第7話 第2班
風が止んだ。
訓練場の砂が、ゆっくりと静寂に沈んでいく。
ツバサは膝をつき、燃え残る焔を見つめていた。
焔はもう、痛みではなかった。
その光は、ただ静かに彼の“生”を照らしている。
ふと視線を上げると、観覧席の端に――
ひとり、黒い外套の影が立っていた。
カイだ。
いつの間にか帰ってきていたのだろう。
群衆の歓声にも混ざらず、ただ腕を組んで立っていた。
そして短く、言葉を投げる。
「……遅ぇぞ、ボンクラ
それだけ言って、背を向ける。
夕陽の中、彼の足音が砂に溶けて消えていった。
ツバサはその背中を見つめながら、
小さく笑って呟く。
「……待ってろ、すぐ追いつく」
焔が再び、胸の奥で脈を打った。
――その日、灰隠のアカデミーから
ひとりの〈焔印〉術師が誕生した。
それは、ただの卒業の報せではなかった。
“失われた九根の一つ”が、再び息を吹き返したことを意味する。
⸻
灰隠れの上層部――評議会は、その報告を受けてすぐに動いた。
焔印は〈九根〉のひとつ。
その存在は、いまも各国が密かに追い求める“神代の鍵”の一部に他ならない。
それを灰隠れが保有するということは――
すなわち、この小国が世界における均衡を握るということだった。
「焔印の力を我らが保有する限り、
いかなる国も軽々しく攻め込むことはできまい。」
評議長・ハイドの声が、石造りの議場に低く響く。
円卓を囲む老練な印術官たちは一斉に頷き、重苦しい空気が流れる。
壁に掛けられた古い地図の中央――灰隠の印だけが、いまや紅く光っていた。
「これで我らは、ようやく対等に立てる」
老臣の言葉に、若い官僚が不安げに口を開く。
「……ですが、本当に制御できるのでしょうか? あの子はまだ――」
ハイドは片手を上げ、静かに言葉を遮った。
「問題はない。教官〈ハガネ〉の監督下にある。
それに、万が一暴走したとしても……焔は“抑止”となる。」
その言葉に、場の空気が凍る。
“抑止”――それは、焔印の存在そのものが他国への牽制であり、
同時に“核”としての脅威でもあることを意味していた。
「焔印の継承者ツバサを、灰隠の象徴とする」
「外交の際は護衛班を設け、監視を怠るな」
「その動向は全て記録し、評議に報告せよ」
読み上げられる決議の数々は祝福ではなく、
少年を“管理する条文”だった。
ハイドは椅子に深く背を預け、蝋燭の炎を見つめながら呟く。
「……焔は、再び時代を動かす。
だが、燃やすのは敵か、それとも我らか――」
誰も答えなかった。
議場の窓の外では、灰のような雪が静かに降り続けていた。
⸻
一方その頃――ツバサは訓練場にいた。
薄曇りの空の下、焦げた木人を相手に焔を灯す。
掌の熱は、昨日よりも少しだけ穏やかだった。
「……もっと、静かに灯せ」
ハガネの声が背後から響く。
ツバサは頷き、ゆっくりと息を吐いた。
紅蓮の光が心臓の鼓動と重なり、
まるで自分の“生”そのものを刻むように燃えていた。
ツバサは知らない。
その焔が、すでに外交の駒として各国に名を刻まれたことを。
評議会が、彼の存在を“戦略”として利用し始めていることも。
⸻
焔の目覚めは、風のように世界を駆け抜けた。
灰隠の使者が走り、報告はすぐさま各国へと伝わる。
⸻
焔牙国(えんがこく)
赤黒い山脈に囲まれた火の国。
溶岩の熱気が漂う王城の奥、
鎧をまとった将軍が報告書を握りつぶす。
「焔印の術師、だと……?」
炎の玉座に座る若き王・バルザークが目を細める。
その瞳には、憤怒と歓喜が混ざっていた。
「――神代の焔が再び揺らめくか。面白い。
ならば我ら“焔の民”こそ、それを手に入れる権利がある。」
王の声は、まるで火山の唸りのように低く響いた。
⸻
翠風国(すいふうこく)
青緑の森を渡る風が、無数の鐘を鳴らす。
高塔の上、白衣の女王〈シエラ〉は書簡を読み終えると、
長い髪を揺らしながら静かに微笑んだ。
「……やはり、時代は動き始めたのね」
側近が問う。
「陛下、どうなさいますか?」
シエラは空を見上げ、灰隠の方角を見据える。
「観測を続けなさい。焔印は風を呼ぶ。
ならば私たちは……その風を読むだけ。」
その微笑には、穏やかさと底知れぬ企みが同居していた。
⸻
鋼印国(こういんこく)
鉄と歯車が軋む音。
地下深くの機構都市で、老将〈グラム〉が机を叩く。
「馬鹿な、焔印が再現しただと? あの災厄が――」
隣に立つ研究官が震える声で答える。
