わず耳を傾けたルピナは思う。
(それ、どっちにせよ死にません?)
「去年は瀕死止まりで済んだの。死者は出んかった」
「ワシがもう少し若ければのぉ……」
「おまえが飛べば、死者は確実じゃろうて!」
老人たちの笑い声が豪快に響く。
ルピナはぞわりと肩を震わせた。
牧歌的に見えて、やはり狂気を孕んだ祭りのようだ。
「ルピナ君、村長が来ているようだ。取材するぞ」
ローデンに急かされ、ルピナはその後を追う。
「どんな人なんですか?」
「わからぬ。聞きそびれてね」
(そこは聞いといてくださいよ! って、あれかな?)
心の中だけでツッコミを入れつつ、ルピナはそれらしい人物へ声をかけた。
「すみません。あなたが村長さんですか?」
腹の出た中年の男が振り返る。
首に祭事用の布を巻き、作業の指示を飛ばしていた。
「ん? どちらさまだったかな?」
ルピナが答える前に、ローデンがすっと前へ出る。
「村長さん、少しお話を伺ってもよろしいですかな」
「おお! 遠くからよく来てくださった!」
まるで旧友のように打ち解ける二人を見て、ルピナは少しだけ感心した。
「こちらはこの祭りの責任者、ボルン村長。こちらは助手のルピナだ」
ローデンが互いの自己紹介を済ませる。
「ところで、今年の出来はどうですかな?」
(先生、作物じゃないんだから……)
ローデンの問いかけに、心の中で小さく突っ込むルピナ。
「いやぁ、今年は特に気合が入っとる! 必ずや素晴らしい飛行を見せてくれるだろう」
答える村長に、今度はルピナが聞く。
「命懸けなのに、怖くはないのですか?」
「何が怖いもんか。空に手を伸ばすのは名誉。神に愛されて舞い上がり、母なる海が受け止めてくださる」
(先生と似たような感性の人だな。……言ってることは全然わからないけど、決め顔は撮っとこう)
ルピナは、空を見上げる村長の表情をしっかりカメラに収める。
少し陶酔したようなおじさんの表情がウケるかは、編集の時考えよう。
一方、ローデンもまた空に目を向け、感動を噛み締めるかのように呟く。
「素晴らしい文化だ……飛距離こそ信仰、落ち方こそ美徳! なんという美学!」
「それ褒めてます?」
「もちろんだとも!」
ローデンの返答に迷いない。
そして、その心意気は村長の胸にもしっかり届いたようだ。
「そなたらは理解が早い! 天翔祭は神聖な行事。若者の夢と度胸の試練じゃ。村の娘らも、その勇姿に惚れこむ」
「命懸けの婚活フェス、というわけですね」
「まさに!」
村長が満足げに、ローデンは嬉しそうに頷いている。
一方ルピナは完全にドン引きしながら、カメラだけはしっかりと回す。
(この村に生まれなくて、本当に良かった……)
その時――丘のふもとで、どさ、と大きな音がした。
「うおおお痛ってえええ!!」
挑戦者の青年が、巨大な傘のテスト中に派手に転んだらしい。
周囲の仲間たちは慣れた様子で駆け寄る。
「またか! 傘開くの早すぎだって!」
「いや、いけると思ったんだよ!」
「明日なんだから死ぬなよ!」
ボルン村長は腕を組んで頷く。
「よくあることだ」
(よ、よくあるんだ……)
思わず青年の無事を確かめに駆け寄るルピナ。
青年は笑いながら親指を立てた。
「だ、大丈夫です……!」
ローデンはその様子を見て、感極まったように呟く。
「挑戦とは、転んでも立ち上がる姿だ……ルピナ君、しっかり撮っておけ」
「はいはい……」
その後、村長への質問をいくつか済ませ、取材は一区切りした。
「先生。まともって、なんでしたっけ……」
「人類史とは、まともじゃない者の飛翔の記録だよ」
ローデンが満足げに言う。
ルピナはため息をつきながら魔導カメラを構え直した。
この村の狂気と誇りをどう切り取るか――
真面目に考えている自分に、少しだけ驚きながら。
太陽が傾くまで、二人の撮影は続いた。
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異世界風土記 -迷宮の中に、魔獣のにおいに、もういちど異世界を見つける。私を見つけ……てたまるか!- Ash @AshTapir
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