深夜二時に『メリーさん』からの着信。急いで車を走らせる。
宴懐石(旧:本懐明石)
捨ててはいけないもの
隣の助手席に置いたスマホが鳴る音で、私は目を覚ます。起き抜けに強く感じる全身の異様な凝りには、未だに慣れない私である。もっと背が低ければ多少マシだったろうに、悔やまれる。
非通知からの電話だった。深夜の二時に迷惑な。……父さんか? 私が着信拒否にしたから、公衆電話とかから掛けてきているのだろうか。
スマホを耳に押し当てる。こちらが挨拶するより先に、向こうが名乗った。
「もしもし、あたしメリー。今ゴミ捨て場に」
「すぐ迎えに行くから待っててね」
「えっ?」
電話越しの少女が、か細い声を素っ頓狂に弾ませる。構わず私は通話を切り、キーを回す。ただちに道の駅の駐車場を出て、あてもなく車を走らせる。
あてもなく。――だって、相手はゴミ捨て場に居ると言っていたが、ゴミ捨て場など日本全国にどれだけ存在するのだという話だ。そもそも三十センチにすら満たない人形からすれば、ゴミ箱ですらゴミ捨て場という認識になろう。――非通知でかかってきたのだ、こちらから掛け直すことも出来ない。さてどうしたものか。
悩みつつ車を走らせていると、ふたたび非通知からの着信。私は車をコンビニの駐車場に停め、スマホを手に取る。
「迎えに来るってどういうことなの。あなたはおかしいことを言っているの。どうかしているの」食い気味に詰られた。
「何もおかしいことはないよ。女の子がこんな夜中にひとり出歩いてるって聞かされて、普通の神経してたら『ちゃんと家まで送り届けてあげよう』ってなるものだからね。男としての責務だよ」
「……あなた、『メリーさん』がどんなものか知ってるの? あたしに追いかけられていることが、どういうことなのか分かってるの?」
あたしは持ち主に捨てられた人形のお化けなの。
とっても悲しくて、あなたが憎いから、刺し殺しに行くの。――メリーは電話越しに、声を荒げた。
「……うん。君が私を恨むのも無理はないよ。私が君の立場だったら、きっと君を刺し殺そうと思っただろうしね」
「あたしメリー。今たばこ屋さんの角にいるの」
都市伝説としての定型句を挟む。「車で逃げたって無駄なの。無駄だからトシデンセツなの。ふふん」と、自信満々な口ぶりが可愛らしい。
「どこのタバコ屋? 店の特徴か、看板があればそれを読み上げてくれてもいいんだけど」
「おかしなことを聞くの。時間稼ぎのつもりなの? まあ別に構わないけど。――うんと、えっと、『たばこ屋 アメリ』って書いてあるの」
「アメリね。分かった。……ちなみに、そこから動かずに待ってくれたりは出来ない? あまり動き回られると探しにくいから」
「ダメ。そうやってまたあたしから遠ざかるつもりなの。分かってるの。――もう逃がさないの。動けないお人形さんにして、あたしだけのものにするの」
じゃあねと言い残して、電話は切られた。ヤンデレっぽいところも切り際に行儀よく挨拶してくれることも、概ね私の解釈通りで嬉しい。早く会いたいと気持ちが逸る。車通りはほとんどないとはいえ、交通事故には気を付けなくてはならない。アクセルを踏む。
住宅街に差し掛かり、辺りは幾度も見慣れた景色である。徐行でアメリを横切り、ほどなくして実家の前に行き着く。停車する。
周囲に彼女の姿はない。家に入ったのかもしれない。車を出ようとシートベルトを外している時、非通知から着信がある。スマホを耳に当て、「今どこにいるの?」と訊く。
「あなたの後ろにいるの」
声は重なって聞こえた。耳元からと、後部座席の方から。――振り返ろうとすると、錆びだらけの包丁の刀身がヘッドレストの真横にヌッと現れ、刃先が首筋に差し向けられる。血液は付着していないようだった。
バックミラー越しに見る彼女は、小学生くらいの背格好をしていた。絵本の中から飛び出したみたいな、カールしたブロンドヘアにクリクリとした碧眼の、ロリィタ・ファッション。 薄ら笑いを浮かべていた。
