第16話:聖女の病欠
その日の朝は、いつもの目覚めとは違っていた。
アラームのけたたましい騒音ではなく、柔らかな光が目蓋の裏を優しく撫でる。
変な夢を見ては起き、体の向きを変えてはまたうなされる浅い睡眠を繰り返して持ち上げた瞼は異様に重く、視界もどこかぼやけていた。
(アラームが鳴っていないのにこんなに明るいということは……寝坊!?)
私は慌てて、妙に熱っぽく重たいが休むわけにはいかない体を横に転がして床に着地する……はずだった。普段ならば足がつくはずなのにまだベッドが続いているのだ。
あんな八畳間にこんな大きなベッドが入る訳ない、まだ夢の中にいるのだろうか?重たい瞼を擦り、顔を傾けた先を見れば、そこには天蓋から垂れている薄い生地のカーテンが揺れていた。そこで私は、ようやく我に返った。
──ああ、そうだった。私はもう死んでいたんだった。
ただのサラリーマンであった『鷹野瑞穂』は死に、今はこのハイリゲンシュタインの聖女、ルツィアとして転生していたのだ。私は朦朧とする頭で髪を一束指へと引っ掛けて、その色を確かめる。
プラチナブロンド──生まれてからずっと、常にこの髪と共にあったという実感が、じわじわと手元から戻ってきた。そしてこの体を蝕む熱感と関節痛、喉の痛みへの自覚も強まり、寒気にぶるぶると震える体に布団を被り直したところで、私は部屋の中が妙に静かであることに気が付いた。
いつも私のそばで仕えていたはずのアメリアがいない。
この一連の衣擦れの音に彼女が気付かないはずはなく、天幕に包まれていても分かる、がらんとした部屋の静けさが不在を物語っていた。無人なのか、それともかなり離れた場所に他の侍女がいるのかもしれない。ついでに、私が目覚めた途端にやってくるわけでもなく、寝ているか起きているかを定期的に確認しに来ている気配もないことも分かる。
寝ていても起きていても、何も起きない。なんて静か。
私は聖女として目覚めてからおそらく初めてであろう、完全なるオフの中にいた。
◇◆◇
私は、引き続きうつらうつらと寝床の上で過ごしていた。もうずっとこのままでも良いかもしれないという淡い期待は、唾液を飲むのもつらい痛みと発熱由来の頭痛によって阻まれていた。このつらささえなければ、これは私の求めていた安寧そのものだったのにと、ベッドサイドテーブルへ置かれていた新しいポーションを飲み干し、良薬の苦さに堪らず顔の中心にぎゅっとシワが寄る。
肉体的な辛さとともに続く長い静寂は一過性のものではなく、なおも私に与えられていた。
しかし、耳をすませば扉の外では何らかの喧騒が確かに存在している。体を起こして確かめる気にはならないが、おそらくアメリアやヘルマン達が教会を巻き込んでなんらかの動きをしているのだろう。だが私には声がかからないし、探す声もしてこない。つまりはすべてがうまく回っているか、『聖女の御業』を必要とするような事態にはなっていないと考えられる。現状、可能そうだとはいえ、手離れできていない業務が大半の中で静養が叶うというのはありがたいことだ。
とくに、『大結界』の維持が出来ているであろうことは、この先の手離れへの大きなヒントになるだろう。
……ああ、今は考える必要もないのに何故仕事のことばかりが頭によぎるのか。
私は過労死してもなお残る自分の生真面目さに、改めて嫌気がさした。そして高熱にうなされ、悪夢のように記憶が呼び起こされる。
前世ではどれだけ頑張っても『でも女性だからな』と全く理屈の通らない古びた思想によりろくに評価もされず、客先でも評判の悪い後輩に、男だからという理由だけで昇給とリーダーの立場をさらわれる。こちらがどれだけ気を使って根回しをしても、「まさかこんな事忘れちゃいないだろう」ということまで忘れている管理職へリマインドをして未然にトラブルを防いだとしても、結果が出ればすべて管理職ひとりの手柄になっている。女性かつ自分より年下だからという理由で、自分の会社内では決してしないであろう、ほぼ業務放棄に近い成果物の世話をさせられ、父親のような年齢をしている“高給取り”による子供のような悪態に晒された日々。あぁ、「今日はあの美人の先生は来てないの?」とも言われたっけ。コンサルタントを接待要員のように見る見下げ果てた役員クラスもいたな。
この、偏見に晒され続け、終わらない疲弊の中で仕事をしていた転生前に比べたら、今の立場は本当に恵まれていると思う。一部例外はあったものの、『聖女』と見れば皆、私の意見をまともに聞く耳を持ってくれる。侮らず、意味も理由も、道理もあるものとして受け取ってくれるだけで、仕事の進みというのはここまで違うものかと唖然としていたのだ、内心。
しかし、それでも私は──この静寂がいい。
すべてを投げ出して、最初からこのひとりの静寂に逃げ込めばよかったのかもしれない。どうして突然放り込まれた異世界に対して、なすべき責任を感じてしまったんだろうと、ずきずきとする頭がさらに脈打つ。
一度始めた以上、もう途中で投げ出すことは出来ない。その一線を超えられていたら私は過労死などしなかっただろうから。今は協力してくれる彼らとともに、属人化した聖女業務をひとつひとつ標準化していくことが、隠居という『何もしない自由』を得るための唯一の道だ。枕に頬を寄せ、鼻を啜る。
私はこの自分を奮い立たせるための自動思考をしてしまってから、ふと気が付いて、肩から力を抜いた。
(そうだ、彼らが私と共に仕事をしてくれるのも、『聖女』という立場があってこそだ。)
(じゃあすべてを標準化して引き継ぐことが出来たら、『聖女』をやめたら──どうなる?)
私は、すべての業務の手離れを実現できたら、今のような静寂と安寧を手にすることが出来るだろう。周りに誰もいない、誰も私を呼ばず、見ない。きっと、そんな自由を得るはずだ。隠居をしたいとひたすらに考えて改善に邁進してきたが──いざ隠居の身になったら、その時私は何を望むのだろうか。
すぐに行きたい場所が描けるほど地理も分からず、いわゆるバケーション的なものも想像がつかず、思い浮かぶのは毎朝の食事の風景だった。
(前後どころか最中だって仕事のような食事なのに。よほど熱で弱っているな、心身ともに。)
私はこれ以上は何を考えても良い結果は産まれないと、くたびれきった体の求めるままに瞳を閉じた。部屋の外から遠く聞こえる足音のざわめきがなぜかちょうどよく、寝入るのにそう時間は掛からなかった。
次の更新予定
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『聖女業務』の属人化、解消します。 〜元コンサル聖女の使命標準化計画〜 すみふじの @plotlab
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