オスマンサスの魔女に手を引かれて

佐渡 寛臣

オスマンサスの魔女に手を引かれて

 気が付くと、中学校の帰り道に智菜はいた。強い西日に目を細めて、辺りをきょろきょろと見回す。いつもの住宅街、高い鉄塔を見上げて夕暮れに染まりつつある空を見つめた。いつの間に帰っていたんだろう。智菜はどうにもぼんやりとしてはっきりしない頭を掻いてとぼとぼと帰路についた。

 近頃、いつもこうだ。学校では気を張っているからいつも通りに過ごせているのに、帰り道、一人になると、途端に頭がぼんやりとして気が付くとこうして道端でハッとする。そんな毎日を繰り返していた。

 原因はわかっているけれど、智菜はそのことを考えたくなかった。一度頭に思い浮かべてしまうと、どうしようもなくそのことばかりになってしまって、つらくて泣いてしまうから。

 ぶんぶんと頭を振った。考えを追いやるようにまくしたて、顔をあげるとふと不思議なことに気付いた。


 立ち並ぶ住宅街。ぎゅうぎゅうに詰められたかのように並べられた家屋間に、見知らぬ細い道があったのだ。


 ちょうど西日が真っすぐと正面に来ていて、その細道の先はわからない。智菜は何故かそれが気になって恐る恐る近づいた。今までぼうっと通り過ぎていたから気付かなかっただけだろうか。アスファルトはそこから途切れて、砂利道になっていて、智菜は制服のスカートのすそをちょっと握って一歩踏み入れてみた。

 ふわりと金木犀きんもくせいの香りが鼻にかかった。


「良い香り……」


 智菜はそっと静かに足を進める。じゃりじゃりと未舗装の道を、靴越しに土の感触を感じながら歩く。次第に道の両脇に雑草が生い茂り、小さなランタナの花がいくつも色鮮やかな顔を見せてくれる。


「あ」


 道の先に女の人がいた。黒と青のドレスのような服に、真っ黒の帽子。黒いレースの手袋をして誰かを待っているようにそこに佇んでいた。女性は退屈そうにため息をついてふと智菜に気付いて目をぱちくりとさせた。


「あら、お嬢さん。珍しいわね」

「……こ、こんばんは」


 挨拶をすると女性はにっと口の端をあげるだけの微笑を浮かべて智菜の傍に近づいてきた。


「――どこから迷い込んだのかしら……困ったわね。こんなに進んでしまっては引き返すのは難しいかしら」

「え?」


 女性は顎に手を当てて少し考えるそぶりを見せてから智菜の肩にそっと手を置いた。少しびっくりしたけれど、智菜はどうしてか嫌に感じなかった。


「私と一緒に来てくれるかしら。悪いようにしないから。少し話を合わせて欲しいのよ」

「話を……合わせる?」

「えぇ。今からちょっとした集会があるんだけど、お供を一人連れていなくてはいけなくて」


 そういって、女性は手に持った小さな鞄から、手のひらに収まるくらいの小さな小袋を取り出した。ふわりと金木犀の香りがする。


「これを持って、ついてきてくれないかしら」


 日はゆっくりと落ち始めている。家に帰るのも億劫だった智菜は少し考える。ちらりと女性を見上げると、本当に困った様子をしていて、断るのも気が引けた。遅くなったところで、親はそうそう怒りはしないだろうし……。と智菜はこくりと1つ頷き、金木犀のポプリを受け取った。




 女性の後に続くように、智菜が細道を歩く。言葉は交わさず、ただ静かに後ろをついていく。気が付くと足音が1つしかしない。女性は音もなく静かに歩くものだから、やけに自分の足音が目立って聞こえて、智菜はなんだか恥ずかしくて、静かに歩いた。


 そうしてしばらく歩くと開けた場所に出た。奥に大きな木が見え、木を取り囲むようにいくつかのテーブルが並べられていた。そしてドレスで着飾った女性たちがカップを片手に歓談していた。その誰もが、黒服の女性と同じように大きな帽子を被っていた。いくつものガーランドが頭上にかかり、木の枝に引っかけられたたくさんのトーチがオレンジの光を灯していた。


「あの……これって何の集会なんですか?」

「ああ、伝えていなかったわね」


 女性は顔を近づけて、智菜に耳打ちするように言った。


「これは魔女の集会なのよ」


 智菜はぽけっと目を見開いてぱちくりとした。女性はちょっと困った顔をして続ける。


「年に数度、この町に暮らす魔女たちが集まって茶会を開くのよ。秘密の道を開くんだけど、時々迷い込む人がいてね。元の道へ戻すには会場を一度通らなくちゃいけないくてね。だからついてきてもらったの」

「魔女の茶会……」

「こんなところ、ほんとは生身で来てはいけないの。だから、絶対に私の傍を離れちゃダメよ」


 ――生身で、という言葉が引っかかり、途端に智菜は怖くなった。けれど目の前の黒服の女性は智菜を落ち着かせようと肩に手を置いてくれる。その手には温もりが感じられて、怖く感じた智菜の心が静かに落ち着くのを感じた。


「匂い袋も手放さないようにね。それは私と存在を近づけてくれるから」


 智菜はこくりと頷いた。何故かこの黒婦人の言葉だけは信じて大丈夫なような気がした。女性はこくりと頷いて立ち上がりぴんと胸を張った。智菜は肩に手を置いて大きく息を吸い込み、1つ頷いて顔をあげた。