「おままごとをしている時から気付いていたよ。君には包丁がよく似合う。錆びだらけなのはいただけないけどね」
「いつまでヨユーでいられるのかしら。あなたはここであたしに殺されるの。あたしを捨てて出ていったのだから、そうされるべきなの。――もう離れ離れにはさせない。ずっと一緒なの」
「どこから誤解を解いたものかな。死ぬのは構わないけど、誤解されたままは嫌でさ」ギアをパーキングに入れ、エンジンを切る。
「ゴカイ?」彼女は真顔を挟み、苛立った具合に私を睨む。「なにもゴカイじゃないの。あたしはずっと、あなたが引き出しを開けてくれるのを待っていたのに、……ギョウシャ? の人が部屋に入ってきて、あなたの部屋のものをぜんぶゴミ捨て場に持って行ったの。……あなたがギョウシャの人にお願いしたんでしょう? そうに違いないの」
「ギョウシャって、たぶん清掃業者の人のことなんだろうけど、依頼者は私じゃなくて父さんだよ。……まあ、学習机の引き出しに閉じ込められたままだった君が、それを知らないのも無理はないけど」
「どうして?」あどけなく首を傾げる。「あなたのパパを、見たり聞いたりしたことはあまりないから、どんな人かはそんなに知らないのだけど、子どもの物を勝手に捨てる親なんていないの」
「それがいるんだよ。――ほら、私ってこういう趣味してるでしょ?」ロリィタの胸元のフリルを引っ張り、バックミラー越しに示す。
「あたしと同じ服よね。それがなに?」
「君は知らないかもしれないけど、男がこういう服を着るのって変なんだよ。まあ最近こそ風当たりもだいぶマシになってきた感じはあるけど、父さんはそこらへんシビアでね。……だから私は、男らしくない趣味のものは全部、鍵付きの引き出しとかに仕舞って父さんの目から隠してたんだ。見つかれば捨てられるって分かってたからね」
上手く隠し通せていたよ。つい最近まではね。
懺悔でもする気分で、私は独白する。
「私は物心ついてから現在に至るまで、親の目を盗みつつ女装したり、女の子の人形で遊んでいたりしていたわけだけど、三日前にウィッグのブロンドヘアが一本、部屋の床に落ちてるのを見つかっちゃって。そこからトントン拍子に今までの隠し事がぜんぶバレちゃってさ。……私が出かけてる間に、業者を呼ばれて部屋のものぜんぶ処分されちゃったんだ」
「……でも、あなたのその服は、あなたが前から着ていたものなの。あたしは要らなくなったから捨てたけど、その服は要るから残しておいたに違いないの。……あなたは嘘をついているの。あたしに殺されたくないから」
「これは買い直したんだ。勝手に部屋のものを捨てられて、何もかも嫌になって家を飛び出した後にね。――でも、君のことだけは買い直すわけにはいかなかった。型番が同じだろうがなんだろうが、私にとっての君は君しかいないからね。……父さんが業者の人に妙な注文の仕方をしたみたいで、どこに捨てたものやら車中泊しながら三日間探し回ってたけど、また会えてよかった」
「それも嘘なの」
彼女は身を乗り出して、座席越しに私を抱きしめる。包丁は握ったままの、純粋な殺意の発露としての。
「あなたはもう、あたしに興味がなくなったの。……お人形遊びはいつだってそう。大人になったら退屈になって、もういいやって捨てちゃうの。……ゴミ捨て場のみんなから聞いたの。愛していないのなら、また会えてよかったなんて言わないで」
声を震わせ、下瞼に涙を溜めていた。
話すべきことは全て話した。ついに誤解は解けなかったようだが、ここで殺されるわけにはいかない。
「最後の頼みと思って聞いて欲しいことがあるんだけど、君を連れていきたい場所があるんだ。……いっしょに来てくれないかな」
意外にもその要望はすんなり通った。私は助手席から無骨なリュックサックを持ち出し、車を出る。二月下旬の凍てつく空気に全身が縮こまる。人っ子一人いない、住み慣れた町を彼女と横並びで歩く。