「灰隠のアカデミーで、正式に制御に成功したとの報告が……」
グラムは鋼の義手を見下ろし、低く呟いた。
「……理(ことわり)が歪む。
九根は封じたはずだ。
再び開かれたとなれば――また戦になるぞ。」
⸻
聖光国(せいこうこく)
白亜の聖堂に光が降り注ぐ。
祈りの歌声の中、
純白の法衣を纏う教皇〈ルミナス〉は報告書を手に取り、
ゆっくりと目を閉じた。
「焔の印……」
静寂の中で、彼の唇が小さく動く。
「――“神の再来”か、“異端の胎動”か。」
やがて瞳を開き、冷ややかに命じた。
「灰隠を観察対象に指定しなさい。
焔が灯るならば……必ず影も生まれる。」
ステンドグラスの光がゆらめき、
まるで天が笑っているかのように、聖堂を染めた。
⸻
こうして、世界は再び動き始めた。
焔を中心に、風が、鋼が、光が――それぞれの理を揺らめかせながら。
その中心に立つ少年、ツバサは、まだ知らない。
自分の“灯した焔”が、やがて九つの理を巡る戦いの
第一の火種になることを――
午前の光が差し込む講堂。
整列した卒業生たちの前に、教官たちがずらりと並んでいた。
空気は張りつめている――だが、どこか期待の匂いも混じっている。
教官代表として一歩前に出たのは、あの男だった。
灰隠最強の風遁使い、〈クロウ〉。
相変わらず無造作に結んだ髪と、眠たげな目つき。
だがその場にいる全員が、本能で“只者じゃない”と理解していた。
クロウは欠伸をひとつ噛み殺すと、手元の紙を片手でひらりと持ち上げた。
「それじゃー、これから班を発表するねぇ。
寝てるやつ起きろよ? お前らの人生、今から決まるから」
教室の空気が一瞬で引き締まる。
彼の軽い口調の裏に、底知れない圧があった。
クロウは名簿をちらりと見て、面倒くさそうに続ける。
「ツバサ、ユナ、そして――僕、クロウとその弟子カイ。
以上、〈第2班〉でーす」
その言葉に、ツバサの心臓がどくんと鳴った。
隣ではユナが「えっ、クロウ教官の班!?」と小さく声を上げ、
周囲の生徒たちもざわつき始める。
「おいおい、“灰隠最強”が直々に?」「それ、優等生チームじゃね?」
「いや、あの“焔印”がいるんだぞ……監視だろ」
ざわめきが広がる中、ツバサは無言のままクロウを見た。
クロウは気怠そうに片手を上げ、
まるで「まぁ頑張れよ」とでも言うように軽く笑っている。
その横では、カイが腕を組みながら一歩前に出た。
「……また一緒かよ、ボンクラ焔」
挑発するような口ぶり。
けれどその表情には、どこか懐かしさが混ざっていた。
ツバサは眉をひそめ、息を吐く。
「……言っとくけど、俺もお前には負けねぇ」
「へぇ、卒業試験みたいに燃やすなよ?」
「うるせぇ」
ユナが小さく笑って間に入る。
「……ふたりとも、もう少し仲良くしようよ。これから班なんだから」
クロウはその様子を見ながら、顎を軽く掻いた。
「ま、仲が悪い方が伸びるって言うしな。
――それじゃ、第2班。今日からよろしく。
明日から地獄みたいな任務が始まるけど、死ぬなよ」
軽く笑いながらも、目だけが鋭く光っていた。
その一瞬、ツバサは思う。
この男の“風”は――嵐の予感がする。
こうして、灰隠〈第2班〉が誕生した。
焔と風、癒しと影――
それぞれの想いが交わり、やがて運命を動かす小さな渦となっていく。
だが、この編成には“表向きではない理由”があった。
本来、カイはツバサより一学年上。
通常ならすでに別の任務班に所属しているはずだった。
だが――カイのかつての班〈第4班〉は、任務中に壊滅。
彼だけが生還した。
それ以降、彼の名には別の呼び名がついた。
“死神(リーパー)”。
仲間が次々と倒れる中で、彼だけが立ち続ける。
その異常な生存率と、任務成功率の高さが噂を広げた。
皮肉なことに、彼の“強さ”は同時に“呪い”のように恐れられた。
灰隠上層部は判断する。
――カイの潜在能力を完全に制御できる者は、クロウ以外にいない。
そして、焔印を持つツバサの監視にも、彼の存在は都合が良い。
こうして、クロウは二人の弟子を抱えることになった。
ひとりは“燃やす者”。
もうひとりは“死を呼ぶ者”。
その組み合わせを“偶然”だと思う者は、もう誰もいなかった。
焔影の子ら― 無印の少年、禁忌の焔で世界を焦がす ― yoU @Maybe__fireworks
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