第8話 イブ 18歳

 夜更けに雪は止んだけど、町は真っ白に生まれ変わっていた。

 あたしはコンビニの袋をぶら下げて、とぼとぼと坂道を上る。

 冷たい風が吹き、制服姿のあたしは背中をぶるっと震わせた。

 やがて見慣れたアパートが見えてきた。

 あたしはそれをちらっと見たあと、白い息を吐き出してから、公園に足を踏み入れる。

「えっ」

 だけどすぐに足を止め、声を漏らした。

 雪の上に自転車が倒れている。そしていつもあたしが座っているブランコに、人の姿が見えたから。

「えっ、なんで……うそ……」

 あたしの足が、雪を踏みしめ動き出す。ぼんやりとした街灯の下で、ブランコに座ってうなだれていた人が、ゆっくりと顔を上げる。

「ノア……」


 そこにいたのはノアだった。あたしがさっきここに残した、黒いダウンジャケットを着て、驚いた顔でこっちを見ている。

「なんで……なんでノアがここにいるの?」

 なにがなんだかわからなかった。頭の中がぐちゃぐちゃになって、あたしはただ口を動かした。

「あ、あたしは、今日引っ越さなくちゃいけなくて……それで一回電車に乗ったんだけど、やっぱり嫌だって思って、途中で降りちゃったの。でももう行くところなかったし、寒いし、とりあえずここに置いていったジャケット着ようかなって思って、歩いてきたんだけど……」

 ギイッと錆びた音を立てて、ノアがブランコから立ち上がった。そしてまっすぐあたしの前まで歩いてくると、着ていたジャケットを脱いで、あたしの背中にかけてくれた。

「そんな薄着でバカじゃねぇの?」

 あたしの知らない低い声。身長もまたちょっと高くなったみたい。

「それ、着ろよ」

 あたしはノアの着ている知らない制服を見ながら言う。

「でも、ノアは……」

「おれは平気」

 顔を上げたら、あたしを見ているノアと目が合った。声が変わっても、背が高くなっても、ノアはやっぱりノアのままだ。

 そしてノアの目は真っ赤で、泣いているみたいだった。


 あたしは両手を広げて、そんなノアの体を包み込むように抱きしめた。そして顔をぎゅうっと押しつける。

 するとノアの手があたしの背中に触れて、そのままジャケットごと抱き寄せられた。

「ノアの体……あったかい」

「イブも……あったかいよ」

 中学生だったころ、大人の真似をしてキスをしたことはあったけど、こうやって抱きしめ合ったのははじめてだ。

 こんなに寒い夜なのに、あたしの体もノアの体もあたたかくて、あたしたちは生きているんだって思えた。

 真っ白な闇の中で、あたしたちは命と命を寄せ合う。

 本当は聞きたいことも、謝りたいことも、伝えたいことも、たくさんたくさんあったのに、いまはなにも言えなかった。

 なにも言えなかったけど……あたしははじめて、ノアの心に触れることができた気がした。


 木の枝に積もった雪が、さらさらと落ちてくる。静かにあたしから離れたノアに、持っていたコンビニの袋を見せた。

「食べる?」

 袋の中から、さっき駅前で買ったふたつの中華まんを取り出す。

「うん」

 うれしそうに笑ったノアに、あたしは片方を自分から差し出した。

「はい、肉まん」

「ありがとう」

 あたしの指先とノアの指先が、かすかに触れ合う。

 そのときノアがぽつりと言った。

「おれ、もう逃げないから」

 ノアの声があたしの心を震わせる。

「もっと強くなるから」

 あたしはノアの前でうなずいた。

「あたしも……もっと強くなりたい」


 電車から降りてしまったあたしは、これからどうなるのかわからない。だけどもう、ママの元へは戻らないって決めた。

 あたしはもっと強くなりたい。

 あたしはもう、ママの言いなりになっているだけの、なにもできない子どもじゃない。

 あたしのことはあたしが決める。あたしはもう、どこへだって行ける。


 白い息を吐きながら、黒いダウンジャケットを顔に寄せる。

 世界で一番、あたしの好きな人の匂いがした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

白い闇のなか、君に触れる 水瀬さら @narumiyu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