第15話:聖女不在の検討会(後編)
夜とは、夜である。人が眠り、人ならざるものが跋扈する時間であり、外出などもってのほかであり、起きているのはその日夜警の番をする騎士か、野盗くらいなものだ。蝋燭やランプなど炎の灯りを手に入れたことで恐怖の時間という意味は徐々に薄れ、多少なりは日が暮れてから活動することは出来ていても、誰も好んで行いはしない。特に庶民や信心深い者たちは未だその忌避を抱いていることが多い。
そんな夜の時間を、その文化的背景を誰よりも理解しているであろう人物──アーネストが、昼のように活用しようと言ってのけた。
『僕、夜も使いたいんですよね』
『設備を増やせないなら時間を増やすしかないと思って』
『騎士の皆さんは、寝ずの番に慣れていらっしゃるんですよね?』
ヘルマンは、アーネストによる全く悪意のない純粋な確認に対し、首を縦に振っていいものか判断しかねていた。彼より長く生きてきた分だけ染み付いている習慣が警鐘を鳴らしていたからだ。それと同時に、この手の“生理的嫌悪感”は効率化された反応であり、そう反応する理由は自身の中で明示的であるはずだろうことも、人生の経験として持ち合わせていた。慎重に、懸念に対しひとつずつ理性を当てはめていく。
「……おっしゃる通り、騎士は夜警も任されております。しかし、工房を夜にも稼働させるための課題は他にもございましょう。」
「やっぱりその課題は大きな壁でしょうか?うーん……でも僕はやり方次第な気もしているんです。」
やり方次第であるというアーネストの目論見にはヘルマンも頷いて同意を示す。しかし、彼が思っている以上に慎重に事を運ぶ必要があるとも感じていた。
「まず第一に考えるべきは灯りの確保、そして火災を防ぐことですね。今回は予算に限りはないと聞いていますので蝋燭や油の心配をせず済みそうですが、ポーション製造の火に加えて灯りの火も寝ずの番となりますと、教会職員では荷が重いでしょう。」
「ですが、騎士の皆さんなら寝ずの番も火の世話も慣れてらっしゃると。」
ヘルマンは、おそらく誰も盗み聞いてはいないだろうが、声量を落として返答した。
「ええ。しかし教会ははたして許可するでしょうか?『名代』の力はあっても、ただでさえ信心深き者は忌避する夜間の活動です。押し通せば教会側の猜疑心を生み、万が一
アーネストはつい先刻まで顔を合わせていた両者を頭の中へ思い描くよう目を閉じ、ヘルマンが提示した『最悪の想定』に比較的容易に辿り着きそうな現状に肩を落とした。民の命を度外視すれば、教会の権威を削ぐまたとない機会と考えられる。教会も教会で、うまく立ち回ることで更に求心力を高め、民から国への忠誠に勝る信心を獲得できる機会でもある。
「こんな非常時にそんな心配までしなきゃいけないなんて、厄介だなあ……。」
「同感です。」
しかし、需要が高まれば高まるほど遅延要因になってくるであろう蒸留工程には、手を打たなければならない。教会職員──熟練工を使わず、騎士を使わず、小火の可能性を下げられるだけ下げるとなれば、もう使える材料はひとつしかない。アーネストはその名前を躊躇なく口に出す。
「そうなると、夜間はすべて魔法の火で動かしたらどうですか?魔法ならば文字通り“火種”にもなりません。……ああ、なんなら灯りも魔法で賄えそうですし、続く作業に騎士を動員すれば全工程の夜間稼働もいけますよ。」
夜間の魔術師活用は先に挙げた懸念の多くを解決することができる。アーネストは魔法による灯り確保の可否を確かめるべくテオフィルスを呼びつける。アメリアと何やら言い争いをしていたのか、その眉間には皺が刻まれている。一見すれば問題がなさそうなアーネストの提案だったが、前提条件に抵触する危険は高まると見ていた。テオフィルスはアメリアの絵が下手すぎるだとかイメージを固めるのにかえって邪魔になるだとか一頻り文句を言ってから、魔法による灯りの代替は可能であると答えた。しかし、続く工程を担当する事については、ヘルマンが予想していた通りの答えを出した。
「いや、魔術師に混合はやらせない方がいいだろ。絶対に横にバラすぞ。魔術師はそういう時には連帯する生き物だ。しかも夜だろ?騎士を買収してだって情報取りにいくに決まってる。むしろ加熱と冷却以外触らせないでいい。」
テオフィルスの身内を身内とも思わぬ言い様に、ヘルマンの頭に魔術師協会訪問の記憶が鮮やかに蘇り、小さくため息をこぼした。アーネストは一度その目を丸くしてから、再びがっくりと肩を落とす。
