Lunatic

西海子

Lunatic

「月が綺麗だな」

 ポツリと呟くと、ほぼ同じ高さの目が真っ直ぐ俺を見据えた。

「死んでもいい、とか言ってほしい感じか?」

 呆れたような声が淡々と零れて、なるほど、その程度の教養はあるのか、なんて思った。

「客観的事実として、月が綺麗だと述べたに過ぎないんだが?」

 そんなことをうそぶいてみると、俺の目をじっと覗き込みながら、枯野からの悪辣あくらつに歪んだ笑みを口端に刻んだ。

「お前の目に映る月が俺を狂わせる、とかでどうだ?」

 ……はぁ?

 思わず眉を寄せると、途端にふいっと視線を逸らして枯野は月を見上げた。

「俺はこちらに向けている御綺麗なツラより、地球に降り掛かる隕石を受け止めてクレーターだらけの月の後頭部の方が好きだな」

「お前の言葉は衒学的げんがくてきに過ぎる」

 非難するつもりで言ってやったが、一向に堪えてないようだった。

 その証拠に、月光を浴びて目を細めながら枯野は呟くのだ。

「深淵を覗くとき、深淵を覗いているのだ」

 ん?

「……ちょっと待て、それはそのままだろう?」

「そうだよ」

「ニーチェだろう? 深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ、じゃなかったか?」

 俺が丁寧に突っ込むと、枯野はいつも通りに飄々ひょうひょうとした調子で戯言ざれごとを口にした。

「だって深淵はこっちを見てないんだから、そこには俺が深淵を覗いているという事実しかないじゃないか」

 ダメだ、話にならない。

 ――ため息を吐いた。

「なんだそのクソデカため息?」

 枯野が不満そうに言う。その顔は涼しいままだったが。

 だから、何となくいらついて言ってやった。


「月が綺麗ですね――殺してやるよ」

「死んでもいいわ――殺してくれるなら」


 あぁ、割と通じているのかもしれない。

 心が狂った俺に、精神が狂ったお前。

 愛してるなんて言えないから、俺はこれしか口にできない。


「そういうところが嫌いなんだ」

「光栄だ、愛してるよ」


 ほら見ろ、このどこまでも狂った対話。

 それでもそれが正しいとしか思えない二人の関係に、俺は歯噛みした。


 明日には殺し合いを始める狂った俺達にとって、これは最後の静かな月夜。

 だから……この御綺麗な月のツラを黙って眺めることしか、もうできない。

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Lunatic 西海子 @i_sai

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