ビットコインは年寄株である
伽墨
はっきよーい、のこった
皆さんはお気づきだろうか。
実はビットコインというのは、大相撲の年寄株なのである。
……と言っても、ほとんどの人は「お前は何を言っている?」という顔をするだろう。
しかし、この二つを“仕組み”と“価値の生まれ方”という視点から見つめると、思いのほかよく似ている。
まず、年寄株である。
相撲界には105個の「親方になるための席」があり、これは増えない。
追加パックもアップデートも存在しない。
だから引退した力士たちは、この希少な席をめぐり、静かで複雑なやり取りを行う。
年寄株とは、紙切れではなく、“伝統の未来を預かるための権利”なのだ。
さて、ビットコインもまた不思議な仕組みを持っている。
2100万枚という総量があらかじめ決められていて、未来永劫増やすことができない。
普通のデジタルデータがコピーに弱いのに、ビットコインが複製できないのは、
世界中のコンピュータが巨大な“承認の土俵”をつくり、
「これは本物である」と合意した瞬間にのみ存在を許されるからだ。
そして、人々がそれを交換する。
価値があると信じ、使い続ける。
この“共同体の信認”がビットコインの価値をつくる。
これは、相撲界が年寄株の正統性を支え続ける構造と驚くほど似ている。
つまり、年寄株とビットコインは、
「数が限られ、正統性が共同体に支えられ、未来への権利を表す」
という同じ骨格を持っているのだ。
ここまで来れば、もう少し飛躍してもいいだろう。
たとえば、もし大相撲が世界的競技になり、年寄株が105個から数万個に増えたとしても安心だ。
NFTという、ビットコインの親戚のような技術を使えば、その正当性や継承関係も透明に管理できる。
アラスカの荒野でも、エアーズロックの影でも、チベットの空気の薄い高地でも、
どこかで毎日誰かが相撲を取っている世界。
その裏で何万個もの“世界親方権”が、ブロックチェーンの鼓動とともに書き換えられていく。
そして、世界に相撲が普及すれば、話はもっと面白くなる。
相撲はボクシングのような減量もなければ、総合格闘技のような階級もいらない。
太っていようが痩せていようが、とりあえずぶつかってみなければ分からない。
しかも15日連続で試合ができるという、格闘技界ではほぼバグのような仕様である。
これを世界スケールで見れば、相撲は
SDGs的格闘技──持続可能なファイトスタイル
と呼んでも差し支えない。
減量しない。
階級なし。
翌日も働ける(働けてしまう)。
季節ごとに迫力を楽しめる。
そしてその背後では、ビットコイン的技術が年寄株的な権威を支え、
伝統と未来がひっそりと握手している。
もはやここまでくれば、冒頭の一文もそこそこ許されるのではないか。
──そう、ビットコインは年寄株なのである。
ビットコインは年寄株である 伽墨 @omoitsukiwokakuyo
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