 彼女の足取りに合わせるようにそっとその後をついていく。テーブルを回りながら、出会う魔女たちと歓談をする。


「やぁ、オスマンサスの魔女! 今日は新しい眷属を連れているのかい」

「えぇ、初めてのお茶会だから緊張しているの。そっとしといてあげてね」


 女性はオスマンサスの魔女というらしい。相手の魔女は恐ろしいほどに美しい顔立ちをして、じっと智菜を見つめてくる。品定めをするような、そんな目線だ。


「器量はよくないね。人間かい?」

「えぇ。でも器量が良くないというのは聞き捨てならないわね。まだ化粧も知らない子どもだもの。これからよ」

「へぇ。まぁいいけれど、せっかくのお茶会だよ。もっと着飾ってやればいいのに。こんな感じに」


 そういって魔女はふっと指を振った。すると智菜の身体に光がまとわりつき、智菜の洋服が派手な可愛らしいドレスへと姿を変える。智菜は思わず恥ずかしくて身を縮めようとした。


「まったく趣味が悪いわね」


 そういってオスマンサスの魔女が指を振ると、ドレスはオスマンサスの魔女と似た黒色のクラシックなデザインのドレスへと変わった。ぽんぽんと、髪飾りも増え、ふわりと光が顔を撫でる。顔には薄っすらと化粧が乗った。


「ほら、この通りよ」


 どこからともなく鏡を取り出して、智菜に手渡す。そこには落ち着いた化粧をした智菜がいた。生まれて初めての化粧した自分の顔に驚く。


「綺麗よ」


 オスマンサスの魔女がそう言って微笑み、智菜の手を引いた。智菜はだんだん状況が楽しくなっていくのを感じた。

 それからいくつものテーブルを回って、色んな魔女に会った。皆、オスマンサスの魔女に連れられた智菜を面白がって話題にし、色々な魔法を見せてくれた。智菜はそれが楽しくて最初に抱いた恐怖心も忘れて笑っていた。

 そんな笑顔をオスマンサスの魔女は見つめて目を細める。それはどこか悲し気に見えて、ふと智菜は魔女に訊ねた。


「どうかしましたか? 私、気を緩めすぎましたか?」

「いいえ。楽しんでくれたならそれでいいのよ。さぁ、そろそろ帰りましょうか」


 そう言って、オスマンサスの魔女は魔女のみんなに挨拶をして茶会を後にした。来た道に足を踏み入れるときに魔女は言った。


「ここからは、振り返ってはいけないの。来た時とは逆に、今度はあなたが前を歩いてちょうだい」

「はい、わかりました」


 智菜は言われるままに魔女の前に出て、一歩先を歩く。歩くたびに自分の足音が響き、その後ろから静かな足音が響いた。


「――今日は楽しかったかしら」

「はい。とても……びっくりしました」

「そう? 最初に見た時、落ち込んでいたように思えたからよかったわ」

「え?」

「魔女だからね。わかるのよ。気持ちの浮き沈みがね」


 オスマンサスの魔女はそう言う。振り返りそうになるのを堪えて智菜はゆっくりと道を進む。


「飼っていた猫が亡くなったんです。私が生まれたときから一緒にいたから大往生だったんですけど……」


 黒猫のリリ。智菜にとっては猫のお姉ちゃん。写真を振り返れば、寝返りをする智菜を見つめ、ハイハイする智菜を追いかけ、小さな手で撫でられてくれた。猫じゃらしで遊んで、テレビを見ている時は膝に乗ってくる。見つめあえばゆっくりと瞬きをして、いつだって傍にいた。


「――でも少しずつ忘れていくのかと思うと怖くって。いないことに慣れていくのが私はつらい」

「そう……。大切に想う子がいなくなるのは寂しいわね」


 魔女が呟き、また智菜の肩に優しく手を乗せた。温かな感触と重み。リリが小さな頃、肩に飛び乗ってきたことを思い出して、ほろりと涙が零れた。


「でも忘れていいのよ。大切に想っていてくれるなら、忘れても、残るものがあるでしょう?」

「残る……もの?」

「そうよ。記憶がどれだけ薄れても、智菜の心に残っている気持ちがあるなら、それでじゅうぶんだから」


 そう言って、魔女は手を放し、足を止めた。智菜は振り返らずに、一歩前へ進むと、普段の路地に出ていた。振り返ると細道はなくなり、塀と塀の僅かな隙間があるだけだった。リンと鈴の音が鳴った。聞き覚えのあるリリの鈴の音。


 夢でもみていたのだろうか。辺りを見回すと、見覚えのある公園があった。


「――ここ……お母さんがリリを拾った公園……」


 金木犀の香りがした。公園を覗き込むと地域猫だろう、猫の小屋がちょうど金木犀の木の下に置かれていた。大きな黒猫が智菜を見てニャーと鳴いた。

 智菜はスカートのポケットに手を入れると、小さな小袋が出てきた。ふわりと金木犀の香りが広がる。


 智菜はもう一度振り返る。そこには何もないけれど、彼方の記憶から鈴の音が空へ響いた気がした。

 胸に手を当て、一つ頷く。


「ありがとうね、リリ」


 強い西日に目を細め、智菜は胸にとんと手を当てた。やっぱり少し寂しいけれど、胸の奥に確かに感じる温もりにほろりと微笑がこぼれて落ちた。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

オスマンサスの魔女に手を引かれて 佐渡 寛臣 @wanco168

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