魔術師に限らず、多くの騎士……教会職員ですら、聖女ルツィアやリヒターの一族のようには高潔であり続けられないものだ。使命を尊ぶ者もいるが、明日の我が身や飯の種を重要視する者もいるし、誘惑に負ける時は負ける。現場の不条理は本来恥ずべきものかもしれないが、考慮すべきというヘルマンの経験を、テオフィルスの見ていた現実が補強する形となった。
「やはりそうか。その調子だと、昼夜問わず魔術師が他の部屋に出入りしないよう監視する必要もありそうだな。」
「他にぶら下げられる餌があればいいんだけどな。すぐ金になりそうな話とかないのか?」
『餌』には心当たりがあるのか、アーネストが口を開きかけたがすぐに頭を振った。
「あるにはあるけど……決まってない話だからちょっとなあ。報酬を多めにするくらいしかできないや。」
「でしたら、教会と王宮双方からの報酬という名目でお渡ししてはいかがですか?いくら魔術師の方々が名誉を軽視されていたとしても、国の双肩から労われるのであれば多少は効果があるのではないでしょうか。」
いつの間にか『絵が下手』であるらしいアメリアが検討の輪の中へと戻ってきていた。魔術師に対して言葉を選んでいないのは先の言い争いが関係しているのだろうかと、アーネストは二人の様子を交互に眺めては、困ったように眉を下げた。ちらりとヘルマンの反応を窺う。その視線に気付いたヘルマンは、彼らの間の火花はもうないと返答する代わりに頷いて返した。当の魔術師はぼやいていた文句のことももう忘れたのか、魔術師評はまるで気にせずに質問に答えた。
「そうだな……カスパーほど教会を毛嫌いしてる奴もいねえし、気分はいいんじゃねーの?ついでに聖女名義でもなんか出しときゃいいだろ。」
アメリアは『聖女名義』についてはテオフィルスに言われて初めて気付いたようで、あっと声を漏らした。魔術師本人がそう言うのであれば魔術師への『餌』はこれで十分であろうと四人の中で合意が得られたところで、アメリアが再び口を開いた。その不満げに細められた瞳はヘルマンへと向けられた。
「ところでヘルマン様。こんな大事な話にどうして私にも声をかけてくださらなかったのですか?休息の時間である夜にまで工房を動かすなんて……こんな無茶な働き方、ルツィアは決してお許しにならない。分かっていらっしゃいますよね?」
アメリアとヘルマンには、その聖女ルツィアの思想に基づいた行動に覚えがあった。それは初対面のときだ。従者である自分たちに「雇用契約書」なるものを見せ、休暇日を設けよとまでおっしゃったのは記憶に新しい。ヘルマンとてその衝撃を忘れたことはなく、ルツィアの名代たるアメリアへは、すべての問題を解決してから判断を委ねようとしていたと弁明した。その言葉にアメリアは胸の前で両手を組み、おさげを左右へ揺らす。
「だめです、それは。私はルツィア様や皆様のように賢くないのです。話のはじめから聞いていなければとても理解が追いつきません。しかしこれだけは分かります。ルツィア様ならば、労働時間か、労働に対する消耗を可能な限り減らした上で──夜の稼働を決行なさるでしょう。」
アメリアの言葉に全員が、各々の聖女ルツィアを思い浮かべた。この決定に至るまでの彼女の姿は接した時間や態度により異なるものであるだろうが、決断の内容には誰も異論がなかった。そしてアメリアは、ルツィアであれば常々繰り返すであろう、もっとも考慮すべき前提を再度共有する。
「それに、いちばん大事なことを忘れてはいけません。私たちはもちろん製造に関わる皆様も、絶対に病に罹ってはならないのです。集団看護もありますし、教会の中で感染が広がってしまってもだめです。効率の話ばかりをされていましたが、皆が病に立ち向かう体力と気力を維持できるような働き方を考えなければいけません。」
アーネストはすっかり忘れていたと言わんばかりに手を打った。その全く悪気のない反応にはテオフィルスが大きくため息を吐く。小突いたり文句を返したりと気安いじゃれ合いをする二人をよそにヘルマンは顎に手を添え、『消耗を最低限にし、かつ昼夜の稼働を可能とする働き方』について検討をはじめた。おおよその見当をつけた提案に、アーネストが同意を示す。
「まず教会職員の稼働は日が暮れるまで。魔術師は日中、夜ともに蒸留工程のみに従事させる。騎士は夜間も動かせるが、魔術師との接触を避けるとなると蒸留工程と混合工程を跨いで担当させることは危険。となれば、追加した魔術師が担当する蒸留器一台のみ夜間に動かし、我々のうち誰かが必ず管理に立つ──といった運用になりますでしょうか。」