道中、会話はほとんどなかった。無人とはいえ、この格好で外を出歩くことをしたのは初めてだったし、知り合いとかに見つかったらどうしようかとばかり考えていた。彼女は彼女で横切るもの全てに興味を示しており、しばし私の存在を忘れて没頭している様子だった。
ふと、どちらともなく立ち止まる。タバコ屋アメリの店前である。当然シャッターは降りていて、自販機の青白い光だけが弱弱しく光っている。
「小学生の頃、この近くのおもちゃ屋さんで君を買ってから、家に帰るまでそれはもうドキドキしたよ。友達に見つかったらどうしようっていうのもあったし、憧れの人形が自分のものになって舞い上がってたのもあってさ。……その途中、このタバコ屋の看板が目に入って、メリーって名前にしようと思ったんだよね」
「アメリじゃなくて?」
「見間違えるくらいには切羽詰まってたってことだよ。でもメリー自身は気に入ってるでしょ? あたしメリーって、電話のたびに名乗ってたもんね」
「うるさいの」と横からふくらはぎを蹴られる。頬を膨らましてそっぽを向いた。
それから数分歩いて、私たちは公園に踏み入れる。キックベースとかのびのびと出来そうなくらいの広さだけど、最近は何かとうるさいんだろう、ここ数年子どもの姿を見かけていない。
「先に謝っておくけど、私は君に嘘をついた。と言っても、半分嘘で半分本当みたいな、中途半端なものだけど」振り返り、彼女と正面から向き合う。
「……別に、もう驚かないの。あなたが嘘つきなのは、今に始まったことじゃないの」街頭の灯りに包丁が瞬く。
私は「傷つくなぁ」と相槌しつつ、足元にリュックを降ろし、キャノーラ油のボトルを取り出す。容量は一・五リットルで、オレンジ色の液体が中で波打つ。フタを開け頭から被ると、甘ったるいガスの臭いに包まれて、鼻の奥がツンとなる。
「……なにをしているの? それはおかしいの。油なんかかぶったって、どうにもならないの」
「油じゃないよ。これはガソリンだからね」
喋るに伴って、口内がビリビリと焼けたように痛む。構わず袖口からマッチの箱を取りだし、いま着火せん——というつもりだったのだが、メリーが目の前から消えている。
途端、私は背後から突き飛ばされ、マッチを取りこぼしつつ、うつ伏せに倒れる。拾い上げようと手を伸ばすが遅く、フリルのショートブーツに踏み潰される。
「なんで邪魔するの?」私は彼女のブーツの爪先に向かって問う。顔を見る気にもならない。返事はない。
「死んでほしいんでしょ? 私に。だから連れていきたい場所があるって、君に嘘をついてここまで移動したよ。延焼しない場所ならどこでも良かったからね。……ちょうど死ぬつもりだったんだ。こんな難儀な性質を持ったまま産まれて、今までもこれからも否定され続けるくらいなら、死んで楽になろうと思ってたんだ。君のことだけが心残りだったけどね。……だけど、いくら君だからって他人に殺されるのはないよ。これは私の問題なんだから、私の手で死なないと」
彼女は何も言わない。代わりに両膝をガソリンまみれの地面に突き、俯いてすすり泣き始めた。
「……いや、泣かれても困るよ。せっかく感情表現できるようになったんだから、言葉で伝えてくれないと。なんで私が死ぬのを邪魔するの? それが望みなんでしょ?」
「分からないの」震えた声で彼女は呟く。
「あなたがあたしのことを、とっても愛してくれているのは知ってるはずなのに、信じられなくて、嘘だと思ってしまって、殺したくなってしまうのが分からないの。……あたしは、メリーはどうしたいの? 感情を持つのって、気持ちがあるのって、こんなによく分からなくて難しくて、苦しいことなの? ……こんなにつらい思いをするくらいなら、心なんて要らなかったの」
無理もないことではあった。芽生えて間もない彼女の精神は、それ相応に未熟であり、――訳も分からないまま覚醒した感情や気持ちというものに対して、適切に対処し整理する術を持たず、ひたすら混乱し続けているのだ。
私は返す言葉がなかった。頭の中では「どう彼女を出し抜いて死んでやろうか」と、そのことばかりを考えていた。
