忘れ去られしエルドラド

をはち

忘れ去られしエルドラド

第一章 帰郷と喪失



梶山元治は、大学を卒業しながらも歯科医師国家試験に落第し、免許を取得できずにいた。


都会の喧騒を背負い、故郷の過疎集落へと向かう電車の中で、彼は車窓に広がる荒涼とした田畑をぼんやりと眺めていた。


父が営む梶山歯科医院を継ぐ。


それがすべてのはずだった。駅に降り立ったとき、父はすでに息を引き取っていた。


過労による心臓発作。


木元綾子――父の医院で長年勤めていた歯科助手――が、元治にそう告げた。


彼女の目は腫れぼったく、疲労の影が深く刻まれていた。


この集落には、古くから梶山家ただ一軒が歯科医院を構えていた。


村人たちは皆、父を頼りにしていた。


葬儀は村中が集う、盛大なるものとなった。


元治は、医院を継げぬ事情を逐一説明するのに、嫌悪を覚えた。


父の死はあまりに唐突だった。


火葬場の炉から取り出された骨を拾う際、灰の中に小さな金色の輝きを見出した。


父の金歯だ。そういえば、数本入れていたな。


元治は無造作にそれを拾い上げ、自らの手で加工すると、前歯にはめ込んだ。


そのときは、それ以上の意味など考えられなかった。






第二章 遺産の影



木元綾子は五十代半ばだった。


長年医院に尽くしてきたというのに、再就職などという選択肢は頭の片隅にもなかった。


「退職金すら出ないなんて」


彼女は元治に向かって、声を荒げた。


医院の帳簿は真っ赤だった。


父は金儲けより患者を優先した男だった。


元治は父のデスクに腰を下ろし、埃まみれのカルテをめくった。


膨大な数。


父はここに落ち着くまで、各地の病院を転々としていた。


都市部は歯科医が溢れ、田舎は不足している。


そう言いながら、過疎化する村を一つずつ見届け、次の村へと移っていった。


カルテは父の患者であり、父の遺産だった。


「おやじ、一円にもならねーな」


元治は呟いた。


だが、次の瞬間、カルテに目を落とした手が震えた。


金歯の記録が無数にあった。


この辺りは昔、土葬の習慣だった。


戦後間もない頃、金が安価だった時代、金歯を入れた老人が多い。


土の中に埋まっている。


「綾子! どうやらあんたに退職金渡せそうだぜ。俺も、この体中にゴールドを浴びられそうだ」


綾子は冷静に計算した。


金歯一個の純金量は約二・八グラム。


頭蓋骨一万個分で二十八キログラム。


総額二万八千グラム × 一万五千九百六十円/グラム = 約四億四千六百八十八万円。


「きっとそれ以上になるわね」




第三章 墓荒らしの夜



二人は決意した。


土葬された遺体から、頭骨だけを集める。


夜ごと、懐中電灯を片手に、過疎化した村々を巡った。


父のカルテが地図代わり。


古い墓を掘り返す。


土の湿った臭い、腐敗の残滓が鼻腔を刺す。


頭骨を一つずつ袋に詰め、医院の物置に積み上げた。


村人たちは気づかない。


墓は荒れ放題、誰も訪れない。


一万個。


数字は現実味を帯び、狂気の渦となった。


綾子は最初、吐き気を必死に抑えていた。


だが、徐々に慣れた。


「これで私たち、豊かになるのよ」


呟く声に、どこか恍惚が混じる。


溶鉱炉を探した。


さすがに頭蓋骨を焼いてくれとは頼めない。


元治の大学の工学部に、後輩がいる。


高温度炉の設備がある。


「るつぼだけ用意して、頼めばいい」


何十年か前に潰れたスクラップ工場に、鼎のカタチのるつぼがあった。


足が三つ。


埃と錆に覆われていたが、運び出した。


一つ足が折れていたが、構わない。







第四章 黄金の炉



大学の実験室を夜間に借り、頭骨を炉に投入した。


骨が砕け、金歯が溶け出す。


熱風が肌を焦がす。


るつぼに黄金が溜まる。


輝く液体。


四億を超える富。


だが、るつぼの足が一つ折れていた。


炉の振動で傾き、溶けた黄金が溢れ出した。


金は、神の血のように煮えたぎっていた。


鼎が裂けた瞬間、天井から降り注いだ黄金の奔流は、元治の肉体を包み込んだ。


皮膚が焼け、筋肉が泡立ち、骨が軋む音が響く。


だが彼は叫ばなかった。


それは、彼が望んだ死だった。


一万の死者から奪った金が、彼を裁くように、祝福するように、静かに沈めていった。


黄金の海の底に、彼の姿は消えた。


ただひとつ、彼の金歯だけが、最後まで輝いていた。






第五章 忘れ去られし黄金



綾子は逃げた。


黄金の塊――元治の体――を残して。


村は静かだった。


カルテは燃やされ、墓は荒れたまま。


誰も知らない。


忘れ去られたエルドラドは、黄金の亡骸として、永遠に輝き続ける。【完】

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忘れ去られしエルドラド をはち @kaginoo8

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