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25/09/13 自作語り②(短編回)

お疲れ様です。宴です。

前回に引き続き自作語りです。二部構成になるか三部構成になるか分かりませんが、とりあえず認めていきます。

〇狭くて薄い、子どもの家

ある妻子持ちの成人男性が、病室で寝たきりの最中に見ている夢の話になります。

社会人として生きていく中で、ワクワクやロマンに欠ける現実的な日々に飽き飽きし、投身自殺を試みたものの一命を取り留め、しかし当人に社会人復帰する意思はない。彼は妄想の中で彼は自身の人格を、無邪気な「僕」と理知的な「私」とに分断します。そして、「僕」が素敵な幼少期的体験を享受できるように「私」を宛がい、その一部始終を眺め続けるという退行の症状を来しています。が、妄想の中には社会性の化身、すなわち娘や医者などがしばしば介入し、彼が妄想に耽り続けることを阻害して現実に引き戻そうとします。

誰しも一度は思いを馳せたであろう、「子どもの頃に戻りたい」という欲求について取り上げた作品ですが、良し悪しについては特に言及せず、読む人の感じ方に全面的に委任した形になります。妻子がいながら妄想に引きこもるのはどういうことかという方面もあれば、現実って退屈だし辛いし仕方ないよねと同調する方面もあるでしょう。少なからず、日常生活の中で狭くて薄い家など見かけたときにロマンを感じられる程度の精神的余裕は保っておきたいよなと個人的には思います。


〇短歌しりとり

こちらは以前にも近況ノートにて個別で解説したことがありますのでネタバラシの部分については割愛しますが、短歌というのもやってみると意外と面白いですね。大学時代は斜に構えて都都逸など創作していましたが同系統に思えて中々に趣が異なります。続ける可能性は極めて低いですが、また気が向いた時にでも。

〇美少女宇宙人襲来

書き始めた経緯としては「売れてるネット小説は絶対に女体を扇情的に描いてるよな」と思い、じゃあ自分も真似してみるかと思ったのと、星新一のショーショートを読んでいた時期で自作に宇宙人を登場させたかったからですね。宇宙人側には「都会人」「上位存在」などの無機質かつ高圧的な属性を、地球人側には「田舎者」「自由気まま」という属性を付与して対峙させた形になりますが、書き終わってみると割といい感じの甘酸っぱい恋模様に落ち着き、こういうのを中編とか長編で書いてみても面白いかもなと思いました。カルネかわいい。


〇空き巣さえマトモに務まらない。

認知症を患った母親の前に、泥棒として現れる息子の話です。息子の存在を忘れながらも、在りし日の母親らしさが根底の部分には残っていると見え、それがあるからこそ息子もあきらめるに諦めきれないのかもしれません。親孝行と禁煙は早いに越したことは無い。

〇古本屋の魔女

読書に限らないですが、映画でも漫画でも、あまりに引き込まれていると現実を忘れてしまうことがありますよね。自分が物語の世界に存在しているような気分になるというよりは、自分が現実世界の中に存在していることを忘却するような感覚。目の前の物語についてだけ思考し、現実世界のことについては何ら考えない状態。

然るに、僕たちがいま生きていると思っているこの世界も、物語の中の世界ではないのか。現実世界は上のレイヤーに存在しており、私たちは現実世界の人間に読書されて移入されている「記号」に過ぎない。しかし私たちもまた物語の世界の中に存在する本や映画などを、シナリオの範疇で堪能することが許されており、そうした折には物語の世界に没入することがあるかもしれない。そのように段階していくと、結局私たちはどの座標上に存在するのか? という問題に直面する。

答えはだから、「死」にある。死んでしまえば一旦その物語については終幕だから、これが本であれば閉じなくてはならない。閉じたからには現実を見る必要があるが、その現実もまたいずれ終わりを迎え、閉じることになる。そうした変遷の歴史は年季の入った書物、すなわち「古本」となり、他の誰かが閲覧し没入するためのシナリオないし世界観を内的に構築する。

「人生とは結局、他の誰かの人生の踏襲に過ぎない」とも取れるでしょうし、「長く生きるためには無限に本を読み続けることである」とも取れるでしょうし、個人的にはかなり好みの作風になっています。書店員の振る舞いや言葉遣いが相手によって変容するのもスキポイント。ただ、世界の在り方系の作品がダブっている感じがあるので、他の分野にも裾野を広げていきたいところではありますね。

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いかがだったでしょうか。これにて短編の自作語りについては完了と相成りました。次回は長編について触れていこうと思います。結局三部構成になりましたね。良い夜を。

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