山神の日
猫大。
山の神の日
9月16日は山神の日。里の老人たちは口をそろえて「その日は山に入ってはならぬ。山神に出会い神隠しにあう」という。
だが、東京からやってくる旧友に、奥深い山の幸を振る舞いたいという思いが俺を山に向かわせた。
松茸だ。あの鼻腔を抜ける芳醇な香りと噛み応えのある食感を都会の友人に味あわせたかった。
朝早く霧が山肌を這う時間に家を出た。まずは山師をしている兄貴に今日山に入ることを伝えなくてはならない。禁足日なので今日は1日家にいるはずだ。
兄貴は山の入り口の前でタバコを吹かしていた。
「おはようさん。朝早うからどんげ(どう)した?」
「おはよう。晩に東京から友達が来るかい、松茸でもか(たべさ)せようと思ってね。今から山に入ろうと思うんよ」
「まこっけ(本当か)?やめちょけやめちょけ。今日は山ん神の日だ。かんさー(神様)に魅入られると帰ってこれんごなるぞ!」
「大丈夫大丈夫。奥にはいかんよ。中ほどの祠の周だけやが」
「そうか、でも気をつけて行けよ。危なくなったら早う引き返せ」
「わかっちょいがー、じゃあ、行たっくいかい」
そう言って俺は猟銃を手に、籠を背中に背負って山の中に入っていった。
山道を歩き始めて10分程だろうか、違和感を感じた。早朝ではあるが鳥の鳴き声がしない。猿や猪などの獣の気配もしないのだ。静かだ。静かすぎるのだ。風に揺れる木々のざわめきすらしないのだ。まるで山全体が息を潜め、俺の足音だけ不自然に響いている。背中に冷っとした物を感じたが松茸の誘惑が俺の歩を進めた。都会にはこんな立派な松茸はないだろうと自慢もしたかった。
山の中ほどまで進むと開けた場所が出てきた。そこには色褪せた小さな鳥居と山神様の祠が鎮座しており、苔むした空気が神聖な気配を漂わせていた。
「山神様、今日は禁足日ですが都会からはるばる友人が来るんです。少しばかい松茸を分けて頂けないでしょうか。そしたらばすぐに山かい降りるので許して下さい」俺は心の中で呟きながら参拝した。
この祠の裏手に松茸の群生地がある。普段と違う山の雰囲気もあり早く採って帰りたかった。
裏手の急斜面を登りきった所で異変が起きた。
キーンと耳鳴りが頭を突き刺し、一瞬視界が歪んだ。
ふと辺りを見渡すと、まだ青々としていた木々の葉がまるで一晩で秋が訪れた程に赤や黄色と色づいていた。見事な紅葉だった。だが、9月の中旬にこの光景はあり得ない。まるで季節が狂ったような状況に胸がざわついた。
足元に目をやるとそこには信じられない光景が広がっていた。松茸だった。しかも、それだけじゃない。ブナシメジやナメコ、ヒラタケーーーありとあらゆるキノコが紅葉の絨毯の上に広がっているのである。こんな豊穣な山は今まで見たことがない。思わず息を飲み、籠を下ろして松茸を手に取った。ずっしりと重く、香りは山を濃縮したようだった。
---ちりん
その時何処かで鈴の音が響いた。何処か冷たく寒気のする音だった。音のする方を向いてみると10数メートル先に白い着物をまとったやたらと髪の長い女がいた。着物は霞のように輪郭が揺れており、黒髪は大蛇がとぐろを巻いているようだった。女はこちらに背を向け、山を静かに眺めていた。山神だ。俺は直感した。あのお方は山神様だ。恐れと敬意が胸にせめぎ合いながら山神様に近づいていった。膝をつき、頭を下げながら
「畏れ多くも山神様とお見受けいたします。今日は禁足日と知りながら山に入りました。都会から来(く)い友人に、こん山ん松茸をどうしても食べさせてやりていのです。どうか少し分けっいただけないでしょうか」声が震えていた。
山神様はこちらを振り向いた気がしたが許可なく頭を上げる事が出来ない。何故だかそう思えた。
---ちりん
また鈴の音が聞こえたと思うと、頭を突き刺す耳鳴りが再び襲ってきた。ズキズキと頭痛が脈打ち、突風が木々を揺らし、紅葉が舞い散る。俺はたまらず目をつむり頭を抱えて地面に蹲った。
どれぐらい時間が経ったのか、気付けば風は止み。いつの間にか耳鳴りも止まっていた時、頭を上げて恐る恐る目を開いた。
山神様はいなくなっていた。
辺りを見回すと、紅葉は消え、木々は青々とした夏の装いに戻っていた。足元のキノコも消えただの土と落ち葉が広がるだけで、俺は夢でも見ていたかのようだった。ただ、まだ午前中だったはずの空が薄っすらと夕暮れ時になっていた。
背中の籠にはあの時の立派な松茸が一本入っていた。手に取ると確かにあの重みと香りがあった。籠に入れたつもりはなかったが、あれは夢ではなかった。未だに鳥や獣の気配がしない恐ろしく静かな山だった。
とたんに恐怖が全身を支配した。早く帰らなければ。
俺は籠と猟銃を掴み転がるように山から降りた。
人里についた時、兄貴が俺の捜索隊を組んで、山に入ろうとしていた。
あまりにも帰りが遅いので心配していた。何があったのか聞かれ山神様に会ったことを全て話した。
すぐに村の神主が呼ばれ、お祓いが始まった。
松茸については、「お前が山ん神さーから授かった物だ。粗末にすると祟られるかもしれん。目的通り明日友人と食え。大丈夫なはずだ。だが、お前はもう山には近づくな。次帰ってこれる保証はない」と言われた。
翌日、友人に松茸料理を振る舞った。大いに喜んでくれたが、あの日のことは話していない。俺は友人と共に都会に出る事に決めた。
都会の暮らしに慣れた今でもあの鈴の音ととぐろを巻いていた黒髪が忘れられない。それ以来、9月16日に山に入ることはない。まして、山自体に近づく事もない。
ただビルの隙間から見える遠くの山から今でも---ちりんと鳴る気がする。
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初投稿です。
知り合いの体験談を元に書いてみました。
6〜70年前の九州のとあるお山で起きた御話です。
面白いと思えて頂けたら幸いです。
山神の日 猫大。 @dorf_katze
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