「ええ、想定より大分小規模にはなりますが……やらないよりは全然いいでしょう。夜に動かした魔術師は翌日は休ませておいた方が調子もいいでしょうしね。消耗が少ないようならもう一台くらい回させても管理はしきれると思いますよ。テオ、魔術師はすぐに火とかの調整を覚えられそうなの?」
「程度と時間についてはやってみてそれぞれ調整だな。設備の規模的には一台に多くて火二人、冷却一人くらいだろ。下手なやつがいれば抜くか二人でやらすし、慣れたら一人ずつでやらせたい。習得までの面倒は俺と元々の担当で見るけど、そいつらも日中毎日出ずっぱりって訳にもいかねえんだろ?」
通常の勤務であれば毎日だろうが、『病に罹らないように』となれば休養は普段より多く必要になる。アメリアはテオフィルスの質問に深く頷いた。そしてヘルマンに向き直り、残る懸念事項について尋ねる。
「ヘルマン様。普段騎士の方々が夜間に動かれる際は、どのようにお休みを取っていたんですか?」
「夜に勤めた次の日は非番になることがほとんどだ。その場で仮眠室に入る者もいるし、飲んで帰る者もいる。」
「なるほど。でしたら非番、夜勤に……午前、午後の四種類の時間で当番表を作りましょう。私、当番表作りは得意ですから!」
図示の失敗を挽回しようとしてか、アメリアが威勢よく答えた。当番表作りは自分も当主として似たようなことをしていると名乗り出たアーネストとともに、人員が確定次第作成することとなった。秘密保持のために出入りする人間の名前と顔を覚える役割はアーネストに一任し、魔術師を他の職員から隔離するための動線作りはヘルマンが、アメリアは主に混合や運搬現場の管理、テオフィルスは蒸留工程における魔術師の管理を担当することとそれぞれ決めた。概ね決めることは決めきった段階で、ヘルマンは最後にして最大の懸念事項である人物の名を挙げた。
「残るは……ルツィア様の警護だ。王宮としても力の入れどころであり、各組織の人間が入り乱れる場となる。あのカスパー・フォン・ウェーバーが無関係を貫くとはとても思えない。必ず王宮側で任を受けつつ、手駒を使ってルツィア様を害さんとするだろう。私と、テオフィルスの当番表にはルツィア様の警護時間も必ず含めてくれ。我々以外の担当者は騎士の中から私が選ぼう。」
「げっ、俺もかよ……。まあ魔術師相手になるし、仕方ねえ。」
了承はするものの相変わらずの態度であるテオフィルスを、ヘルマンがひと睨みする。戦闘能力がある人間しか担えないのだから仕方ないと言わんばかりの冷たい視線ではあるが、一定の信頼はあるのだなとアメリアとアーネストは互いの顔を見合わせた。製造工程への直接の妨害については、立場上考えにくいだろうという意見で一致した。狙われやすい運搬や、急所である蒸留工程にはほぼ戦力たる二人がつきっきりになるためである。他の構成員に比べて四人の負担は大きいが、それぞれの場を束ねる者としては“仕方がない”、各自体調管理に留意することで決定とした。
それから四人は各自なすべき準備に奔走した。アメリアは名代の権限においてポーション製造または集団看護人員の確保、口布の製造指示と配布、聖女ルツィアの看病とそれを任せられる侍女の選定を行った。ヘルマンは騎士団の動員と、内部から適任者を選んだ上で運搬ルートの構築と警護要因の選定、さらには騎士が“ポーション製造の一工員”となることへの不満を先に封じるため、然るべき役職者からの号令を出させるなど政治な楔も打っていった。テオフィルスは実用派所属の魔術師達の中から“一応”有能かつ悪辣でない人間を選び出し、『餌』で釣り上げた。そしていち早く火の調整や冷却の手順書を魔術師用へ翻訳して訓練を開始させる。そしてアーネストは、一族の中から入退室管理に必要な人数を選抜、彼らとともに出入りするすべての人間から署名を取り、その顔と名前、声までもを完全に“記憶”へと刻みつけたのだった。
ポーション増産による疫病への対処は、盤石に進んでいった。聖女不在であったが、聖女ルツィアは確実に彼らの中にその意思を残し、民を救うための無私無欲で徹底したシステムを生み出した。その最後にして最大の課題は、試運転を終え、試作となる量産ポーションが完成するまでは誰も想像だにしなかったものであった。
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