「随分と込み入った話をしているのね。こんな真夜中の公園で」
聞き馴染みのないハスキーボイスが上から降ってくる。私は消沈した体をのっそり動かして、ゴロンと横臥する。さりげなくメリーが背後に回ってくる。私を盾にするようにして。
顔面の半分ほどすっぽり覆うマスクをした、ロングコートの女性が私たちを見下ろしている。「あなたは?」と尋ねると、「口裂け女」と答える。
「私のことが綺麗かどうかを、人々に聞いて回る都市伝説よ。ほら」とマスクを下げると、耳の付け根辺りまで裂けた口元。「美醜の価値基準は人それぞれだと思いますけど」「いかにも女装男子らしい意見ね。嫌いじゃないわ」満足したのかマスクを戻し、コートのポケットに両手を突っ込む。
「……要件はなんですか? いま取り込み中なんですけど」
気持ちばかり睨んでみるが、流石は都市伝説と言うべきか相手は何処吹く風、
「有害でない限り、公序良俗に反していない限り」と出し抜けに語り始める。
「あなたの性質、ないしあなたの生き方は、何人からも糾弾され否定されるべきではない。――自分自身を責める道理はないし、自死に至ろうだなんて以ての外よ」
どう挨拶したものか考えあぐねていると、「広い世界、自分と同じ悩みを抱えた人間は必ず存在するわ」と畳み掛けてくる。
「その人と会って、悩みを分かち合うというのも一つの手段ね。――あるいは、打算なき純粋な理解者かしら。あなたのその性質を気味悪がらず、真心を持って接してくれるパートナーでも見つかれば、それが救いになるかもね」
「……どうして私にそんな話を?」
「都市伝説に理屈なんかないわよ」彼女は肩をすくめる。
「理屈がないから都市伝説なんだから。――まあ、未来ある若者が思い詰めているようだったから、年長者としてアドバイスでもって話しかけたとか、好きなように解釈なさい」
じゃあ、私はこのあたりで失礼するわと、口裂け女は踵を返す。「綺麗かどうかを世界中の人々に聞いて回らないといけないからね。またどこかで」手を振りつつ去った。
……さっきまで張り詰めた空気感だったのが、乱入者の登場と退場とで、何とも形容しがたい雰囲気になった。ジッとしているのが落ち着かず、私は砂埃を払いつつ立ち上がる。とちらにせよガソリンまみれにしてしまったのだ、一式を買い直す必要があった。
「君が私をどうしたいか分からないって話だったよね。愛したいのか殺したいのか」
いきなり振り向いたせいだろうか、メリーはビクッと身体を震わせ、「……それが?」と泣き腫らした赤らんだ顔で睨みつけてくる。
「……いや、メリーが分からないうちは、私も死なないでおこうかなって。――叱咤激励も受けたところだし、生きてみようかなって気になれたから」
彼女は、どの表情ともつかないような、曖昧な顔つきになる。俯きつつ小さい歩幅でこちらに歩み寄り、私のスネを爪先で軽く蹴った。
「なんで?」
「他の人に言われたことに流されすぎなの」棘のある声色で呟く。「あのおねーさんと会ったのは初めてなんでしょ? ずっと前から友だちだったあたしの言うことは聞いてくれないのに。勝手に自分で死のうとしたくせに」
「うん、思えば私は、何かにつけて他人を意識し過ぎていたんだね。恥ずかしく見られないかとか、見つかれば怒られるんじゃないかとか、認められないなら死んだ方がマシだとか。どこまでいっても自分の人生は、自分のものでしかないのにね。わかるわかる」
「そういうことじゃなくて!」など言い合いしつつ、私たちは横並びに夜道を歩いた。
知らずのうちヒートアップし過ぎたのか、近隣住民に通報されたらしく警察官が飛んできたので、私は彼女の手を引きつつ、いつぶりかも分からない全力疾走を試みた。
深夜二時に『メリーさん』からの着信。急いで車を走らせる。 宴懐石(旧:本懐明石) @en_kaiseki
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